第6話 よみがえる過去
バロンは両親と4歳年上の兄と、穏やかな農村で暮らしていた。何も起こらない静かな生活。当時はつまらないと思っていたその暮らしだったが、今は全てを犠牲にしてもそのときに戻りたいと感じる。
農村には普通の人間しか暮らしておらず、彼らは小麦を育てるという仕事を毎年毎年こなしていた。だが、バロンが12歳のころ、よそからきた奇妙な人たちが、バロンの家を訪問したのだ。
「この家の畑を売却する気はないか?」
真っ黒なスーツを着た奴らはそう尋ねた。しかし、ファーラー家にとってその土地は大事なもの。土地がなければ日々のお金は稼げない。丁寧に断ろうとしたものの、奴らはかなりしつこかった。
「いずれはこちらが買収するからな」
物騒な言葉を残して、よそ者たちは去っていった。
そのときはファーラー家に直接的な被害はなかったが、変なことが起こり始めたのは事実だった。周りの農民たちが次々と自分の土地を売っていった。まるでなにかにおびえているように。バロンたちは一体なにが起こっているのか農民たちに聞いてまわったが、彼らはただ恐怖心で真っ青になった顔で首を横に振るだけだった。
数か月もたたないうちに、バロン家の周りの土地は全て奴らのものとなった。彼らはもう一度こちらを訪問して同じ質問をした。
「どうだ、畑を売却する気にはなったか?」
「何度言ったらわかるんだ、ここを売る気はない」
「ほう、ならば10日待ってやる。そこまでに売却しなければ恐ろしいことが起こるぞ」
奴らはけらけらと笑った。
その言葉で父親は悩んだ。恐ろしいこととはなんだ。なにが起こるんだ。これは脅迫か? 警察へ行くべきか? 大人しく売却すべきか?
警察へは行きたい……だが、もし相手に気づかれてしまったら? 殺されてしまうのかもしれない。それにもう一つ、警察へ行けない障害があった。雪だ。脅迫されたその日からずっと猛烈な吹雪が吹いているのだ。車でもこの中では動けやしない。
「ねえ、兄ちゃん。オレたち大丈夫だよね。何も起こらないよね」
不安な空気を感じていたバロンは兄に尋ねる。
「もちろんだよ、バロン。父さんがあんな奴ら追っ払ってくれるさ」
兄はいつもとかわらない明るいニカッとした笑顔で、バロンを励ました。
2日前になって、やっと父親は電話した。警察はその話に驚き、すぐに迎えに来ると言った。もう助かったかと思ったが、実際そうではなかった。
真夜中にドアのノックが響いた。
荷物の準備をしていたファーラー家はそれにこたえる暇はなかった。だが、ドアはひとりでに開き、奴らのうちの一人が入ってきた。相変わらずスーツを着ていた。
「警察に連絡したな? 恐ろしいことがあると警告したのにもかかわらずだ。残念だったな、ファーラー。偉大なる自然はお前らを逃さない」
なにか男の手が青白く光ったかと思えば雪崩が起きた。大量の雪が屋根を折って入ってくる。
「父さん、母さん!! 兄ちゃん!!」
バロンの悲痛な叫び声は全てかき消された。
後は痛み、寒さ、そして恐怖。闇の中で、たった一人。父と母の声は聞こえなかったが、兄の声はしばらく耳に届いていた。会話さえできた。
「兄ちゃん、オレ怖いよ……」
「大丈夫だ、バロン。もうすぐ救助隊が来る。父さんも母さんも生きているよ!」
兄はバロンを激励した。___実際、その発言は嘘で、両親はとっくの昔に絶命していたことが後でわかったのだが。
時間が過ぎていくたび、兄の会話の空白は増えていった。バロンは怖くなって、兄を呼ぶ。
「にいちゃん、にいちゃん!」
兄の最後の言葉はこうだった。
「バロン、オレの分もちゃんと生きるんだ。絶対にあきらめちゃだめだよ」
救助隊はその数分後に来た。一番最初に救助されたバロンのみが生き残った。
警察は他の農民の土地を買収した人たちを調査したが、彼らがペストとつるんでいる証拠、農民たちへの脅迫の証拠もなにも見つからなかった。結局事件はうやむやになってしまったのである。
一人になったバロンは復讐することを誓い、安保隊に入った。
「うわぁ……」
話を聞いていたハンスは、思わず声を上げた。
「なんだか……申し訳ないよ。こんな過去じゃあ、ペストを嫌うようになってもしょうがないね」
ハンスが聞いてくれて、バロンは少し救われた気がした。ペストは全員人間を滅ぼすべきだと考える残忍な人たちばかりかと思っていたが、どうやらそうでもないみたいだ。
「お前はどうなんだ?」
「僕? あー、いたってシンプルだよ。6歳のころにペストになって……」
「待て、6歳のころ? ペストは生まれたころからペストなんじゃないのか?」
「まさか! 安保隊のくせに何も知らないんだな。全員、途中からペストになるんだよ。原因はよくわかんなんないんだけどね。あまり覚えていないけれど6歳のとき、木登りしていたら落ちて、その時以来不思議な力を使えるようになったんだ。まあ、それで13までなんとなく暮らしてたんだけど、誰かが安保隊にチクったらしくて、両親の犠牲で僕は生き残った。アルプスまでなんとか逃げ切ったときに、フォーゲルさんが拾ってくれた」
軽い調子で話すハンスだが、目には光がなく、その出来事がいかにまだ少年だったハンスに傷を与えたかがわかる。
「なんだか僕たち、過去だけは似てるよな」
ハンスが微かに笑いながら言う。バロンは少し驚いたが、否定する気はなかった。
「そうだな、お前とは仲良くなれる気がする」
安全保障隊隊員だった青年はぼそっと呟いた。
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