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*****



 ヴィヴィアンを下層に送った馬車が、シュレーゲン公爵の屋敷に戻ってきた。

 フェロウズ家は建国時から代々シュレーゲンという広大な領地を治めてきた、二大公爵家のうちの一つである。

 カルロスは馬車を玄関の前でとめると、降りてきた主人に声をかけた。


「とりあえず今日のところは作戦成功ですね! ヴィヴィアン様が馬車に乗ってくれた時、ちゃちゃホッとしましたよ。アレク様の顔が良くできてて本当によかったぁ~!」

「……あのな、俺の顔にられて馬車に乗ってくれたわけじゃないからな」

「あれっ違うんですか。僕はてっきりそうだと……じゃあ何に釣られてくれたんです?」

「仕事」


 アレクはぼそっと呟いて屋敷に入った。その後ろにカルロスが続く。


「仕事かぁ、それはちょっとごわそうですね。ヴィヴィアン様がその辺の娘さんみたいに、簡単にアレク様に惚れてくれたら話が早かったんだけどな」

「別に、すぐに惚れてくれなくても構わない。とりあえず今日のところはつながりを持てたからな……。やっぱり実物はいいな、俺の頭の中に住む彼女より何百倍も可愛かった……! 話してると楽しいし、そうめいでしっかりしてる。今すぐ公爵じんになっても問題なさそうだ」

「……もうそうばくそうしてますね。完全にヤバイ奴の発言ですよ……。お願いだからちゃんと素は隠しといてくださいね? 引かれちゃいますよ。けっこんの前にまず好きになってもらうっていう、大事な仕事がありますし」

「これから頑張るさ。それより今は、なんでクラリーネがここに来たのかってことが気になる」


 アレクはしょさいに入り、引き出しから何かがしょうさいに書かれた一枚の紙を取り出した。


「本来だと、クラリーネはショーでヴィヴィを見つけるはずだった。それをするためにクラリーネの仕事量を調整したのに、どうなってるんだ?」

「アレク様がギリギリまで決裁をとめてたんですよね。それでクラリーネ様の仕事量を増やしたってバレたら、あの方は相当おこりそうですが。クラリーネ様もショーを見たかったかもしれないですね」

「仕方ないだろ、ヴィヴィを助けるためだ。……もしかすると、俺たちが違う動きをしたから、クラリーネもえいきょうされた――ってことなのかもな」

「でもマントで隠したんだから、ヴィヴィアン様の顔は見てないはずですよ」

「だといいが……。クラリーネはかんするどいから心配だ」


 アレクはまゆをひそめながらじっと紙を見ている。

 カルロスは少しためらいがちに口を開いた。


「本当にこのまま作戦を続行しますか? ヴィヴィアン様を最後まで守った場合、僕たちにも何か影響が出るかもしれませんよ。……『あちら』に行かないわけですから」

「……分かってるよ。それでも、二度と会えなくなるよりはマシだ。……生きて戻ってこれるっていう確証はどこにもないんだ」


 アレクの声には痛々しいまでの決意が宿っていて、カルロスは何も言えずに口を閉ざした。それはつまり、作戦は続けるしかないのだという、あんもくりょうかいだった。



*****



 翌日早めに起きた私は、工房に出勤してすぐにライラさんへ昨日のことを報告した。

 さすがにアレク様との同居うんぬんの話はしなかったけど、五着もけいやくをもぎ取ってきた私を大いに褒めてくれて、モデルの手当を当初の金額より少し増やしてくれた。

(最高! これでクリスの入学金はまったわね。あとは授業料だけだわ)


 その授業料の方がずっと高額なのだが、私は努力がむくわれたことに満足していた。

 今日は仕事が終わったらすぐに仕送りの手続きをしに行こう。アレク様にドレスのデザインについて詳細を聞くのは、また後日でもいいはずだ。

 ウキウキしながら働いていたが、もう少しで終業という時刻にとても意外なお客様がやってきた。ぬのはしの処理をしていた私に、職場のせんぱいが声をかけたのだ。


「ヴィヴィ、あんたにお客さんだよ。教会の神官様だって」

「きょ……教会? え、なんで? 本当ですか?」

「噓ついてどうすんのよ。なんの用かは知らないけど、あの白い衣装は間違いなく神官様でしょ。裏口で待ってらっしゃるから、早く行きなさいね」

(どうして私? 昨日の大聖女様の様子と何か関係があるの?)


 首をかしげながら裏口に行くと、確かに神官の衣装を着た男性が立っている。眼鏡をかけた学者風の人だ。


「私は教会本部にざいせきしているエリゼオと申します。ヴィヴィアンさんでしょうか?」

「は、はい。私がヴィヴィアンです」

「大聖女様があなたにお会いしたいとおおせなのです。お仕事中にきょうしゅくですが、教会本部までご足労願えませんか?」

「大聖女様が……。でも、ちょっと仕事が立て込んでて……」


 アレク様との約束があるから、できれば教会には行きたくない。そう思って断ろうとした時、私の横を通り過ぎたライラさんが手の動きで「早く行きなさい」と指し示した。


(うう、やっぱり駄目か……。アレク様との約束を破っちゃうけど、さすがに大聖女様の呼び出しは断れないわ)


 私みたいな一般人がそんな失礼なことをできるはずもなく、エリゼオさんと一緒に大通りにとまっていた教会専用の白い馬車に乗り込んだ。


(ドレスを依頼する代わりに、教会に近づかないって約束……どうしよう。土下座して謝ったら許してくれるかな? あ、そうだ、同居することを了承したら許してくれるかも。……あの、、公爵様と同じ屋根の下かあ。ちょっと気が重いわね……)


 もんもんと考え込む私を心配したのか、エリゼオさんが優しげな声で言った。


「そう心配せずとも大丈夫ですよ。大聖女様はお優しい方です」

「は、はい」


 私の不安をやわらげようとしてくださっている。いい人だ……!

 感動しているうちに馬車は上層の教会本部へとうちゃくした。

 全体的に白を基調としたそうごんな建物で、三つのとうから成り立っているようだ。後方には林があり、その向こうに聖騎士団の本部も見える。

 エリゼオさんは真ん中の最も大きな建物に私を案内した。廊下を進んでいくと木製の大きな扉があり、彼はノックして「エリゼオです。ヴィヴィアンさんをお連れしました」と声をかけている。

 すぐに「お入りなさい」と昨日も聞いた声が室内から響いて、私だけが中に通された。

 窓の前にしつ机があり、髪をきっちり結い上げた大聖女様が椅子に座っている。


「急に呼び出して申し訳ありませんでしたね。あなたがヴィヴィアンさんですか?」

「はい。ヴィヴィアン・グレニスターと申します」


 慣れないカーテシーをする私を大聖女様がじっと見ている。なぜか顔じゃなくて、服の方に視線を感じる。


「やはり昨日アレク様と一緒にいたのは、あなたで間違いないようですね。本当はもっと早い時刻にお呼びしたかったのですが、調べるのに手間取ってしまいました」


 調べるのが大変だったのは、アレク様が私をマント包みにしたせいじゃないだろうか。


(アレク様と何があったかを聞きたいのかな?)


 そう思っていたけど、大聖女様が言ったのは私が予想もしてないことだった。


「時間がもったいないですから、手短に話しましょう。あなたが着ている服には何かの加護がついていますね。昨日の服もそうですが、あなたが作ったのですか?」

「そ、そうですけど……。加護? 魔物よけの力が、加護だったってことですか?」

「魔物よけ?」


 大聖女様がいぶかしげな顔をしたので、私は自分が作った服には魔物が近づけない効果があることを説明した。


「三年ぐらい前にこの効果があるのが分かって、それからずっと故郷の人たちに私が縫ったものを配ってるんです。でも効果は約三ヶ月で切れちゃうし、大きな魔物には効かないから……加護だとは思ってませんでした。加護って、神様の力みたいなもっとすごいものかと思ってて」

「……ぜんだいもんですね」


 大聖女様はなぜかひどく驚いた様子で立ち上がり、しょうだなから聖女の白い上着を持ってきた。


つう、加護というのは、このようなせいもんを|施《

ほどこ》すことによって効果を発揮するのです」


 クラリーネ様が持つ上着の内側に、円と正方形が重なった図形があり、その中心には何かの文字が縫い付けられている。


(この図形みたいなのが聖紋? 真ん中の文字は……フラトン語じゃないわね。よ、読めない……)

「この聖紋がある服を聖職者――つまり神聖力を持った人間が着ることで、加護の効果が表れます。でもあなたは聖紋を使うことなく、しかも誰でも加護を受けられる物を作れる、と。……対象が魔物というのも理解不能ですが」

「り、理解不能……ですか。もう作るのはやめた方がいいですか?」

「作っても構いませんよ。ただ、聖紋だとあり得ないことなので驚いています。聖紋にできることは、自分の能力の底上げをする効果だけですからね。……あなたはおそらく、異質な力を持った聖職者なのでしょう。非常にめずらしいですが、あなたの他にもそういう聖職者はいます」

「せっ……」

(聖職者!? 私が!? そんなはずないと思うけど……)


 神聖力は母親から子に遺伝する――それはこの世界に生まれた人間なら誰でも知っている共通原則だ。聖女の子は必ず神聖力を持って生まれるので、ずっと教会の中で育つ聖職者の方が多い。


(お母様は普通の人間だった。聖女の力なんかなかったはずよ)


 私の疑問を察したのか、クラリーネ様が説明するように話し出す。


「ごくまれにですが、魔物と遭遇することによって神聖力に目覚める人もいます。古代はそのような人間も多かったそうですが、今は魔物の数も減っていますからね。あなたのようなケースはとても珍しいのですよ」


 クラリーネ様は上着を片付けてから、私の方に右手をすっと差し出した。


「念のため、あなたに神聖力があるかどうか確かめさせてください。これからじゅもんを唱えます。復唱してください」

「はっ、はいっ」

(呪文! クリス、呪文ですって! うわぁ、本当にほう使つかいみたいだわ!)


 私も張り切って右手を出し、キリッと顔を引きめた……のだが。


「《我がはいに宿りし聖水よ、けんげんせよ》」

「? ファ、タ……? …………すみません、聞き取れませんでした」

(わああん! 何言ってるのか全然分からない! やっぱり私には格好つけるの無理だった……)


 しょんぼりしてクラリーネ様の方を見ると、手の平の少し上に光る玉が浮いている。


「わ……ひ、光ってる。これはなんですか?」

「私の体内に宿る神聖力を可視化したのです。神聖魔法は聖クラルテ語という特殊な言語を使うのですが、フラトン語とは発音も文法も何もかもが違います。分かりやすいように、紙に発音記号を書いてみましょうか」

「……お願いします」


 さっきので復唱できてたら、紙に書く必要もなかった。

 申し訳なくて俯いてしまったけど、クラリーネ様は嫌な顔ひとつせず、私が読みやすいように発音の仕方を書いてくださる。


(さすが人格者と有名な大聖女様だわ……!)


 そしてじゃっかんとちりながら呪文を唱えると、私の手の平の上にも同じく光る玉が現れた。


「あっ、出ました! よかったぁ……!」

「やはりあなたには聖女の素質があるようです。……ヴィヴィアンさん」

「はい?」


 振りくと、クラリーネ様はどこか申し訳なさそうな顔で私を見ていた。


「最後にこんなお願いをするのはきょうかもしれませんが……聖女になる気はありませんか?」

「聖女……ですか」


 改めて言われ、ようやくその事実をにんしきした。私に聖女の力があることは証明されたのだから、大聖女様がこのまま私を帰すわけがないのだ。


「あなたの特殊な加護は、きっと聖女のためになるでしょう。一人でも聖女が増えてくれたら、私たちもとても助かります」

「う……。そ、そうですね……。でも私、今の仕事がすごく気に入ってて」


 たどたどしく私が答えたしゅんかん、クラリーネ様の目がきらりと光った……ような気がする。


「ドレス工房にお勤めですから、洋裁が好きなのでしょう。いっぱんの方はご存知ないかもしれませんが、聖職者の服は全て聖女が作っているのですよ。神官も、聖女も、聖騎士の服も。全てここで聖女が作っています」

「ほっ……本当ですか!?」

「本当ですとも」


 一気に気持ちが聖女にかたむいてきた。頭の中で札束がっている。


(いいかもしれない。聖女になったら、今よりもっと稼げるお金が増えるし……!)


 聖女のよう主は国で、女性がける職業の中では最も給金が高くかつ安定しているのだ。

 フラトンでは女性の爵位けいしょうを認めていないけど、聖女になると国が死ぬまで身分と生活を保障してくれる。つまり、無理して結婚する必要がない。


「ただ、注意することもあります。聖女は花形の職業のように思われていますが、聖女になることで不利益をこうむることもあるのです」


 盛り上がっている私を冷静にするためなのか、クラリーネ様が低い声で言った。


「いいことも悪いことも全てお話ししますから、じっくり考えてみてください」


 クラリーネ様はその言葉通り、聖女になると何が起こり得るのか私に教えてくれた。私は説明を聞いたあと、考えさせてほしいと伝えて教会本部を辞去した。

 そして今、教会の馬車に乗っている。エリゼオさんがお送りしましょうと言ってくれたけど、ぼうそうだったのでていちょうにお断りした。馬車の中は私ひとりだ。


「聖女もすごくりょく的なんだけど、もうちょっとライラさんのとこで勉強したいっていう気持ちもあるのよね。それに何よりもまず、アレク様に謝ってからじゃないと身動きできないわ……」


 聖女になるとしても、今持っている仕事を全てきっちり終わらせてからだ。アレク様に許しをもらい、お世話になっているライラさんにも事情を話してからにすべきだろう。


(聖女には色々とデメリットもあるみたいだけど、私はそんなに気にならないかも)


 聖女になると教会でしか働けず、最初の五年は研修期間としてずっと王都で過ごすことになるようだ。

 でもクリスはもう小さな子どもじゃないし、マリーさんもいるわけだから、私がレカニアに急いで帰る必要はない。


(一番気になったのは、聖騎士の巡回に同行した聖女が亡くなったことかな……)


 王都はフラトンのほくたんに位置していて、他国との境界であるイベティカ山脈と王都の間には、深い森が広がっている。

 森の全てが禁域だが、王都に魔物が全く出現しないのは、聖騎士団が禁域を巡回するたびに魔物を間引いているからだ。

 それによって魔物にも『王都に近づきすぎるととうばつされる』のだと伝わり、王都の平安は保たれている。

 守護神のように強い聖騎士だけど、彼らももちろん怪我を負うことはあるので、巡回の際には回復魔法を使う神官か聖女が同行するらしい。

 クラリーネ様の話では、聖騎士は神聖力で身体からだの強化はできるけど、神聖魔法は使えないとのことだった。


(聖騎士は自分の身は守れるけど、回復魔法は使えない。聖女は回復魔法は使えるけど、自分の身は守れない。聖女を守りながら魔物と戦うのって、相当難しいことなんだろうな)


 でも私の加護を使えば、少なくとも中型までの魔物は聖女に近寄ってこないはずだ。聖騎士も戦いやすくなるだろう。


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