1-4



 馬車がライラさんの工房の近くでとまり、私は降りてぎょしゃにお礼を伝えた。工房の裏口がある細い路地を歩いていく。


(とりあえず今は聖女うんぬんの前に、教会に行っちゃったことをアレク様にどう謝るかだわ……)


 考えごとをしていたせいか、私をこうしている人間がいると気づけなかった。くらやみからびてきた手にいきなりうでつかまれて、ひっと息をむ。


「だっ誰!? 放してよ!」

「教会の馬車に乗っていましたね?」


 三十歳ぐらいの男性が、目をギラギラさせながら私を見ている。私の腕を摑んだ手には、大きな宝石の指輪がいくつも光っていた。


「怪しい者じゃありませんよ。私は宝石商を営んでいる、ブルーノというしがない商人です。おじょうさんはどうして教会の馬車に乗っていたんです? 聖女にお知り合いでも?」

(あっ、クラリーネ様が言ってたなりきんの新興貴族って、こういう人のこと?)


 クラリーネ様は聖女になることの不利益の一つとして、「金で爵位を買った新興貴族たちは常に未婚の聖女を狙っていますから、気をつけるように」と教えてくれた。

 家の格を上げたいと望む彼らにとって、聖女を妻にむかえることはこの上ないめいになるらしい。


(せっかく忠告してもらったのに……!)

「放して、大声出すわよ! 聖騎士を呼んで――」

「呼んでどうします? 私はただあなたの腕を摑んでるだけで、なんの罪もないでしょうに。ああそうだ、お茶でもごそうしましょうか。ぜひくわしくお話を聞かせてください」


 この人、私の話を全然聞く気がない。

 私の腕を摑んだまま、どこかへ移動しようとする。足をると摑まれた腕がギシギシと痛んで、なみだが出そうになってきた。


「……っ、誰か! 誰か助けて!」

「ヴィヴィ!? そこにいるのはヴィヴィなのか!?」


 路地の奥から聞き覚えのある声がして、私の腕を摑んでいたブルーノは「チッ」と舌打ちして逆の方向へ逃げていく。急に腕を放すので、私はしりもちをついてしまった。


「あ、アレク様……」

「大丈夫か!?」


 アレク様が長いあしでこちらにけてくる。神様のように後光がさして見え、私は思わずいのるように両手を組んだ。


(神様だ……! ついさっきまで、変な公爵様って思っててごめんなさい)


 祈る私をアレク様はひょいっと抱き上げ、そっと地面におろしてくれた。あの男が逃げた方向をくやしそうににらんでいる。


「くそ、逃げたか……! 変なことされなかった? 怪我はない? ……なんで俺を拝んでるんだ?」

「危ないところを助けてもらって、とっても感謝してるからです。ありがとうございました。私はなんともないです。ところで、どうしてこんな場所にいらっしゃるんですか?」

「きみが働いてる工房に、ドレスのデザインについて話をしに行ってたんだよ」

「えっ……わざわざ来てくださったんですか!? すみません!」


 貴族は普通、自分から注文しに来たりしない。使いの者が工房に来て、この日に屋敷に来るようにと伝言を残すだけだ。今回の場合なら私がアレク様のお屋敷に伺うべきだった。

 アレク様がエスコートするように手を差し出したので、私は自然と彼の手を取る。

 あの男にさわられた時はとりはだが立つぐらい嫌だったのに、アレク様だとなぜかなんともない。不思議だ。


(私って面食いだったのかな。ちょっとショック……)


 手を繫いだまま工房への道を歩いていく。


「巡回のついでに来ただけだから、気にしなくていいよ。ヴィヴィの顔を見たかったんだ」


 そう言って微笑むアレク様の額にはあせが光っていて、かなりあせって走ってきたのだと分かった。


(私が大声で叫んだから、慌てて助けに来てくれたんだ……)


 じぃんと胸が温かくなる。

 正直に言うと、まだアレク様の「一目惚れした」という告白は信じていない。でも私を大切に守ろうとしてくれたのはちゃんと伝わってきた。

 変なところもあるけど、多分、いい人……なんだと思う。


「ライラさんから、きみがクラリーネに呼ばれたと聞いた」

「うっ……」


 ほんわかしていた気分が吹き飛び、顔面がさぁっと青ざめるのを感じる。


「申し訳ありません! アレク様との約束を破ってしまい……っ、あ、あれ?」


 土下座しておびしよう――と思ったのに、急に体がふわっと浮いた。アレク様が高い高いするかのように、軽々と私を持ち上げたのだ。


(か、|怪《かい)|力《りき)……! さすが聖騎士だわ)

「大聖女に呼ばれたなら仕方ないって分かってるよ。きみは自分から教会に行ったわけじゃない。だからとりあえず、土下座はやめておこうね」


 とん、と地面におろされる。


「お……怒ってないんですか? その条件で五着もドレスを依頼してくださったのに。私はもう、ドレスの依頼自体が白紙になるかと……」

「全然怒ってないよ。ヴィヴィに非があるわけじゃないんだから、依頼を取り消したりもしない。……ただ俺が、クラリーネのことを甘く見てただけだ」


 アレク様の声は暗かった。


(アレク様って、クラリーネ様のこと|嫌《きら)いなのかな。素晴らしい方だと思うんだけど

……)


 何も言えなくなってしまい、無言で歩いているうちに工房に到着した。

 うちで食事でもとアレク様が言うので私だけ工房に入り、ライラさんに|挨《あい)|拶《さつ)して|鞄《かばん)を持つ。もう終業時刻は過ぎていたから、先輩たちの姿もまばらだった。


「あんた、うまいことやったね」


 トルソーという人型に布を当てていたライラさんが、なぜかニヤニヤしながら私を見ている。


「シュレーゲン公爵様の件ですか? さっき外でお会いしたんですけど、ドレスのデザインの打ち合わせをしてくださったそうで……」

「そうじゃないよ。ああもう、本当に|鈍《にぶ)いねえ。そんなんじゃ公爵様も苦労しそうだ」

「はい……?」

「なんでもないよ。お疲れ」


 またトルソーに向き合い、私にひらひらと手を振っている。よく分からないままぺこりと頭を下げて工房をあとにした。

 工房の外で待ってくれていたアレク様と一緒に大通りに出ると、カルロス君が馬車の横に立っていて、昨日と同じように馬車に乗り込む。


「クラリーネとどんなことを話したのか、聞いてもいい?」

「あ、それは……」


 隠すようなことでもないので、私は教会で何があったかを全て話した。


「――ということで、なんと私には聖女の素質があったんです。縫った物に加護をつけてるなんて、今まで全然自覚してなくて…………アレク様?」


 アレク様は額に手を当てて、はぁーっと深いめ息をついている。


「……本当にクラリーネを甘く見てた。隠すぐらいじゃ駄目だったんだな……。そもそも視界に入れなければよかったのか」


 馬車の空気が重い。アレク様から暗く重たい空気がもんもんとぶんぴつされている。


「あの……アレク様は、クラリーネ様のことが苦手なんですか?」


 恐る恐る問いかけると、顔を上げたアレク様はきょとんとしている。思いも寄らないことを言われた、という顔だ。


(あれ? 変なこと聞いちゃった……かな?)


 全身からじわっと変な汗が出てきて、どう取りつくろうかと焦っていたら、アレク様はふっと笑った。


「そうか……そう思われても仕方がないかもな。俺はクラリーネのことを嫌ってるわけじゃないよ。クラリーネは人格者だと思ってる」

「じゃあなんで……」


 私がクラリーネ様に会ったことを、そんなにこうかいしてるんでしょうか。

 問う前に馬車が公爵家の屋敷に着いて、アレク様は「食事をしながら話そう」と私を促した。

 昨日と同じ部屋に通され、カルロス君が食事を運んでくれる。

 去り際のカルロス君は、アレク様を心配そうな……まるで『何をしでかすか分からないむすを心配する親』のような顔で見ていた。


(なんだったの、あの顔は)

「ヴィヴィは聖女になりたいのか?」


 アレク様の声にハッと顔を上げる。その口調からアレク様の意思が伝わってきて……答えにくくなってしまった。


(……アレク様は、私に聖女になってほしくないみたい)


 それでも、私の加護は聖女のためになるはずだ。そして何より、私はお金を稼ぎたい。

 ふうっと一つ深呼吸してから口を開いた。


「……まだなやんでいますが、聖女になることも検討しようかと」

「俺はきみに聖女になってほしくない」

(そっそくとう!? 秒で反対されちゃったわ!)


 予想通りの回答だったけど、早すぎてぐっと言葉にまる。でもまだ諦めたくない。


「どうしてですか? クラリーネ様からは、私の加護はきっと聖女の役に立つと言われました」

「巡回の時に聖女が亡くなったからだろう。でも今は体制を変えて、同じことが起こらないようにしている。きみが気にする必要はない」

「で、でも……。私、どうしてもお金が必要なんです。うちは貴族なのにお金に余裕がなくて、弟を学校に行かせるには私が働かないと……」

「お金のことなら俺がなんとかする。グレニスター家にえんじょして、きみの弟も学校に行けるようにしよう。だからどうか、聖女になるのは諦めてくれ」

「そっ……」

(そこまでするほど、私に聖女になってほしくないんですか……!?)


 言葉が出てこなくなり、ぼうぜんたんせいな顔を見つめる。アレク様の目はんでいて、噓をついている気配は全くなかった。本気でうちの家に援助するつもりなのだ。


「……分かりました。聖女になるのはやめます。だから援助なんてしないでください……。何があったのかと、父が心配しますので」


 そう答えるしかなかった。

 私が教会に行ったことをアレク様は笑顔で許してくれたし、ドレスの注文を取り消したりもしなかった。わざわざ工房に来てライラさんと打ち合わせしてくれて、さらに私を変な男から守ってくれた。


(今の状況では、アレク様の意向を無視するのは無理だわ……。そんな恩知らずな人間にはなりたくない。それにこの人は、私が不利益になるようなことはしない人物……だと思うのよね)


 今までのアレク様の言動から考えても、その点については信じても大丈夫だろう。つまりアレク様は、聖女にならない方が私のためになると判断したのだ。

 私の返答に、アレク様はとてもホッとしたようだった。ようやくいつものにゅうな笑顔に戻っている――まるで、肩のが下りたように。


(きっと何か大事な理由があるんだわ。でも聖女が意外と大変な職業だっていうことは、すでにクラリーネ様から説明を受けたんだけどな。他にも何かあるの?)


 ずっと考えても答えが思いつかなくて、私は頭の中を「?」だらけにしながら食事を続けた。

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