2-1


 こよみ五番月サンキエムに変わり、初夏らしく気温が高くなってきた。

 でもフラトンにく風は年中カラッとしているから、たとえ真夏でも暑すぎるということはまずない。今もすずしい風が吹いている。


「はあ、歩きにくい。聖女の服ってすそが長すぎるわ……」


 私はめでたく聖女になり、ミドルネームに聖職者を表す『ルーチェ』をさずけられた。朝にアレク様が馬車で教会本部まで送ってくれて、今はほんとう内部の聖堂を目指してろうを歩いているところだ。

 私が聖女になってまだ一週間ぐらいだけど、たまに教会の周囲をあのブルーノという男がうろついていることがあった。本当にしつこい男だと思う。

 過保護なアレク様は私を心配してそうげいを続けてくれているけど、ブルーノがねらっているのは私だけではないらしい。

 さくの向こうからこんだと思われる聖女を見る目付きは、ぞっとするほど気味が悪かった。


(未婚の聖女ならだれでもいいってことね。気持ち悪いなぁ……。ああもう、それにしても歩きにくいわね、この服!)


 歩くたびに長い裾をみそうになる。聖女のスカートは古風で上品なデザインなんだけど、地面すれすれの長さだから非常に歩きにくいのだ。

 やっとたどり着いた聖堂で、さいだんに向かって両手を組む。


「えーと……。かいを守り、悪に耳をかたむけずたみはんとなること。自己のために進んで善をおこなうこと。世の人々を教え導き、利他にくすこと。…………最後はなんだっけ?」


 これはよんかいというもので、聖職者として守るべき行動はんを示しているそうだ。毎朝唱えることになってるんだけど、私はまだ完全に覚えていない。

 どこかにヒントでもないかとキョロキョロしていたら、


たましいに定められた使命を果たし、てん寿じゅを全うすること、でしょ。ヴィヴィ姉ちゃん、まだ覚えてないの?」


 低い位置からわいらしい声が聞こえてきた。


「あっ、ルカ君。おはよう。ルカ君はかしこいねぇ」


 六歳の男の子が、私にめられてまんざらでもなさそうにほおを染めている。この子は私が聖女になってから何かと教えてくれる可愛いせんぱいだ。

 教会本部の東の建物は教育棟で、聖女から生まれた十五歳までの子どもたちが集められて、保育と教育を受ける場所になっている。私はもう十七歳だけど、年下の彼らの方が聖職者としてはずっと先輩なのだ。ルカ君といっしょに教育棟まで歩き、廊下の角で別れると、彼はスキップしながら幼少部の方へもどっていく。


(可愛いなぁ。クリスのちっちゃいころを思い出しちゃうわ)


 そのクリスは、手紙で私が聖女になったことを伝えると相当興奮したようだった。しんぴょう性を高めるために、クラリーネ様にも一筆書いてもらったからかもしれない。

父もクリスも読むのが大変なぐらい長い手紙を送ってきた。でも要約すると、『すごいぞ、がんれ』のひと言で済むような内容だった。


「そう言えば、ライラさんたちもかなり興奮してたな……」


 先月に退職したいと事情を説明したら、ライラさんも先輩たちも「こうぼうから聖女が出るなんてえんがいい!」とおおさわぎしていた。

 ライラさんは「きっとまた会うことになるよ」とニヤニヤしていたし、先輩の一人は「幸せになってね」と泣いていて……私は首をかしげながら工房をあとにしたのだった。


(ライラさんも先輩たちも、なんか様子が変だったけど……まあいいか)


 廊下を進み、教室のとびらを開ける。室内には十四歳から十五歳の子が集まっていた。今からここで神聖ほうの授業があるのだ。私は毎日午前中だけ授業を受けている。


みなさん、おはようございます」


 講師のエリゼオ様が入ってきた。この方は教会本部に五人いるかんとくかんの一人で、その役職は大聖女様の次席に当たる。前も一度会っているけど、その時はこんなにえらい人だとは知らなかった。

 聖クラルテ語と神聖魔法の研究者だからか、うんちくを語り出すとすごく長い。

 気になる研究課題があると長期きゅうを取って各地に調査へ行ってしまうので、しばらく姿を見ないな、ということもあるらしい。


「今日は基本の回復魔法の一つ、《聖なるほどこしを受けよ》のおさらいをしましょう。これは軽傷用のじゅもんえいしょうも短いですが、一つ注意点があります」


 エリゼオ様は説明しながら黒板に呪文を書き出した。


「《聖なる御手》の部分は、まず問題なく詠唱可能でしょう。注意すべきは後半の《施しを受けよ》の部分で、ここはれることなく一気に詠唱してください。どこかで区切ったりすると呪文が発動しないだけでなく、空気中に大量の神聖力を放出することになって体力をしょうもうします。ではいつものように練習してみましょう」

 

 となりの席に座る生徒同士で呪文をけ合うことになった。私の隣の子は十四歳だったけど、舌がもつれそうな発音の呪文をスラスラと詠唱し、周囲の子も同じく慣れた様子だ。


(うっ……なんか、プレッシャーを感じるわ。この中では私が一番年上だし……)

「次はヴィヴィさんの番だよ」


 隣の子に言われ、きんちょうで手をプルプルさせながら詠唱する。


「《っ……聖なる御手の、施し、を受け……》」


 呪文が途切れてどっとろう感が押し寄せる。に神聖力を放出してしまったつかれだ。

 もう何度か練習しているのに、緊張のせいかどうしても後半がなめらかに詠唱できない。

 失敗した時のこの重たい疲労感もくせもので、「失敗したらまたアレが来る」というおびえにつながっていた。


「気にしなくていいよ。最初はみんなそうだったからだいじょう!」


 周囲の子がはげましてくれるけど、うれしいような情けないような……複雑な心境だ。

 授業が終わる頃には、私はへろへろになっていた。


(聖クラルテ語って、ほとんど外国語だわ……)


 フラトン語は二十六文字のフラトン文字を並べて一つの単語にするけど、聖クラルテ語はたった一つの文字で《聖水》などの意味を持つ。私にとっては外国語のように難解で発音もしにくく、呪文の詠唱は失敗続きだった。


(でもあきらめずに頑張ろう。何かあったら、今度こそ回復魔法で誰かを治してみせるわ)


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