2-5
*****
数日がたち、私は聖騎士団の巡回に同行することになった。教会用の白い馬車に乗り、王都を出て北へ向かっている。本来はルシャーナ嬢の当番ではあったが、彼女はなぜか当日になるたびに熱を出して寝込むらしい。
「でもね、彼女の熱は
馬車の中でエマさんが言った。馬車の中には私を
神官の一人が
「仮病だって思う
「そりゃあね。だっていつもは元気なのに、当番の日だけ熱を出すなんて不自然でしょ? 一度だけエバンス家のお
私とエマさんが話していると、他の聖女たちがためらいがちに口を開く。
「屋敷ぐるみで
「そりゃね、まさかエバンス家まで押しかけて仮病を暴いたりできないでしょ」
(……仮病のフリするぐらい、討伐に同行したくない理由があるってことかな)
ルシャーナ嬢のやり方はともかくとして、私は今回の件をむしろ幸運だと思っていた。
何しろ彼女が
(もしかしたらアレク様が戦うところを見られるかも? ちょっとワクワクするわ……!)
アレク様が怪我をしたらと考えると怖いけど、それでも私は彼が魔物と戦うところが見たかった。
でもこれはあくまで聖騎士としての彼の
例の件について悩んでると頭が
馬車は深い森の中でとまった。扉が開けられて、外を見るとカルロス君が立っている。
「今日は僕が、神官さんと聖女さんたちの護衛をしますね」
「……え? カルロス君だけで?」
周囲を見ても聖騎士はカルロス君だけだ。彼は子犬のような
「聖騎士の隊はかなり先行してます。今日は四つの隊に分かれて巡回中ですが、もうこの辺りの魔物は討伐済みなので安心してください」
「そうなんですか」
そこでなぜかカルロス君は私に少し近寄り、小さな声で言った。
「ヴィヴィアン様の加護があるから、護衛は一人だけで大丈夫だと判断されたんですよ。この辺りには中型の魔物しか出ませんからね。今までは護衛に五人の聖騎士をつけていましたが、それだと僕たちの負担も大きかったんです。あなたのお陰で仕事がしやすくなりました。ありがとうございます」
「そ、そんな、お礼なんて……。でも役に立ててよかったわ」
じんわりと胸が温かくなり、聖女になってよかったと改めて思った。
エマさんたちも後ろで「本当に魔物が出ないわね」と不思議そうにしている。しばらく歩いても魔物の気配はなく、気が抜けた頃に遠くから「ズズン!」と重い物が落ちたような音が聞こえてきた。
「今の音、何かしら」
「地響きみたいだったわね。すごく重い物が落ちたような……」
カルロス君の顔に緊張が走り、上空を眺めていた彼は小さく舌打ちしている。
「すでに巡回済みの地点だ。どこかに隠れていたんだな……! すみません、ちょっと急ぎます! 怪我人が出たかもしれない!」
歩く速度が速くなり、ほとんど小走り状態で森の中を進む。
(キュロートでよかったわ。前のスカートじゃ走れなかったわね)
進んでいるうちに、上空に小さな黒い点が見えてきた。その点はすごい速度で動いていて、地上に降りたり上空に戻ったりしている。エマさんが悲鳴のような声で叫んだ。
「
(翼竜!? あれが……)
通常であれば教本でしか見ることのできない、鋭い
イベティカ山脈のどこかに巣があるとされ、人里近い場所には出てくるはずのない魔物だ。
「こっちだ!
聖騎士の一人が大木の近くで手を振っている。彼の元まで駆け寄ると、怪我を負った数人の聖騎士が樹木にもたれかかっていた。どの聖騎士も肩や背中がざっくりと深く切れていて意識がない。
「かなりの重傷だわ。私はこの方を治療するから、皆は他の方をお願い!」
「はい!」
エマさんの指示で、私は背中を深く切られた聖騎士に近づいた。出血がひどい。
(これは間違いなく重傷用の呪文ね)
一度だけ深呼吸をし、肺に
「《
詠唱した瞬間、指の先から血が抜けていくような感覚があった。くらりと
(一番神聖力を使う呪文だから、体の負担も大きいっ……! ―― ……あれ?)
しかし目眩がしたのは一瞬だけで、治療が終わる頃には体が楽になっていた。その時にやっと『互換』のことを思い出す。
(そうか、消費した分はアレク様の神聖力が補ってくれたんだわ。頭では分かってたつもりだけど、実際に体感すると不思議な感じ)
治療が成功してホッとしたけど、翼竜はまだ暴れ続けている。鋭い爪は岩も簡単に
「危ない、逃げてください!」
カルロス君が私たちの方へ向かって叫んだ。横からメキメキと嫌な音が聞こえてきて、ハッと振り返ると、こちらへ倒れてくる大木が見える。
(さっきの地響きはこれだったんだ!)
危険だとは分かっても、私たちは逃げるわけにはいかなかった。治療が済んだ聖騎士たちがまだ目を覚ましていない。
(ど、どうしよう!? この人たちを置いていけないし!)
迷っている間にも倒れた木が近づいてくる。絶望に目を閉じた瞬間、ふわっと風が吹いて聞き覚えのある声がした。
「大丈夫か!?」
(――え? まさか
ぽかんとしてるとまた風が吹き、アレク様の姿が消えて、次の瞬間には彼は上空を飛ぶ翼竜に切りつけている。速すぎて何がなんだか分からない。
目を
(す、すごい! あっ、また体が……)
体がほんの少しだけ重くなり、体内の神聖力が減ったのが分かった。あそこまで強力な攻撃をすると、アレク様もかなり神聖力を消費するらしい。
翼を切られた翼竜が落ちてきて、聖騎士たちの
アレク様を見つめる団員たちの瞳には、確かな
「空まで飛び上がるとか、剣を光らせて
「まさか。あんなことができるのは、団長様だけよ」
エマさんが苦笑しながら言った。そして「すごいけど、ちょっと怖いかな」と呟く。
(怖い? アレク様が?)
首を傾げてると、そのアレク様が息を切らしながら私の方へ走ってきた。翼竜の討伐が終わったらしい。
「大丈夫か? 怪我はない?」
「はい、私は大丈夫です。『互換』のお陰で体もつらくなかったですよ」
にこやかに答えたのに、なぜか彼は浮かない表情だ。
そして普段のアレク様では考えられないような、暗くて小さな声でぼそぼそと言った。
「……俺が戦うところ、見てた?」
「見ました。すごかったですね」
「…………怖くなかった?」
とても不安そうな表情だった。何かに怯えているようにも見える。
(もしかして……私が怖がるかもって考えて、怯えてるの?)
急に胸が苦しくなってきた。でもいつもみたいなドキドキではなく、きゅうっと
「全然怖くありませんでした。皆の命が助かったのは、アレク様が頑張ってくれたからです。ありがとうございます」
彼がいなければ、恐らく私たちは
それが伝わったのか、アレク様がようやくホッとした表情になる。
(ああもう……。なんなの、この気持ちは。なぜか
これも彼を意識してるからなのか。もう本当に自分のことが分からない。
この時の私は、自分のことだけで
*****
「チッ、失敗か。翼竜を呼んでも殺せないとは……。あの男は真の化け物だな」
双眼鏡をおろし、男は
「やはり聖騎士団が我々を
「馬鹿なことを言うな、まだなんの成果も出てないだろうが。まさかお前、自分だけ逃げるつもりか? 私の指示で動いたお前も同罪だからな。逃げようなどと考えるなよ」
ダーリックが言うと、
フラトンでは
ダーリックがしていることは、まさにその犯罪の再現だった。
「ですが、召喚ではダーリック様の望みは
侍従の言葉にダーリックはもう一度舌打ちをした。
あの男が化け物のように強いことは知っていたが、さすがに翼竜を相手にすれば死ぬと思っていたのだ。かなり苦労して召喚した魔物があっさりと討伐された事実は、ダーリックをさらに打ちのめした。
(ちくしょうが! なぜ私には
貴族の頂点となる未来は、生まれた時点ですでに約束されていた。しかしダーリックが真に望んだのは、聖騎士となり、彼らを
(神官などただの
十五歳になる頃には、自分には聖騎士の素質がないのだと
ダーリックには、剣に付与された
父は
(この
双眼鏡を覗き込み、もう一度聖騎士たちの様子を
「あの聖女……奴がご
「私が彼女を呼び出しましょうか?」
「いや、それは
そして今度こそ、
男が苦しむ顔を思い浮かべ、ダーリックはにたりと笑った。
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