第8話 蔓の女王クレマチス
ルーカスが、呪いをかけられた夜から一週間後。
リラは、部屋に迎えに来た彼と二人だけで、迎賓館へ向かっていた。
この国の宰相と、高官、そしてルーカスの政敵、ローズ王太后の前で、婚姻書に署名をするためだ。
「署名を急かしてすまない。結婚式は、私の戴冠式後、あらためてするつもりだから」
「結婚式は、しなくてもいいよ」
即答すると、ルーカスはぴたりと歩みを止めた。
「なぜ?」
彼の目が真剣でリラはあわてた。袖をめくり、自分の腕をルーカスに見せる。
「似合わないからです。背が高く、古傷だらけで、筋肉ごつごつのわたしでは、純白のドレスが台無しになる。誰も見たくないはず」
「私はリラの花嫁姿みたい。絶対きれいだから」
ルーカスはリラの手をつかんだ。
「この手のひらにあるマメは、私を護るために剣を握り、振り続けて作られたもの。腕の古傷も、きみが努力した証」
にこやかな笑を浮かべると、彼はリラの手のひらにキスをした。
火を付けられたみたいに、背中が一気に熱くなった。手を引いて逃げようとしたら、逆に引っ張られた。
「大丈夫、きみの心が追いつくまでは、待つから」
まっすぐリラを見つめてくる翡翠の瞳は美しく、吸い込まれそうになる。
リラは腹に力をこめ、背を伸ばすと、庭を指差した。
「殿下。自室の窓から、クレマチスが見えました。実際に花を、近くで見てみたい」
王太后との謁見と、婚姻書への署名まで、まだ時間がある。
可憐なのに、毒があるというクレマチス。
この数日間は花を愛でる暇もないほど忙しくて、まだ、じっくりと観察できていなかった。どんな花なのか、ちゃんと実物を近くで見てみたい。
「わかった。いいよ、ちょうどリラに見せたいものがあった。行ってみよう」
ルーカスの、太陽のような笑顔が眩しい。ほほえみ返す気力はなく、リラは頷くしかなかった。
庭園は、遠くからでもきれいだったが、近くで見るとまた違う魅力があった。
蔓が伸びて、すき間なく葉を茂らせている。そして、ところどころで凜と咲くクレマチス。
「きれいですね。手入れも行き届いている」
リラたちに気づいた庭師が、作業の手を止めて頭を下げている。
「リラ、私に合わそうとして、急がなくていいよ」
ドレスに慣れず、歩きにくいと思っていると、ルーカスは手を繋ぐのをやめた。ひじを曲げ、リラの手を彼の腕に乗せる。
腕を組むとさっきより近くなった。一瞬、歩きにくそうと思ったが、ルーカスのエスコートは上手だった。歩調が合い、さっきより足運びが楽だ。
「殿下、ありがとう」
「ゆっくりでいいよ。リラに合わせるから」
「亀並みに遅いよ?」
「問題ない」
周りの景色をじっくり見ながら歩くのは、久しぶりだった。
「ルーカスさま。見せたいものって、これですか?」
建物と建物を繋ぐ、並木通りに差し掛かった時、リラは異変に気づいた。
「蔓が、ここまで……」
庭園には、クレマチス以外にも、木々が植えられている。そのすべてに蔓が木肌を這うように伸びて、巻き付いていた。
種子がここまで飛んできたのか、庭園のクレマチスが長い距離をものともせず、地を這って伸びてきたのかわからないが、どちらにしろ、たくましい。
「クレマチス・カルディアは華やかな花だ。生命力が強く、生長が早い。取り払っても数日したら自分たちの身長を超えるほどに伸びている」
「木々が、苦しそうですね」
「冬も落葉をしない。葉や茎から毒が漏れ出ているらしく、このまま幹の表面を覆えば、枯らす恐れがある」
リラは木に近づくと、蔓に手を伸ばした。ばりっと引き剥がす。
「リラ、手が荒れるよ」
「荒れてもかまわない」
――ルーカスさまの手に巻き付いている蔓も、引き外せたらいいのに。
「リラ、今ぼくの呪いを思ってくれた?」
「はい。ルーカスさまの蔓はどうしたら消えるのでしょうね」
ルーカスは木を背にすると、来た道を辿るように遠くへ視線を向けた。
王城の壁にまでクレマチスは、蔓を伸ばしていた。
「クレマチスは、蔓植物の女王だと言われているんだ」
「女王、ですか?」
リラは、ルーカスを見ながら訊いた。
「同じ蔓植物のバラに並ぶ人気がある」
「確かに、バラに見劣りしないくらい大輪で、美しいですね」
「品種は多いから、小さいものもあるけどね」
騎士訓練に明け暮れていた頃、野の花はよく目にしたが、この城ほど、たくさんのクレマチスを見たことがない。
「……十二年前と、ようすがずいぶんと違いますね」
「そうだね。私の母が生きていた頃は、彼女の好きなトリカブトの花が城内を彩っていた」
王太后は輿入れした翌年にルーカスの弟にあたる、ユーゴ第二皇子を産んだ。だが、リヒャード王との夫婦関係は冷め切っていたという。
「庭の植物が、クレマチスに植え替えられていくにつれて、皇太后はこの国でも権力を着実に伸ばしていった。まるで蔓が伸びて、木に絡みつくようにね。現状、王太后の天下だ。今の私に対抗する力はないに等しい」
「王太后は、殿下が未成年だからと言って、内政から遠ざけていたのでしょう? 無理もありません」
七年前、ルーカスの父リヒャード王が病に倒れてからは皇太后が摂政を務めている。
今は亡きルーカスの母アイビィーーは一貴族の出だった。他の貴族たちは、隣国の王女だった今の王太后派に属している。
「王太后の狙いは、自分の息子を
リラは、直接会ったことはなかったが、幼いルーカスを冷遇していたことは知っている。
「ただ、最初からそれが目的だったかはわからない。政治のために他国へ嫁がされ、夫は前妻を忘れずにいたら、私への態度だってきつくもなる」
オースティン王国の法律では、王は側妃を、何人でも囲える。
だけど、リヒャード王は、ルーカスの母アイビィーだけを愛し、側妃を持たなかった。
アイビィーが亡くなったあとに嫁いで来たローズを王太后に据えただけだ。
「ローズ王太后の境遇には同情する。でもだからって、子どもだったルーカスさまにきつい態度を取っていい理由にはならない。いかなる理由があろうと、です。周りにいる大人たちが気づいて、ルーカスさまを救ってあげるべきでした」
「気づいてくれた人はいるよ。きみと、きみの家族だ。私はバーナード家に大きな恩がある」
いつものようにやさしく目を細めながら、ルーカスがリラに近づく。主従関係だった頃にはなかった距離に緊張が増した。
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