5

「大丈夫か?」


 少しの間、黙り込んでいた陽南へ心配そうな声をかける知真。その声にいつの間にか俯かせていた顔を上げる。


「はい。――あの、確か犯行の理由は分かってないって言ってましたよね?」

「あぁ、何度も取り調べはしたが事件に関しては何も話さなかった。だが犯行自体は認めている」

「そうですか」


 正直に言ってしまえば今すぐにでも断りたかったが、あんなことを思い出した所為かこのまま負の感情に従い断っていいのかという疑問もある。まるで天使と悪魔が争うように陽南の心の中では葛藤が繰り広げられていた。


「その人は今、どこにいるんですか?」

「その男は今、我々の下にいる」

「下? ですか?」


 何気なくした質問の答えはすぐにはピンとこないもので思わず首を傾けた陽南。


「この下に吸血鬼専用の特殊な収容部屋が作られた。もしもの場合に我々がすぐに対処出来るようにな」

「なるほど」


 確かに犯行の理由は分からず一年前の事件の全貌が明らかになった訳ではない。

 だがその男が自分の姉を殺したのことは事実であり今の彼女にとっての真実。それだけでこの件を断るには十分であり、それ以外の情報があろうともそれがブレることはないと陽南は思っていた。何をしようが、何を知ろうが姉はもう戻って来ないなら今はとにかく自分を支配している不快な感情から逃れたい。

 そう思っていたはずだったが、陽南の口から出た言葉は自分でも驚くようなものだった。


「その人に会わせてください」


 その言葉は彼にとっても予想外だったのか知真はすぐには答えなかった。

 だが少しの沈黙の中、何より驚いていたのは陽南自身。


「(私何言ってるんだろう……。お姉ちゃんを奪った人に会おうだなんて。顔すら見たくないはずなのに……)」

「――明日なら許可しよう」


 もしかしたらそれは知真の優しさだったのかもしれない。陽南の精神状態を考慮し少し考える時間と気持ちを落ち着かせる時間を与えようとしたのだろう。

 その優しさは陽南も感じていた。

 だが明日になったらこの気持ちも変わってるかもしれない。その可能性があることを分かっていたからこそ、今日のうちに会っておくべきだと強く感じていた。


「もし私の為にそう言って下さっているのなら、大丈夫です。会わせて下さい」


 決意の籠った力強い声と双眸に知真は少し考える素振りを見せた。


「――分かった」


 あまり気乗りはしないといった雰囲気だったが知真はそう答えるとデスクに手を着け重そうな腰を上げる。


「では案内しよう」


 彼がドアまで歩みを進めている間に陽南も立ち上がり、後に続いて部屋を出た。それからエレベーターまでの途中、背後に立つ女性に見張られながらデスクでキーボードを叩く青年は二人を横目で見ると手を止めて椅子を回転させ体を向けた。


「もうお帰りっすか?」


 両手を頭の後ろで組みリラックスした青年の声で足を止めた知真に続き陽南も足を止める。


「下へ行く」

「えっ! 下って……。正気っすか? 支部長」


 青年は信じられないと言いた気に顔を歪ませた。


「彼女の要望だ。仕方ない」


 その返答に青年の視線は陽南へ。


「お前、見かけによらずメンタルつえーな」

「ど、どうも」


 自分でも驚いている最中なのだがそれは言わず少し頭を下げながらお礼を返す。

 だが何だか強い振りをして嘘をついているみたいという若干の罪悪感が一瞬だけ言葉を詰まらせたのを彼女以外は知る由もなかった。


「見直したよ。――ったく。しょーが――」

「ダメよ将悟」


 そう言いながら立ち上がろうとした青年を将悟と呼びながら後ろの女性が肩を押さえつける。


「んだよ凛香。俺はただこの子にもしものことがないようについて行ってやろうとしてるんじゃんか。紳士心だよ」

「第一にまだ報告書が残ってる。第二に支部長がついてるからもしもはない。仮にその状態で起きたもしもならあなたがいたとろこで何も変わらないわね。とういうか、ただ単に報告書書きたくないだけでしょ? そうはいかないわよ」

「チクショウ。折角そのまま逃げられると思ったのによ」


 計画が崩れ去った将悟は文句を零しつつも再びデスクの方に体を向けキーボードに手を伸ばした。


「戌井。前の報告書は誤字脱字が多かったぞ。最後にもう一度確認してから提出しろ」

「へいへーい。りょーかいしましたぁ」


 そして再びエレベーターに向け歩き出した知真の後を追い、陽南はエレベーターに乗り込んだ。

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