7

 だが、アレクシスは足を止めることなくベッドに横たわると最初を再現するように顔に雑誌を乗せた。


「次来る時は正式に決まった時にしろ」

「あんたが、あたしからお姉ちゃんを奪ったのよ!」


 その上から見下ろしたような態度に引き金を引かれ、陽南の中でアレクシスに向けられた怒りが小さな爆発を起こした。怒りを燃料に振り下ろされる拳はガラスに何度も叩きつけられ、高ぶった感情が声を張り上げさせる。


「なのに理由を教えない? 何様よ! 例えどんな理由があったってあたしは絶対にあんたを許さない。これからはあたしがお姉ちゃんに色々と恩返ししようと思ったのに。あんたが居なかったら今もお姉ちゃんは……」


 最後の一発は弱々しくガラスに触れるようだった。最後まで言葉を運べなかった声は段々と小さく――そして消えた。

 だが、それでも尚アレクシスからの反応はない。自分の声が溶けるように消え、訪れた沈黙の中、陽女は下唇を出血してしまいそうな程に強く噛み締めた。


「大丈夫か?」


 そんな陽南の肩へ手を乗せながら知真は心配そうに声をかけた。


「はい……」

「もう戻ろう」


 そしてか細い声で返事をした陽南を連れ知真は収容部屋を後にした。

 アレクシスはそんな部屋を去ろうとする二人の後姿に雑誌を上げて一度目をやるが、直ぐに雑誌を戻すと寝息を立て始めた。

 収容部屋を出て刑事部第一課に戻った二人。知真は彼女を左手のソファへと座らせた。そして自分は反対側のソファへ。


「今回の件は忘れてくれ。上にもそう伝えておく。本来ならば我々が下調べし君の耳に入れる前に判断すべきだった。すまない」


 先程の陽南を見たからかより一層申し訳なさそうに知真は頭を下げた。


「いえ。私こそお力になれず申し訳ありません」

「君が謝ることはない。気分が落ち着くまでゆっくりするといい。私は仕事に戻るが何かあれば七海君に言ってくれ」

「はい。ありがとうございます」


 陽南はお礼を言いながら座ったまま頭を下げる。そのお礼を受け取りソファから立ち上がった知真は支部長室へと戻った。

 それから少しして俯きながら色々と考えていた陽南の前にお茶が差し出された。


「どうぞ」


 顔を上げるとそこには笑みを浮かべた七海が立っていた。


「あっ! そうだ!」


 お礼を言おうとした陽南だったが、七海のその声に言葉を喉で止める。

 一方、七海は何を思い出したのか声の後に給湯室へと向かった。そしてすぐに戻ってきた七海が持ってきたのは一切れのケーキ。


「甘い物食べると元気出るよ」

「ありがとうございます」


 七海は陽南のお礼にまた口角を上げると隣に腰を下ろした。丸いお盆を膝に乗せ相変わらずニコニコとしている。


「そういえば自己紹介とかしてなかったね」


 そう言うと顔を陽南に向ける七海。


「えーっと。ここで主にみんなのサポートをしてる木田七海です。サポートって言っても殆ど雑用とかだけどね」


 だけどそれを嫌だとは思っていない事は相変わらず浮かべた彼女の笑みが語っていた。


「私は今日、警察学校を卒業したばかりの雨夜陽南です」

「陽南ちゃんか。いい名前。よろしくね」


 七海の差し出した手を両手で握り返した陽南は『よろしくお願いします』と言いながら頭を軽く下げた。


「今日卒業ってことは卒配はどこだったの?」

「新宿警察の予定でした」

「新宿かぁ。大変って聞くけどね。あっ、全然食べながらでいいよ。実はそのショートケーキわたしが作ったんだ」

「そうなんですか!? ケーキ屋さんのケーキかと思ってました」


 その思わぬ発言に少し声を上げてしまう陽南。


「でしょでしょ。もちろん味も美味しいよ」

「それじゃあ、いただきます」

「どうぞどうぞ」


 早速、陽南はお皿に手を伸ばし先端部分を一口サイズに切るとそれを口に運ぶ。ふんわりしたスポンジと甘すぎないクリームのケーキはお店で出してもいいレベルで美味しかった。

 その美味しさに陽南は、気が付けば笑顔を浮かべていた。


「すっごく美味しいです」

「ふふ。よかった」


 それから陽南はケーキを食べながら七海と雑談をした。

 そして気持ちも大分落ち着いた陽南は帰る前に知真へ一言言っておこうと支部長室のドアを叩く。返事が返ってきた後にドアを開き中へ入った。


「気分も大分落ち着きましたのでそろそろ帰ろうと思います。警察官なら本当は私情を挟まず犯罪撲滅のために協力すべきなのでしょうが申し訳ありません」

「警察官とて人間だ。気にするな。それと、帰るなら家まで部下に遅らせよう」

「いえ。大丈夫です。そこまで手間をかけさせる訳のは申し訳ないので」

「ここまで勝手に連れてきたのはこちらだ。それぐらいさせてくれ」


 知真はそう言うと立ち上がり部屋を出た。


「九条。今大丈夫か?」

「はい。何でしょう?」

「雨夜君を家まで送ってくれ。私はまだ仕事が片付いてなくてな」

「はい。分かりました」


 そして知真は後ろで立っていた陽南の方を向く。


「今日は申し訳なかった。確か君の配属は新宿だったな?」

「はい」

「私から署長には連絡をいれておく。また警察署の方から指示があるだろうそれに従ってくれ」

「分かりました」

「ではこれから警察官として頑張ってくれたまえ」


 知真はその言葉と共にお手本のような敬礼をした。


「はい」


 それに対し陽南も姿勢を正し身に沁みついた敬礼を返す。


「では九条、後は頼んだ」

「はい。行くわよ」


 そして陽南は凛香の運転する車で家へと帰った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る