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「いただきます」


 陽南は軽く頭を下げてからお茶へ手を伸ばした。そんな彼女より少し遅れて珈琲を手に取る知真。


「ですがわざわざ事故にしなくとも研究に協力してもらうことはできるのではないのでしょうか?」

「そのことに関しては私も上へ意見したが結果は変らなかった。恐らくもしもの場合を恐れたのだろう」

「もしもの場合ですか?」


 パッと思い付く理由がなかった陽南は考えながら率直に尋ねた。


「研究の途中に何らかの影響で対象が死亡した場合だ。その場合、様々なところから色々と言われることは目に見えている。どんな組織の上層部も責任は嫌うものだ。それ以外にも理由は山ほどあるとは思うがやはりそういうことだろう。だが隠す方が公になった場合のリスクは高い。だが一応そこも加味しての判断なのだろう」

「つまり存在を隠した方が得だったということですか?」

「そう言うことだ」

「ではその研究で何か成果はあったんですか?」

「まだ実現とまではいっていないが彼らの細胞を利用した新たな治療法の研究が進んでいる。どの病気に効くかなどの実験は未だ続ているが実現できれば病気に苦しむかなりの人を救えるだろう」


 公にされずともその研究したことで助かる誰かがいるなら、少しだけ……ほんの少しぐらいは気分が晴れる――のかもしれない。いや、結局はそれは事後のことでその人が刑務所に行こうが研究所に行こうが澪奈が居なくなったことに変わりはない。

 そんな事を考えると、陽南は何だか事件が事故として処理された事もどうでもよく感じてきた。


「分かりました。では本題というのは?」


 納得言うにはまだ整理もついてなければ半ば無理やりだったが、とりあえず今のところは呑み込んだ陽南はやっと本題へ手を伸ばした。


「その前に君に伝えておきたいことがある。一年前の事件で亡くなられた雨夜澪奈さんが君のお姉さんだということを我々は知らなかった。だがそれは調査を省いたこちらのミスだ。申し訳ないがもう一度上と話し合う必要がある。内容は今話すが君もよく考えてみてくれ」

「はい」

「それともう一つ。これは確認だが、恐らくこの話は君の気分を害するだろう。それでも聞くか?」


 なぜ念を押すようなことを言うのか陽南には見当もつかなかった。


「はい。大丈夫です」


 だから心の中で小首を傾げながら当たり前のようにそう返事を返した。


「分かった。では――先程から話をしているこの男だが一年間の研究を一時的に終え、現在は特殊な部屋に収容されている。罪に問わなかったとはいえ十人もの人間を殺したこの男をそう簡単に解放するわけにはいかない。そこで次はヤツの力を利用できないかと上は考えた訳だ。しかし何もなしに協力をさせるわけにもいかず監視役付きという条件の元で意見がまとまった。だが本人の承諾なしには始まらない。そこで奴に協力の意志があるかを問いかけたわけだが、一つだけ条件を出してきた」


 真っすぐと立った人差し指と共に知真はひと呼吸分の間を空けた。


「――それは、雨夜陽南。君を監視役にすることだ」

「え?」


 それは無意識に漏れた心の声。それ程までにそれは予想の出来ないことだった。


「ど、どうして私を?」

「それは分からない。理由も話そうとしなかった」


 首を横に振る知真は自分達も疑問に思っていると言いたげな表情をしていた。


「ちなみにその監視役というのは何をするんでしょうか?」

「奴の力が事件解決に必要または奴の力があれば円滑に事件を解決できると判断した場合に出動許可が下りる。その際、収容部屋の連れ出しから再び中へ戻すまでの間ずっと奴を監視する役割であり、事件に無関係な人々への危害や必要以上の事をしないように見張り制御する言わば奴の手綱を握る係りだ」


『何で私がそんな事を?』それが陽南の率直な感想だった。自分から姉を奪った男が憎く無い訳がない。出来ることなら全身からかき集めた憎悪でその男を殺したい程に憎く思っている。特に今は。

 そんな男を出動の度に迎えに行き、行動を共にし、監視をするなどもはや考える事すらしたくない。そんな感情が陽南の中では広がっていた。


「(もしこの男の協力が色んな人を助けるとしてもそれは絶対に嫌だ)」


 そう陽南が心の中で呟いたその時、何故か分からないがふと姉との会話を思い出した。唐突に鳴りだす着信のように前触れもなく記憶が蘇る。


『いい陽南。情報っていうのはとっても大切なのよ。知ることで視野は広がるし、時には陽南の考えを百八十度変えてしまうかもしれない』

『急にどうしたのお姉ちゃん? もしかして酔ってる?』


 ソファに座る陽南はお酒を片手に少し寄りかかる澪奈へどこか呆れたような笑みを浮かべていた。


『まぁ少しはね。でも可愛い妹に教えておきたいことがあるのよ。知る楽しさと大切さをね』

『ちゃんと勉強しろって話? だったらしてるよ。心配しなくてもね』

『そういうことでもあるけど。私が言いたのは知ることで見えなかったことが見えてくるってこと。ほら、私達もたまに喧嘩するけどちゃんと話し合えば仲直りできるでしょ? 私は陽南の意見を知ることで、陽南は私の意見を知ることで見えてなかった部分が見えて理解し合えるのよ。人間って自分のことしか理解出来ないし――いや、それすらも怪しいけど。それに自分の知識の範囲でしか物事を見られない。結構視野の狭い生き物なのよ』

『えーっと、つまり?』


 上手く意味を理解出来ず陽南は小首を傾げながら眉間に皺を寄せていた。


『つまり陽南には自分が無知で、他人は意外と分からなくて、見ている真実が本物か分からないってことを知ってほしいの。そして本物かどうかを判断する為には沢山の情報を集めるべきだってこと。でもその情報は際限ない』

『う~ん。分からないけど、分かった』


 それは何となく分かりそうで、だけど分からなそうで。矛盾したような感覚だった。


『あれ? 意外とまとまってなかったかな? きっとお酒のせいね。でもね、結局最後に頼るべきは自分の心よ』

『何そのオチ?』

『重要なことよ。自分の心で、自分の判断で決める。そうすればどんな決断をしても、どんな結果でも全てが正しい。でも感情は最後の決断だけね。変な主観が入って情報が濁ったらもったいないわ』


 そう言って澪奈はお酒を口へ。それからも二人は楽し気に会話を弾ませた。


「お姉ちゃん……」


 何故それを思い出したのかは分からなかったが、陽南は無意識に呟いていた。それと同時に溢れ出してきた悲感をグッと堪える。

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