第6話 重なる鼓動
運河沿いの階段に二人は並んで腰を掛けていた。
「はい。」そう言って了はアイスカフェオレを恵子に渡した。
「ありがとう。」そう言って渡すと、了は自分のアイスコーヒーを出し、一口含んで、
「懐かしいね。」と言った。
梅雨前、初夏を感じる心地よい気温だった。
「ごめんね、遅くなって。」了が言った。
「いや、期待してなかったりした……?10年経ってるし、忘れっちゃってもしょうがないか。」
「いや、そんなこと!」
恵子はそう言って遮った。
勿論10年も経ってしまえば記憶が薄れ、毎日思い出すことは無くなっていた。
それでも、大学入学時に恵子は了の姿を探した。半年ほど経つと、大学に居ないのだと、了もきっと自分の事を忘れてしまっているのだろうと思っていた。
「浪人しなかったら同学年だったんだけどねー。あ、そうそう、俺、一旦高校行かなかったんだ。」
「……あの後、大変だった、んだよね……?」
「まぁ、そうだね。あの直後母親が逮捕されて……」そう言って了はこの10年の話をした。
***
了が12歳の時、了の母親は麻薬所持で逮捕された。同時に母親と同居していた男も麻薬法違反、及び了への暴力などで逮捕され、父親がおらず、身寄り居なかった了は遠い施設に入り、施設から別の小学校に通うことになった。
施設の職員は皆親切な大人で、通っている学校も、犯罪者を親に持つ自分を特に虐げることは無かった。表向きは。
しかし了は感じていた。可愛そうな子だと思われての憐憫の目はまだしも、犯罪者の子だから何か起こすのでは、と思われてると居たたまれない気持ちに時折ならざるを得ない。だからこそ中学を出たら高校にも行かず、早く自立して自分自身で生きたかった。恵子との約束を忘れるほどに。
しかし世の中はそれほど甘くは無かった。中卒で働ける場所は限られ、憐憫の眼差しを受ける機会は減ったが、乱暴な職場も多く、上司に手を上げられることも多かった。しかし、その度に自分は違うと言い聞かせ、やり返さず自分を抑えてきたが、そのせいで長く職場に居ることは難しく、中学卒業半年たっても自立支援施設と児童保護施設を行ったり来たりする状態となった。
了は悩んだ。自立することも出来ず、かといって施設から高校へと通う気にもなれなかった。施設にはピアノがあったので入所当初は時折触れていたが、その頃にはピアノに触れる余裕もその理由すらも忘れていた。
そんな時だった。
一人の女性が施設のピアノを弾いていた。あの曲だ。
「ケイ……」つらい毎日の中で忘れていた記憶がよみがえる。
了は再び勉強を始めた。1年遅れだったが高校の夜間部に入った。
昼間は働いていたが、大学に入るお金を貯めることもできた。
「その時ピアノを弾いてたのが、ボランティアで施設に来ていた音大生だったんだけど、俺、愛されちゃってさー。」
「あ、愛?」了がさらっと重い過去を話すのをただ聞いていたが、この時はドキッとして思わず声に出してしまった。
「あ、まぁ、好かれちゃって。音楽の才能とか。」了は言い直して、話を続けた。
晶子と言ったその女子大生は、独学でピアノを弾いていた了の才能に驚き、惚れ込み、音大への進学を進めた。自身が彼の教師を引き受けたのは勿論、裕福な家の出身で、多くのプロピアニストにコネのあった晶子は了に大学教授の先生も紹介した。
了は昼間稼いだお金でレッスン料を払い、ピアノを上達させていった。
発表会に出ればどこかで恵子に会えるのではないかという期待はあったが、出るほどのお金を捻出する事はできなかったが。
晶子からの申し出はあったが、流石にお金を受け取ることはできず、しかし使ってないから、と言って貰ったギターやベースなども触った。ドラムも寄付と言って施設に置いてもらい、学校と仕事以外の時間は音楽漬けとなった。
作曲もして、ギターを持って外で披露することも会った。発表会が無理でも、恵子に気づいてもらえるかもしてないという期待もあった。
「俺から連絡しても絶対にダメだと思ったからさ。まぁ大学で再会って約束しようと思ってたけど、でもやっぱりそう簡単に入れるところじゃなかったね。」了は笑っていった。
勉強の他にも仕事があった了は圧倒的に練習量が少なく、一度目の受験では受かることができなかったと言った。
高校を卒業し、仕事のみとなり、練習量を増やすことができ、発表会と称して街頭にギターを持って立ち、その時出来た仲間と、気が付くとバンドでちょっとした収入を得ることも出来るようになっていた。そうして音楽に集中できるようになった受験間近の冬、デビューの話が出て、無事大学に受かり、デビューの話も本格的に進みだしたという時だった。
「晶子も大学は言ったほうが良いっていうからさ。」
さらっと呼び捨てにされた女性の名前がチクっと恵子の胸に刺さったが、それを悟られまいと、
「あ、晶子さんって方は今も学生?それともピアニストされてるとか……」
他の女性の話など聞きたくは無いが、それでも思わず口に出してしまった。
「あー、あいつんち超金持ちだから、今はウィーン留学中よ。」
「すごい人だね。ピアノも上手なんだね。」
「ピアノはまぁまぁかな。でもなんか豪快なねーちゃんっていうか、強引っていうか。元気な人だよ。」了は笑って言った。
(その人と実は付き合ってたり……)
なんて心配を思わずしてしまうが、それが顔に出たのか、了はその手で恵子の頬を包み
「彼女はケイだけだから。」と言った。
***
その後恵子はどうしていたかなど聞かれたが、了ほどの波乱万丈は無く、中学から音楽課のある女子校に通い、学業とピアノに集中し、浪人もせずすんなりと大学に入った。
「おばあさんは?」
「あの後間もなく……」
「そっか。……それはご愁傷様です。」わざとらしく言って了は頭を下げた。
「あ、そろそろ俺いかないと。午後からバンドのリハあるんだ。」
「忙しかったんだね。ごめんね、わざわざ。」
そう言いながら二人は立ち上がった。
先に立ち上がった了が恵子に手を差し伸べながら、
「いや、俺が誘ったし。もしかしたら来ないかとちょっとビビってたんだ。あの後実は嫌いになってたかも、とか今ロックバンドなんかやってて軽蔑されないかとか考えちゃってさ。」と言った。
恵子は了の手を取って立ち上がりながら驚き、
「そんなこと……!」
無いと言い切りたかったが親の目を盗むことに悩んで断ろうとしていたことを思い出し言葉に詰まるが、
「了くんを嫌いになんて、なるわけない……」 と言った。
その瞬間、了は恵子の手を弾いて胸元に引き寄せた。
ぽんっと、恵子は了の胸の中に飛び込む形になった。
握られた手、接している了の胸、恵子の鼓動が高まったが、耳に接している胸元から了の鼓動が聞こえることに気づいた。
「背、伸びだね。私の鼓動、判らないよね。」恵子は了の鼓動を聞くきながら言った。
すると了はもう片方の手を恵子の背中に合て、大きな手でさらに彼女を引き寄せるように力を入れ、
「わかるよ。ケイの鼓動が。」掌でその音を感じているようだった。
暫く二人一緒のリズムを刻む互いの鼓動を感じた。
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