第7話 芽生える気持ち

 仕事の時間の終わりは、風の能力を所有しているペストが大きな音を三回鳴らすことで知らせるらしかった。帰り道、花が咲いていたのを見つけたバロンは、ふとそれをいくつか摘んだ。誰に与えるかは頭の中でもう決めていた。フォーゲル家へ戻る。ちょうどイデリーナは夕食の準備をしていた。

 バロンは深呼吸をすると、彼女に話しかけて、小さな花束を差し出した。


「あ、あの、助けてくれてありがとう。あのときのスープがなければ……オレは死んでいた……」


 イデリーナはびっくりして、目をパチパチと数回瞬きしたが、ふわりと微笑んで花を受け取った。


「ありがとう、とても綺麗だわ」


「大地の能力を持っているから……花なんてなんでもない……だろうけど……」


「そんなことないわ。気持ちがこもっているもの。私が適当に生やした花とは違うわ」


「そう……か」


「ええ。ちなみに私には大地だけじゃなくて、水と風の能力もあるの。能力って怖いイメージがあるけど、うまく使うと美しい芸術品が作れるわ。いつか見せてあげるね」


 美女と誰もが認めるイデリーナにほほ笑まれながら、このようなことを言われたバロンは顔を少し赤くした。


 一方そこで弟のケレンが帰ってくる。彼は「敵」と姉がいい感じになっているのを見て怒った。少年は二人の間に割り込んで、バロンに怒鳴った。


「お前! 姉ちゃんに近づくんじゃねぇ!」


「ケレン! 『お前』じゃなくてバロンさんでしょ?」


「嫌だ、こいつの名前なんて一生呼ばない!」


 ケレンはふてくされたまま、自分の部屋に閉じこもった。


「困ったわねえ……。お母さんはケレンがまだ小さいときに亡くなったから、あんなに抵抗しているのかしら」


 ため息をつくイデリーナ。しかしすぐに表情が愛おしく思うものに変わった。


「でも私にとってもケレンはこの世で一番大切な人よ。私のかわいい、かわいい弟。なにかあったとしても、絶対に守り抜くって決めているの」


 バロンは自分の兄を思い出した。イデリーナが兄であれば、ケレンは自分自身だ。全てを憎むその姿は、かつての自分と同じである。その事実に気が付いたバロンは思わず目を伏せた。


 日常は普通にすぎていった。バロンはこの狭い空間の中にあるペストの集落になれていった。人々は敵ではなかった。自分と同じただの「人間」だった。肉親や仲間を殺され、ここに逃げてきた人ばかりだった。


 なんで今までその事実に気が付いてなかったのだろうか。なぜ彼らが悪魔に見えていたのだろか。それは幼少期の記憶のせいか、それともそれが正しいことであると周りの人々が信じていたせいか。


 逆に言えば、最初は警戒し、たまにはひどい言葉をかけてきたペストたちは、バロンの話を聞いて、彼が自分たちと変わらない者であることを知った。


 人の憎しみとは実際ささいなことかもしれない。人間とは結局情に弱く、揺れ動いてしまう生き物。相手のことを知る機会さえあれば……自分と相手に共通点があることがわかれば、考えが変わっていくのかもしれない。


 しかし、もちろん、憎しみを忘れられない人たちもいる。そういう者は物事を大きく動かす原動力があり、世界の支配者となる可能性を秘めている。


 ケレンはそれに近い人物だった。彼はバロンを受け付けなかった。彼と姉が仲良くしていなかったら、少しだけでも心を開いたかもしれない。だが、今のケレンにとって、バロンは安保隊という母を殺した敵、しかも姉をも奪おうとしている極悪人であった。


 そんな彼にバロンは自分を重ねた。だから一瞬「生意気なガキだ」と思っても、次の瞬間には痛みというか憐れみを感じた。

 奪われた命は帰ってこない。恨みは募るばかりだ。バロンはその気持ちが痛いほどわかった。


「この村はお父様が作ったものなのよ」


 イデリーナは逆に憎しみからは遠い人物だった。彼女はバロンに様々なことを語る。


「私たちがまだほんの小さいときだったけれど、かつて人間とペストが共存していた時代があった。だけどいつの間にかペストが危険って言われるようになって、お互い殺しあうようになってしまった。そこで私たちは隠れるために、ここを開拓した。岩を削って……。土を持ってきて……。村人たちのほとんどが、襲撃されて逃げてきた人たちなの」


 イデリーナは目を細めて、窓の向こうにある緑色の畑を見た。岩をも削れる能力をフォーゲルが持っているのか。ならば相当強いものに違いないとバロンは思った。


「私たちはお互いを憎んでしまっている。今は仲直りすることは不可能かもしれないけれど、将来もしかしたら……またペストと人間が共存できる世界がやってくるかもしれない……って私とお父様は信じているの」


 それはただの理想であった。以前のバロンであれば「そんな時代なんて来るわけないだろう」とその夢を馬鹿にしたであろう。だが、彼は何も言わなかった。ただそう語る17歳の少女を美しいと思っただけだった。

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