1-5


 一週間がたち、私はライラさんの指示で上層をおとずれていた。依頼されたボンネットを貴族のお屋敷に届けるためだ。

 このぼうかたくずれしやすいので、円柱状の箱に入れて、つぶれることのないように人間の手で運ぶことになっている。


(あの男、いない……よね? きっと昼間は仕事があるから、私を尾行できないんだわ)


 無事に届け終わり、きょろきょろと周囲を警戒しながら道を進む。

 クラリーネ様の呼び出しを受けた日から、夕方以降になると時々工房の近くをあのブルーノという男がうろつくようになってしまったのだ。

 心配したアレク様は、毎日馬車で私を送り迎えしてくれている。彼がいそがしい時はカルロス君が一人で来てくれるけど、とにかく毎日欠かさずのそうげいだ。


(負担になっちゃってるよね。うう……やっぱり同居した方がいいのかな)


 アレク様のお屋敷にそうろうさせてもらえば、馬車で下層までの遠い道のりを行き来する必要はなくなる。上層と中層だけの移動で済むから、時間もかなり短縮できるはずだ。

 考えながら大通りを進んでいると、少し離れた場所に人だかりができているのが見えた。

 しん服の男性やドレスを着た婦人たちが集まって何かさわいでいる。


(あの辺りって、教会本部がある場所よね)


 私は足をとめ、方向を変えて歩き出した。私があそこに近づくのをアレク様はきっと嫌がるに違いない。それにまだクラリーネ様に聖女になるかどうかの返答をしていなかったので、後ろめたさもあった。


(クラリーネ様はガッカリされるかな……)


 私に聖女にならないかとさそったクラリーネ様には、どことなくせっ|羽《

ぱ》詰まったふんがあったように思う。それを思い出すとやっぱり聖女になった方がいいのでは……と考えたりもするのだ。

 今の私は聖女になるべきかという迷いと、アレク様への恩という二つで板ばさみ状態だった。それで返答がおくれている。

 そんな私の耳に、通行人たちの会話が入ってきた。


「騎士が怪我をしたようだな。あれは百人ぐらいいたんじゃないか? ひどい光景だった」

「かなり重傷の騎士もいたな。人数が多すぎて、教会の前庭に寝かせるしかなかったんだろう」

(騎士って……まさか)


 何かがひらめくように、ぱっと頭の中に端正な顔が浮かぶ。


「アレク様……!?」


 気づいた時には教会本部へ向かって走り出していた。あの人に何かあったらどうしよう―― それだけで頭の中がいっぱいだった。

 すみませんと言いながら人ごみをかき分けて最前列に出ると、金属製の柵ごしに広い庭が見える。地面に布がかれ、そこに怪我をした大勢の騎士が寝かされていた。まるで野戦病院みたいだ。


(あのエンジ色の騎士服……怪我をしたのは、王宮騎士団の人たちだったんだわ)


 きんしんながら、アレク様の姿がないことにホッとしてしまった。

 でも騎士たちの怪我は私が想像していたよりもずっと重傷で、体の上に掛けられた布の一部がへこんでいたりする。腕や脚を失った騎士もいるのだ。


「一体何が……」


 呆然と呟くと、周囲から人々のささやきが聞こえてくる。


「ペーレ草原で軍事演習をしていたところを、魔物の集団に襲われたらしい。ヘルハウンドの群れだったそうだぞ」

「ペーレ草原ですって? あそこは王都に近いから、魔物なんか出ないはずでしょう」

「王太子殿でんが原因を究明中のようだ。しかしヘルハウンドの群れを相手にして、よく死者が出なかったものだな」

「聖騎士団がたまたま近くを巡回していたそうだ。そのお陰で死人を出さずに済んだが、このままだと失血死してしまう可能性も……」


 その時誰かが「静かにしろ、大聖女様だ」と叫んで、貴族たちの囁きはぴたりとやんだ。

 聖女の衣装を着たクラリーネ様が静かに怪我人たちの間を歩き、重傷者ばかりが寝かされている場所で足をとめる。そしておごそかに何ごとかを唱えた。


「《顕現せよ、えんかん。我が聖水をもって、あまねく杯に命のぶきを与えよ》」


 えいしょうの直後にクラリーネ様の足元に巨大な光る円が出現し、負傷した騎士たちを円の中に囲んでまたたく間にいやしていく。

 布のへこんでいた部分がふわっとふくらみ、失われた腕や脚も治ったようだった。


(す、すごい……!)


 わあっとかんせいが上がって、「まさに奇跡の魔法だ!」と貴族たちが叫んでいる。しかし光る円が消えた直後、クラリーネ様は崩れ落ちるように倒れてしまった。


「クラリーネ様!」


 倒れたクラリーネ様を神官たちが教会へ運んでいく。その間も、他の聖女がけんめいに騎士たちのりょうに当たっていた。


(人手が足りてないんだわ……)


 可能であれば、クラリーネ様はあの奇跡のような魔法を何度も使っていたに違いない。

 でも倒れてしまうほど体に負担がかかって無理なのだろう。

 まだ何十人も怪我人が残っているのに、治療に当たる聖職者たちは十人ほどだ。

 魔法がどれだけ体に負担がかかるのかは私には分からないけど、誰もが額に汗を浮かべながら必死の表情で怪我を治している。私は俯いてそっと場を離れた。


(もしもの、仮定の話だけど……一週間前に聖女になってたら、私でも少しは役に立てたのかな)


 たった一週間で習得できるような、簡単な魔法ではなさそうだと分かっている。でも私が何かの仕事をすることで、他の誰かが治療に参加できたかもしれない。


(もしもあそこに倒れていたのが、アレク様だったとしたら……私はきっと、すぐにでも治療してたわ。私が無理だったら他の聖女に助けてくださいって頼んでた)

 あの怪我人がアレク様だったら、クリスだったら――と想像すると、胸がぎゅうっと潰れるように苦しくなる。


「聖女になったら、ひどい怪我でもすぐに回復魔法で治してあげられる……。やっぱり聖女になろう。アレク様は反対するだろうけど、頑張って説得しよう……!」


 もしまた同じようなことが起こって、その時もなんの役にも立てなかったとしたら、私は自分を許せなくなるだろう。

 次があるのなら、その時こそ絶対に役に立ってみせる。


(アレク様を説得するには、あの手を使うしかない……よね)


 正直に言うとかなり気が重くなるせんたくだけど、この際しょうがない。私が使えるカードはたった一枚しかなかった。

 日が暮れた頃、私はまたアレク様のお屋敷の中で食事をしていた。もうほとんど日課だ。

 アレク様に出会ってから毎日夕飯をご馳走になっている。

 三日目からはさすがにどうかと思ってえんりょしたんだけど、アレク様がすごく悲しそうな顔をするので好意に甘えることにした。

 私だって、ご馳走され続けるのはかなり厚かましいことだと分かっている。でもアレク様の場合には、食事を一緒にとることが恩返しになるようだった。


「アレク様は怪我をしなかったんですね。よかったです」


 食事をしながら話しかけると、彼は「ん?」という顔をした。なんの話題か分からないらしい。

 今日ペーレ草原で魔物を討伐したことは、アレク様にとってはただのにちじょうはんで、特に話題にするようなことではないのだろう。

 私だって今日たまたま教会本部の近くを通らなければ、きっと何も知らないままだった。

 ……クラリーネ様たちの苦労も。

 テーブルにフォークとナイフを置いて椅子から立ち、アレク様に深々と頭を下げながら言った。


「アレク様、お願いがあるんです。私はやっぱり聖女になりたいので、どうか許してください」

「…………え?」


 アレク様が聞いたこともないような間のけた声を出した。

 しばらく待ってもなんの返答もないので顔を上げると、彼は右手にナイフを握ったまま呆然としていた。そしてかすれた声で呟く。


「なぜだ? どうして考えを変えたんだ? 一週間のあいだに、考えを変えたくなるようなことでもあったのか?」


 アレク様の声が震えていて、彼の驚きとどうようが痛いほど伝わってくる。


(私が聖女になりたいって望むのは、あなたにとってそんなにショックなことなのね。……ごめんなさい)


 でも今の私には、もう考えを変える気はなかった。


「今日、仕事で上層に行ったんです。その時にたまたま教会本部の辺りで、貴族たちが騒いでるのをもくげきしました。騎士が怪我をしたというのを聞いて、心配になって」


 そこまで言ったタイミングで、アレク様がハッと息を吞んだ。


「もしかして……俺が怪我をしたと思ったのか? 心配してくれたんだな?」


 こくんとうなずくと、アレク様はぐっとこぶしを握って顔を下に向けた。握った拳がぶるぶると震えてるけど、苦しんでいるわけではなさそうだ。


「怪我をしたのは王宮騎士団で、治療してるクラリーネ様たちはすごく大変そうでした。クラリーネ様は奇跡みたいなすごい魔法を使ったあと、倒れちゃったんですよ。どう見ても人手が足りない様子だったから…………あの、どうかしました?」


 嬉しそうに微笑んでいたアレク様は、私が話しているうちになぜか無表情になってしまった。何かにしょうげきを受けたように青ざめた顔で、「やっぱり変えられないのか」と小さく呟いている。

 ちょうどそのタイミングでドアが開いて、デザートを持ったカルロス君が部屋に入ってきた。しかし顔色を失ったアレク様を見るなりギョッとしてトレイごと器を落とし、しっぷうのような速度でテーブルまで走ってくる。


(ああ、デザートが……)

「アレク様、しっかり! もうやみちですか! 何があったんです?」


 カルロス君の言葉に、やっぱり私が悪いのかなと思いつつけいを説明した。


「あー……そういうことでしたか。そうかぁ。頑張ったんだけどな。本当にツイてないなぁ……」


 カルロス君は悲しみがあふれる声で呟き、がっくりと肩を落とした。その間もアレク様の顔はそうはくなままだ。変えられないとかツイてないとか、どういう意味だろう。


「俺が……俺がもっと早く隊を動かしていれば……」

「あっちだって警戒されてるって気づいてたでしょう。ペーレ草原は広すぎて、全ての場所を同時に警備するのは不可能です。アレク様は何も悪くないですよ」


 二人で何か話してるけど、会話の内容が私にはピンとこない。そしてカルロス君のなぐさめでは、アレク様は復活しそうな気配がなかった。

 カルロス君にもそれが分かるのか、私に『なんとかしてくださぁぁい』とすがるような視線を送ってくる。


(うっ……やっぱり、あの手を使うしかないのね)


 謝罪とこんがんだけで説得できたらいいなと思ってたけど、楽観視しすぎたようだ。奥の手を使うしかない。


「聖女になったら教会本部で働くことになりますし、こちらでお世話になってもいいですか?」


 私が言った途端、アレク様ががばっと顔を上げた。


「今……今、なんて?」


 声がかすれてるし、目がうるんでいる。そうぜつな大人の色香にあてられてクラクラしてきた。


「ううっ……、も、もし聖女になれたら、アレク様と同居を」


 全部言い終わる前に、アレク様がガタンッと勢いよく立ち上がった。


「やった……! 不幸中の幸いとはこのことだな! やる気が出てきた」

「え? あの、ちょっと?」


 立ち上がったアレク様は私の手を取り、部屋を出て廊下を進んでいく。足取りは軽く、広い背中からもウキウキしている気配がただよっていた。


(さっきまでごくに落ちた罪人みたいだったのに……。わりと現金な人なのね。それにしても、デザート食べたかったなぁ)


 アレク様がすごく嬉しそうで、ちょっと放してと言いにくい。階段をのぼり、また少し歩いて、両開きの扉の前で彼は止まった。


「この部屋はヴィヴィのためによう替えしてあるんだ。きっと気に入ってくれると思う」


 扉を開けると、可愛らしい家具の数々が目に飛び込んできた。


「わあ……!」


 かべがみれんはながらで、ベッドカバーやクッションもそれに合わせた柄で統一されている。あわい色合いもすごく私好みだ。


(かっ、可愛いわ……! ねこあしのソファも、お姫様みたいなてんがいつきのベッドも!)


 部屋をうろうろと歩いて、鏡台に置かれたくしを手に取ったり、ふかふかのクッションを触ったり。

 アレク様は私の様子を見て満足そうに頷き、

「今夜から使っていいよ。ちなみに、突き当たりが俺の部屋だから」


 とんでもないことをさらっと言った。


(前にもこんなことがあったような……)


「いえ、その前にですね。こちらにお世話になるのは、聖女になってからと考えてたんですけど」

「今夜からでもいいんじゃないか? きみは馬車の送迎の時、いつも申し訳なさそうな顔をしていたよな。俺たちの負担になると気にしてたんだろ?」

「えっ……」


 確かにその通りだけど、ズバッと本心を明かされるとは思っていなかった。

 振り返った先でアレク様がニヤッと笑っている。いつもの柔和な笑顔ではない。


(あっ、これだわ! これがこの人の『素』なんだ。ちょっとだけ出てきてる!)


 本当は結構な策士なのかもしれない。同居すると決めたタイミングで送迎のことを言い出すのも、何か作戦めいたものを感じる。


「あ、アレク様って……腹黒いって言われたことないですか?」

「まさか。俺は人々の尊敬を集める、聖騎士団の団長なんだよ? それに俺からすると、ヴィヴィの方が腹黒いと思うけどな」

「なっ、なんでですか! 私は腹黒くなんて」


 ないでしょ、と言いたかった。でも歩み寄ってきたアレク様が私の顎をくいっと持ち上げたので、ドキッとして何も言えなくなる。


(ちっ近……!)


 息がかかってしまいそうな距離に、アレク様のうるわしい顔があった。なんだか胸が苦しい。


「きみは意外と策士なんだな。同居の件を持ち出せば、俺が聖女になるのを許すと考えたんだろう?」

「そ、そんなこと……」


 完全にバレている。でも目をらしたら噓ですと白状するようなものだから、アレク様の瞳を見つめるしかない。だんだん体がカッカしてきた。


(私の体、どうなってるの? なんか熱い……。心臓がドキドキしてる)

「お、怒ってるんですか? 聖女になるの、やっぱり駄目ですか?」

「駄目じゃないよ。聖女になっても俺が守ってあげる。……俺はね、怒ってるんじゃなくて嬉しいんだ。好きな女性に手玉に取られるのも、案外悪くない」


 低くつやのある声が囁いた。なぜか背中の辺りがぞくっとして、体から力が抜けていく。


(何これ? 本格的に私の体がおかしい!)


 アレク様は私を解放すると、「あとでメイドをすからね」と言って部屋を出て行った。あしこしに力が入らなくて、ふにゃっと崩れるようにソファに座る。


「し、しんどい……。何かの病気なのかな。あ、でも休んでたら、落ち着いてきたような……」

 しばらくしてメイドが来て、私は帰るタイミングを失い、アレク様のもく通りに宿しゅくはくしてしまった。

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