第5話 イチイの大木

 バーナード家の客室にルーカスは運ばれた。

 しばらく安静にしていると熱は下がり、乱れていた呼吸も落ちついた。

 症状が安定すると父ワイアットは、捕えた男たちを取り調べに向かった。

 後処理で外はずっと騒がしかった。それなのに、ルーカスは目覚めない。

 リラは、静かに眠る彼の顔を何度ものぞき込んだ。


「殿下、すみません……」

 後悔が胸を締めつける。彼に向かって何度も謝った。ルーカスの傍を離れずに、看病を続けた。

 

 真夜中過ぎに父は戻ってきて、捕えた男たちは、金で雇われていたことを教えてくれた。


「雇い主と、呪いを作った術士は別?」

 リラは眉間にしわを寄せた。

「そうらしい。クレマチスの呪いを作った者も、指示されたようだ。武装した男たちは雇い主に、王子にぶつけろと言われただけで、呪いを祓う、解呪かいじゅの方法は知らないみたいだ」


 ワイアットは「引き続き尋問を続ける」と言った。

「雇い主も気になるが、今はとにかく術士を捜そう」

「相手を呪う道具を作った術士を見つめて、解呪方法を聞き出すんだね」

 リラの質問にワイアットは「そうだ」と頷いた。

 眠るルーカスの顔を見つめる。リラは、必ず助けると心の中で誓った。


 ~*~


 ――今から十二年前。

 七歳のリラは、好奇心が旺盛で、じっとしているのが苦手な子どもだった。

 使用人や領地民の息子たちと、日が暮れるまで野を駆けまわり、騎士のまねごとをして遊んでいた。


「ねえ、ぼくに剣を教えて?」


 庭で一人、木の枝を振りまわしていたら、声をかけられた。先日、母の遠い親戚だと言って紹介された、同い年の男の子だ。


 さらさらの金髪に宝石のような緑色の瞳が美しく、絵本に出てくる森の妖精みたいにきれいだった。

 彼は、この国の王子でルーカスだと紹介された。

 上品で、物言いも賢く、大人はみんな彼を褒めたてていた。リラは心配ばかりかけている自分とは違う人だと思った。


「わたしが、王子さまに剣を教えてもいいの? 王子なら、剣を教える人は他にいるだろう?」

「リラは剣がじょうずだって、ワイアットから聞いたんだ。だから、きみに教えてもらいたい」

「父さんが?」

 ルーカスはにこりと笑った。

「きみの父は、ぼくの父の護衛騎士だったんだよ。前に戦っているところを見たことがあるんだ」

「父さん、かっこよかった?」

「ワイアットはすごく強くて、かっこよかった」

 父が自分を褒めていたこと、ルーカスに父を褒められたことが嬉しかった。


「わかった、いいよ。じゃあまずはかけっこだ!」

「かけっこ?」

「騎士は体力が大事だって、父さまが言ってたんだ」

「いや、ぼくは騎士になりたいわけじゃな……、」

「いくよ? よーい、ドン!」


 リラはルーカスに背を向けると、枝を放り投げ、近くの木によじ登った。

「かけっこじゃないの!?」

 ルーカスの戸惑う声が追いかけて来たが、かまわず登っていく。木の中腹あたりで、さらに上の大きな枝に手を伸ばした時、ふと気づいた。


 彼はいい身なりをしていた。服が汚れれば怒られる。いやがって、ついてこないかもしれない。 

 下を見ると、ルーカスはリラに続いて登ろうとしていた。

「木登りもしたことがない。教えて」

 真剣な顔で、見よう見まねで手を伸ばし、足を幹にかける。


「王子さま、やめだ。危ないし、きれいな服が汚れる。破れたら怒られるよ!」

「怒られるより、きみと友だちになるほうが大事」


 優等生の王子が、怒られてもいいから自分を選ぶという。大人に怒られてばかりで、うんざりしていたリラには衝撃だった。


「わ!」

 足を引っかけそこなったのか、ルーカスがずるずると滑り落ちていった。リラはその場からすぐに飛んで、地面に降りた。


「大丈夫? 怪我は?」

 駆け寄りながら声をかけた。

「きみ、すごいね。あんな高いところから飛ぶなんて!」

 ルーカスの瞳の中で、木漏れ日がきらめいていた。木くずや土で顔が汚れているのに、気にするようすはない。


「飛び降りるの、怖くないの?」

 見とれていたリラは、怖くないのかと聞かれて、我に返った。

 着地の衝撃で足の裏はじんじんしていたが、にっと笑ってみせる。

「全然怖くないよ」と答えながら、ズボンのポケットからハンカチを取りだすと、汚れているルーカスの顔を拭いてあげた。

 

「……ごめん。やっぱり服、破れちゃったね」

「本当だ」

 ルーカスの右袖のボタンがない。糸はほつれ、一部が破れていた。

「大人に怒られたら、わたしのせいにしていいから」

 木登りをしようと誘ったのは自分だし、責任を取ろうと思った。

「破いたのはぼくなのに、きみのせいにする? そんなかっこ悪いこと、できないよ」


 ルーカスの手が、リラの頭に触れる。

「葉が絡まってる」

 髪を引っ張らないように、ルーカスは一つずつ、ていねいに葉を取りのぞいていく。

「ありがとう」

「こちらこそ、ハンカチ貸してくれてありがとう。汚れたから、今度弁償するね」

「子どものしたことは、親が責任を取るものだって、父さんが言ってたよ。王子がお金払おうとしなくていいよ」

 ルーカスが大人のようなことを言っているのが、おかしかった。すると、彼は目を見開いた。

「子ども扱いされたの、久しぶりだ」

 今度はリラが目を見開いた。

「子ども扱い、されないの?」

「うん。王子だから。……というのはたぶん大人の良いわけ。本当はこの緑色の瞳のせいだろうね」

 リラは首をかしげた。

「よくわからないな。王子さまの瞳、とてもきれいだよ。さっき、宝石みたいできれいだなって見とれてしまった」

 ルーカスはぱちぱちと目を瞬いた。


「リラって、本心を隠さないんだね」

「王子は、隠しているの?」

 リラの質問に彼は目を細めた。ルーカスの瞳から光りが消えていく。

「家族の中でも、ぼくだけ瞳の色が違うんだ。先祖返りなんだって。普通じゃないから義理母ローズさまは気味が悪いって、いやそうな顔をするんだ」


 胸がぎゅっと痛くなった。

 一年前、ルーカスは母親を病で亡くした。

 すぐに輿入れしてきた継母とルーカスは、うまくいっていないらしい。休憩中の侍女たちが噂話をしていたのを聞いたことがある。

 新しい母親、現王妃は隣国の元王女で、今妊娠しているという。


「気味が悪いとか、酷いな。意味がわからない」

「ぼくは、いないほうがいいんだと思う」

「だったら、王子の瞳はわたしのものにする」

 ルーカスは「え?」と目を見開いた。

「王子は、わたしのもの! 勝手にいなくなったら困る!」

 リラは、ルーカスの頬を両手で挟んだ。

「王子の緑色の瞳、わたしは好き。太陽の光りに透かした時の葉っぱみたいできれい。この世界にひとつしかない色だ。みんなと違っていたって良いんだよ。だから王子さま、もっと笑って!」


 リラは呆然としている彼から離れ、木の枝を拾うと空にかざしたり、振ったりした。


「父さんがね、騎士になりたいならなっていい、男も女も関係ない。リラはリラなんだからって、よく言うんだ。人と違うといろいろ言われるし大変だけど、大事なのは、なにが大切で自分がどうしたいかなんだって。王子はどうして剣を覚えたいの?」


「ぼくは、父さんのように、この国を守る王さまになりたい。そのために剣やいろんなことを学んで、強くなりたいんだ」


 ルーカスに近寄り、木の枝を差し出した。


「わかった。わたしが、ルーカス王子を立派な剣士にするよ。そして将来は、強いルーカス王だ。傍には強い騎士、リラさまがいる!」

「いいね。そしたら最強だ」


 さっきまで曇っていた翡翠の瞳に、光が戻っていた。


 ルーカスはにっと笑うと木の枝をつかんだ。枝の端を両手で持って、中段にかまえる。リラはあわてて足元に落ちていた枝を拾った。


「約束だ。ぼくは必ず、王になる」

「王子が王になる時、わたしは騎士になる!」


 ルーカスが先に足を踏み込んだ。リラは彼が振り下ろした枝を、枝で受け止めた。


 夢を語り約束するのは、少し恥ずかしい。だけど同時に、とても楽しかった。自分が騎士になっている姿を想像すると、わくわくが止まらない。

 彼と、夢を叶えたいと強く思った。


 夕日に照らされた世界が金色に染まる。

 リラとルーカスは、日が暮れて大人たちが迎えに来るまで、剣の訓練を続けた。

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