第11話 芳香マッサージ

「リラさま。これから最後の仕上げをしますが、精油でお肌が荒れた経験はありますか?」

「いや、肌は強いほうだ。かぶれたりしない」

「それはよかったです。ですが、今日は念のため、無難な香りを混ぜますね」

 

 マデリンが瓶の蓋を開けると、ラベンダーの良い香りがふわりと匂った。


「芳香を使ったマッサージか。久しぶりだ」


 ずっと訓練漬けのリラは、部屋には寝に帰るだけだった。いつもすぐに熟睡していたため、香りを楽しんだりする間もなかった。

 マデリンが、なれた手つきでラベンダーの香りがするオイルをリラの腕や手に塗り込んでいく。


「精油は植物を濃縮して作られるよね。体質によって、かぶれる」


 ルーカスの呪いもクレマチスが元だ。呪いは、植物の毒を濃縮して作られている。


 ――呪いを解くヒントがあるかもしれない。


 考え込んでいると、マデリンは手だけじゃなく、首元や、胸の谷間にまで塗りはじめて、リラはあわてた。


「マデリン、全身に塗るつもり?」

「そうですけど?」

 さも当然という顔で言い返されて、リラは目を見開いた。


「今宵初めて殿下がお渡りされるので、念入りに着飾りましょう」

「お渡り?」

 リラは首をかしげた。


 ――こんな夜更けにこれから、殿下が来るの?

 それと自分が着飾る必要がどう関係してくるのかわからず、リラは眉根を寄せた。


「あら、初々しいですこと。リラさまったらそんな顔で照れ隠しはだめですよ。もっとこう、艶っぽく照れませんと」


 リラはさらに困惑した。

 ――ドレスを破って泣かせるよりは笑顔で良いけれど……。


 殿下のお渡りがなにを意味するのかわからないままでは失礼を働いてしまうかもしれない。リラは無知を晒す覚悟で質問しようとした。その時、リンと鈴の音が鳴った。


「この鈴の音は?」

「殿下のお渡りの合図です」

 マデリンに殿下が来たらなにをしたらいいのか質問する前に、ドアが開いた。


 部屋の中に、廊下の冷たい風が流れ込む。

 ルーカスも湯浴みを済ませてきたのか、寝間着ガウン姿だった。


「リラ、お邪魔するよ」


 ルーカスが部屋に入ると、マデリンたち侍女は頭を下げて部屋を出て行く。


 寝台に腰掛けていたリラはあわてて厚手の寝間着の前を重ねて手で押さえた。いくら夫婦になったとしても、腹丸出しは無防備すぎる。


 ――どうしよう。お渡りって、なんなのかわからないままだ……。


 ひとまず、礼を尽くそうと思った。リラは、ルーカスと二人っきりになった瞬間、その場に片膝をついた。


「えっと、リラさん。なにをしているの?」


 下げた頭にルーカスの困惑した声が降ってくる。


「殿下、ごめんなさい。無知のわたしをお許しください」

「なんでも許すから、とりあえず頭を上げて」


 リラはしぶしぶ頭を上げた。

 ルーカスはしゃがみ込んでいて、思いのほか彼の顔が近く、リラは息を詰めた。髪はまだ湿ったままでいつもより色気が増している。しかも彼からいい香りがする。


「リラはなにを知らなくて謝っているの?」

「殿下のお渡りについてです」

 ルーカスは固まった。


「わたしが、夜もドレスを纏う理由がわからない。しかも、腹丸出し……」

「ちょっと、待て。リラ、その下どんな格好しているの?」

「絶対に見せない!」

 リラは座ったまま、ルーカスに背を向けた。


 先ほどの湯浴みで、リラは割れている腹筋を侍女たちに見られた。いつも通りにこやかだったけど、なにも思っていないはずはない。


「なるほど。つまり、リラのきれいな腹筋を強調した寝間着をマデリンは用意したんだね。リラの魅力を最大限に引き出す方法をよくわかってる」

 背中越しに聞くルーカスの声は、感心しているみたいだった。


「それで。殿下、お渡りとはなんですか?」

「リラはなんだと思う?」

 彼に背を向けたまま長考する。

「夜更けですし、よっぽど誰かに聞かれたくない密談とか?」

「密談か。ある意味あっているね」

「では、議題はなに? 早く終わらせよう。そして、部屋から出て行ってください」

「お渡りとは、子作りのことだよ」

「は?」

 リラは思わず振り返った。


「今日、初夜だしね」

 ルーカスはリラを見つめたまま、眉尻を下げて笑った。


「結婚式は日をあらためるんだよね? 初夜と、子作りはその時だと、てっきり……」

「今日から夫婦なのに、お渡りがなかったらみんな不自然に思うよ」


 政敵だらけの今、仲が悪いと噂されるのはよくない。リラは、ぎゅっと顔をしかめた。


「殿下に、御子が生まれれば、立場が盤石になるのはわかります。ですが、今は呪いを解くことが先決かと思います」


 子どもは嫌いじゃない。むしろ好きだ。しかし、子育てをするとなると、ルーカスの傍を離れなくてはいけなくなる。護衛が目的のリラは、正直今は作りたくなかった。


「私も同感だ。例え、子に恵まれたとしても、王太后の手の者に命を狙われる危険性が高い。守り切れる保証がないし、それに……リラの気持ちが大事だ。急がないと約束したしね」


 リラを見つめる瞳はどこまでもやさしく、胸がとくんと鳴った。


「術者を、早急に見つけます」


 向けられる熱い眼差しは、生地が薄いナイトドレスを纏う苦行よりつらい。リラは耐えられなくなって視線を逸らした。


「焦る気持ちはわかるけど、呪いの件は私のほうでも探っている。リラは無理しないで、まずはここでの生活に慣れることが先決。わかるね?」

「敵を知るにはまず味方から、ですね」

「うん、まあ……そういうこと」


 ルーカスは、リラの頭をよしよしとなでた。

 リラを子ども扱いするのはルーカスぐらいだ。なんだがくすぐったいが、女性扱いされるよりはこっちのほうがいい。


「殿下、子作りを待ってくれてありがとうございます。実は、わたし、知らないんです」

 ルーカスは笑みを浮かべたまま固まった。


「知らないって、もしかして……子の作り方を?」

 リラは、「はい」とはっきり答えた。

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