第9話 娘と父 

 身体を強張らせていると、ルーカスがリラに木の枝を差し出した。


「なんですか、これ」

「最近、まともに修練できてないだろ。少し手合わせしよう」

「手合わせって、この枝でするつもり? というか、これ、どこから?」

「蔓を外していた時、拾った」

「なるほど。ですが、わたしは今ドレスだから、着替えてから……、」

「ハンデにちょうどいい」

「ちょうどいいって、わっ!」


 枝を受け取りつつも戸惑っていると、いきなりルーカスが木の枝を振り下ろした。咄嗟に後ろへ飛んで避ける。


 ――今、際どかった!


「ルーカスさま! ドレスを切り裂いたら許しませんからね? マデリンに殿下が叱られてよ」

「リラ、私だって腕を上げている。ドレスにもリラにも傷一つ、つけたりしないから安心して。本気でおいで」

「それってつまり、わたしに勝てるってこと?」

 ルーカスはにやりと笑った。あきらかに挑発している。

「わかりました。では、本気を出させていただきます」


 リラは深く息を吐き、呼吸を整える。

 木の枝は、いつも振りまわしていた大剣ほどの長さだ。呼吸で集中力を高めると、よしと気合いを入れて足を大きく踏み出した。


 ――コルセットがきついな。可動域が狭い。

 腰が入らず、思うようには打撃に力が乗らない。ルーカスに難なく避けられた。ドレスの裾も足にまとわりついてくる。


「ドレスだと今までの両刃剣ロングソードでは不利なようだね。そもそもその姿で剣を持つのは不自然か。リラに今度、短剣を贈ろう」


 ルーカスは余裕顔だ。

 

「短剣か……あまり使い慣れていないな」

「リラならすぐに慣れるだろ。きみは腕も足も長い、ドレスは甲冑と違って身軽だし、これからはスピードを重視した戦い方を身につけたほうがいい」

「そうですね。て、うわあ!」

「リラ!」

 低い姿勢から攻撃をしようとして、ドレスの裾を踏んでしまった。顔から地面に倒れそうになった時、ルーカスが手を差し込んでくれた。


 勢いは止まらず、リラは彼の腕を下にして、地面に倒れてしまった。


「ルーカス殿下、大丈夫?」

 がばっと上体を起した。下敷きにしてしまった彼を見る。ルーカスは自分の腕をじっと見ていた。


「殿下? どうかされましたか? 腕の呪いが痛む?」

「いや……驚いただけだ」

「驚いた? なにに」

「…………胸が、あった」

「あたりまえだ!」

 拳を振り下ろしたらひょいと避けられた。地面を殴ったところではっとする。


 ――危ない。殿下を仕留めてしまうところだった!


「殿下ごめんなさい。怪我は?」

 彼の顔に土がついているのに気づいて、手で、払っていく。


「これから王太后に会うのに。遊んでいる場合じゃない」


 言いながら、手合わせをしたあとでは説得力がないなとリラは思った。

「身体動かせば、リラの緊張が解けるかなって思って」

 ルーカスは尻餅をついたまま笑うと、リラに手を伸ばした。

「木登りをした時を思い出す。リラはあの時から凜としていて、きれいだった」

「わたしは殿下の美しさに驚いた」

 手を引いてルーカスを起した。

「ドレスの袖、少し破れたようだね」

「ええ。今からマデリンの青白い顔を見るのかと思うと、胸が痛い」

「一緒に叱られてあげるよ」

「この城で一番強いのは、殿下を叱るマデリンか」

「そうだね」

 ルーカスがマデリンに叱られている姿を想像して、思わず笑っていると、彼の手が伸びてきた。リラの髪についた葉をていねいに取っていく。

 幼いころを思い出して、くすぐったい気持ちになった。

「リラの胸に触れたと知られたら、ワイアットにも怒られそうだ」

「胸がなんだって?」


 二人同時に振り返る。父親のワイアットが、気まずそうに立っていた。


「父さん! 遅かったね。あいさつは無事に終わった?」

 ワイアットもリラたちの婚姻書への署名に立ち会う予定だった。そのあと、すぐに王都を発つため、先に旧友にあいさつを済ませに行っていた。

 リラは、ルーカスとの会話をごまかそうと、父に話しかけながら近づく。


「あいさつは無事にできたよ。二人とも、身なりを整えたら行くよ」

「了解」

 リラは、ルーカスの服についている土を手で払う。すると、ルーカスはリラの髪を手で梳いていく。

 自分ではなく、相手の身なりを整え合っているようすを見たワイアットは、ははっと笑った。


「仲がいいな。殿下、いたらない娘ですが、どうぞよろしくお願い申しあげます」

 ワイアットはルーカスに向かって深々と頭を下げた。

 

「父さんやめて。恥ずかしい」

「リラ……いや、王太子妃。殿下と仲良くな」


 顔を上げると、ワイアットはいつになく真剣な瞳をしていた。


「なにかあればすぐに知らせるように。騎士になろうが、ルーカス殿下の妃になろうが、おまえは私の大事な娘だ」


 ワイアットはこれまでリラを騎士の一人として接してきた。父が娘を想うような発言は珍しく、驚いた。


「わたしも、父さんが大事だよ。今まで、わたしを育ててくれて、ありがとうございました」

 リラは姿勢を正すと頭を下げた。お礼を伝えると、胸がじんわりと、あたたかいもので満たされていった。


「殿下も、ご武運を」

「ワイアット、いや、義理父さん。私の願いを聞き入れていただき、本当にありがとうございました。リラは、私が必ず、幸せにします」

「わたしのことはいいですよ。殿下が幸せになって」

 ルーカスはリラに向き直った。

「リラが幸せじゃないと、私は幸せになれない」

 言い合っているとワイアットがまた、ははっと声に出して笑った。


「この国を担う二人に期待している。とても、困難な道のりだとは思うが、負けるな。力を合わせて成し遂げることを、辺境の地から祈っている」


 二人で頷きを返す。

「そろそろ刻限だ。行こう」

 

 リラとルーカス、そしてワイアットは、ローズ王太后が待つ迎賓館へ向かった。

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