1ー2



*****



 それから半年がたち、今に至る。


(どうしてこんなことになったのかな……)


 いしだたみの道路の上を、黒りの立派な馬車がゴトゴトと音を立てて進む。その馬車の座席で、私は遠い目をしながら窓の外をながめていた。向かい側の席は空いている。

 なぜかと言えば、馬車の持ち主が私の隣に座っているからだ。すぐ横から顔に穴が空きそうなほど、じいっと私を見つめる強い視線を感じる。

 こんなに大きな馬車で、わざわざ私の隣に座る理由って、なんでしょうか。


(雑念は捨てるのよ。今は商談!)


こうしゃく様。本日はライラの工房をご指名くださり、ありがとうございます」


 営業用のがおで隣の男性に話しかけると、ぱあっと周囲が明るくなったように感じた。


「ああ、やっとこっちを見てくれた。俺のことは公爵じゃなくて、アレクと呼んでほしいな」

(うっ、|眩《まぶ)しい……!)


 公爵様の後ろに、色とりどりの大輪の花がみだれている。そんなげんかくが見えてしまうようなかんぺきな笑顔だ。でもなぜか……完璧すぎるせいなのか、『作ってる』感じがする。


(確かに見とれるような笑顔なんだけどね。腹に何かかくし持ってるような感じが、じわ~っと伝わってくるのよ)


 うまい話ほど裏があり、タダほどこわいものはない。十七年間の貧乏生活で私はかなりしんちょうになっていた。のうに『この笑顔には何か裏がありそうだ』と警告がひびいている。

 聖騎士は自分をせいにしても民衆を助けるような、誠実な人物ばかりだと評判だ。だからこそヒーローのようにすうはいされているわけだけど、この公爵様は表の顔だけが全てではないかもしれない。


「俺の名はアレクセイラス・ルーチェ・フェロウズというんだ。長いからアレクでいいよ。ねんれいは二十四。きみは十七歳と聞いたから、俺とは七つ違いだね」

「そ、そうですね」

「ヴィヴィアン。きみのことをヴィヴィと呼んでもいい? 何度も呼びたくなるような可愛い名前だ」

「…………どうぞ」

(初対面であい)|称《しょう呼びするんかい! ……って言いたい。でも、お客様のげんそこねるようなことしたくないし)


 そうなのだ。このアレクと名乗った聖騎士は、私にとってお客様になったのだ。

 天幕で彼にぶつかったあと、私たちに気づいたライラさんがおどろいた様子で「おやまぁ、公爵様! うちのモデルに何かご用ですか?」と言ったのがキッカケだった。

 公爵――こんな若い人が? この人が貴族の頂点? 本当に? 驚いてげることも忘れてしまった。

 私は田舎者だし、社交デビューなんてする余裕もなかったので、公爵がいかにえらいのかはよく分からない。

 公爵からはくしゃくまでの上位貴族が王都にしきを持っていることは知ってたけど、彼らが住むのは上層と呼ばれる特別な地域だ。

 上層にいるのは王族と上位貴族、そして聖職者だけ。安っぽい服を着た一般人が用もなく上層をうろついていたら、王宮騎士団から職務質問されてしまう。

 ライラさんの工房は中層にあるし、お針子用の寮は下層にあるから、私は上位貴族たちの名前も顔もあまり覚えていなかった。


(公爵でもお金持ちとは限らないわよね。男爵なのに、うちみたいな貧乏貴族もいるわけだし)


 私にとって重要なのは、『お金を持っているかどうか』。しゃくはあてにならない。

 そう思って冷めた目で公爵様を眺めていたら、彼はなんと私を指し示し、「このモデルさんと話がしたい」とライラさんに言ったのだ。

 ライラさんは大喜びでりょうしょうした。

 目が死んでいる私に彼女はすかさず接近し、「この方は公爵で、しかも聖騎士団の団長でもあるんだよ。ちがいなくお金持ちだ。仕事をもぎ取っておいで」とこそっと耳打ちしたのだった。

 仕事―― イコールお金!

 その二つが直結してしまう自分の思考回路を、この時ほどなげいたことはない。自分が聖騎士ににんたいされてしまうかも、という危機感はどこかへっ飛んでしまった。

 そして私はライラさんにうながされるがままに、この公爵様が用意した馬車に乗り込み……今の状況だ。


(ライラさんは、私の|扱《あつか)いをよく分かってるんだよね。まあそれはいいとして……。この公爵様については、気になることが多すぎるわ)


 公爵様が用意していた馬車に乗り込む時、カルロスと名乗る聖騎士の側近もいて、私の顔を見るなり「よかったぁ~」と小さな声で呟いたのだ。


(あれはどういう意味だったんだろ。私を無事に|捕《つか)まえたから? でも馬車は聖騎士団の本部に向かってないんだよね)


 馬車は上層へ入ったけど、貴族のていたくが並ぶエリアに向かっている。つまり私は、何かをしでかして逮捕されたわけではないのだ。

 この公爵様が私を呼んだのは、ショーで見たのドレスを気に入ったから……と考えるのが自然だろう。好きな女性におくるつもりなのかもしれない。

 色々と気になるけど、もうさっさと仕事をしよう。


「さっそくですが、アレク様がお望みのドレスはどういったデザインでしょうか。私がショーで着ていた薔薇のドレスですか?」

「いや、用があるのはドレスじゃないんだ」


 そこで言葉を切り、私の顔をのぞき込むようにぐっと近寄ってくる。宝石みたいなあおむらさきいろひとみに吸い込まれそうで、私は思わず呼吸をとめた。


(ひ、ひい。近い……)

「きみにひとれした。いっしょに食事をしたくて呼んだんだよ」

「…………」


 とても色っぽい声で言ってくれたけど、私はスンっと真顔になった。


(ますますさんくさくなったわ。公爵で、しかも聖騎士団の団長が、初対面の私に一目惚れ? ……ないわ)


 天幕の中で自己しょうかいしたから、私が地方の下位貴族の娘だということは分かったはずだ。

 この人の立場なられいじょうは誰でも選びたい放題なわけで、出稼ぎをするような貧乏令嬢をわざわざ選ぶ理由なんかない。


「そのジトッとした目……俺の告白を信じてないみたいだな。せっかく勇気を出して本心を伝えたのに」

「面白いじょうだんでした。それで、ドレスのことですけど」

「ははっ、冗談にされてしまった。ヴィヴィは全然ものじしないんだな。話すのがとても楽しい」


 本当に楽しいようで、くくっと笑っている。


(あのー、商談を進めたいんですけど。ドレスがしいんじゃないの?)


 どうしたものかと考えているうちに、馬車は大きな門をくぐったようだ。どこかに着いたらしい。

 でもしきに入ったはずなのに、窓から見えるのは樹木ばかりだった。


「ここはどこですか。公園?」

「俺の屋敷だよ。もうすぐ玄関が見えてくるはずだ」

(ここが敷地内? じゃあこの森みたいな場所は庭ってこと?)


 まさかそんなと思っていたら、本当に大きな屋敷が見えてきた。私からするとほとんどお城のような、きょだいごうていだ。

 玄関の前で馬車がとまった。アレク様が先に降りて、ぽかんとしている私に手を差し出している。

 ハッと我に返ってその手をにぎろうとした時、玄関の大とびらが開いてメイド服を着た女性が出てきた。


「旦那様、お帰りなさいませ。大聖女様がおみえになっております」

(えっ、大聖女様!?)

「は? なんでクラリーネがここに……」


 アレク様はなぜかがくぜんとしている。

 大聖女様といえば、神官と聖女を束ねる教会の最高責任者だ。こんだいの大聖女様はせきのような魔法を使うと国中で噂になっていて、クリスのあこがれの人でもある。

 弟があんまりすごいスゴイと熱弁を振るうので、実は私もこっそり大聖女様にお目にかかってみたいと思っていたのだ。


「私も大聖女様のごそんがんを…………わっ、何?」


 しかし馬車から出たたん、視界が真っ暗になる。


「少し風が出てきたみたいだな。寒いだろうから、マントを貸してあげるよ」

「寒くなんかないです!」


 アレク様が私をマントで包んだのだ。何も見えなくてジタバタしてると、急に体がふわっとかんで足が地面からはなれる。


「ごめん。少しじっとしてて」

(えっ!? まさか横き!?)


 人生初のおひめ様抱っこ。こんな美形に抱っこされたんだから、本来なら感激にむせび泣くところなんだろう。

 でも今の私はミーハーな気持ちが勝っていて、とにかく大聖女様のお顔が見たかった。


(どうして今、マント包みにする必要があるのよ! わぁん、大聖女様……)

「明日からの巡回ルートのことで、きたいことがあるんですよ。あら、そちらの方は?」


 マントの中でべそをかいてたら、玄関から落ち着いた女性の声が聞こえてくる。大聖女様の声かと思い、私は必死にマントの合わせ目から外を覗いた。

 開いた扉の前に、黒い服のメイドと白くてすその長いしょうを着た女性が立っている。


(あの方が大聖女様?)


 年齢は五十から六十の間だろうか。しんの強そうなキリッとした顔立ちで、かみはきっちりとい上げている。

 でも今はなぜか、少し驚いた表情だ。私の顔――というより、マントを見ているような?


「カルロス、頼む」


 アレク様の声がして、馬車の座席に大事な荷物のようにおろされた。大きな手が私の頭をやさしくでて、馬車の扉を閉める。


「……何、今の。ああ、玄関が遠ざかる……」


 馬車はなぜか玄関をどおりして、裏手の方へ進んでいく。窓から大聖女様とアレク様が何か話している様子が見えた。

 しばらくして裏門のような場所になり、また馬車の扉が開かれる。


「すみません、ヴィヴィアン様。諸事情により裏門から入ることになってしまいました」

「別にいいですよ。気にしないでください」


 一般人には聞かせたくない話でもあったんだろう。

 私をマント包みにした時はちょっとムッとしたけど、アレク様が大切そうに私の頭を撫でたから……びっくりして、いかりはどこかへ消えてしまった。

 カルロスという従者の手を取って馬車を降りる。


「あの、カルロス様」

「僕のことはどうぞ、カルロス君とお呼びください。その方がしっくりくるので」


 どう見ても私より年上で、しかも聖騎士というエリートなのに『君』呼び?

 でも本人がしっくりくると言うぐらいだから、だんから他の人に『君』で呼ばれてるんだろうか。


「じゃあ、カルロス君。大聖女様ってどんな方ですか?」


 カルロス君は裏手にある出口から屋敷に入り、私を案内するように先を歩いていく。


きっすいの聖女という感じの方ですね。正義感が強くて、お優しいところもあります。いつもたみのためを思って仕事をされてますから、聖職者たちからの人望も厚いですよ」

「……そうですか。らしい方なんですね」

(じゃあさっきはなんで、大聖女様から私を隠すようなことしたんだろ? よく分からないわ)


 私にマントをかぶせて隠したのは、大聖女様がものすごく厳しい性格の方で、れいを欠いた私の態度が問題になるからかと思っていた。でもカルロス君の話からは、そんな印象を受けない。

 しばらくろうを進み、応接間のような広い部屋に通された。窓から少しずつあいいろに変化していく空が見える。もう日が落ちたようだ。

 どうぞと言われてに座ると、ちょうどよくアレク様が部屋に入ってきた。


「待たせてごめん。カルロス、夕食を用意してくれ」


 カルロス君が明るく「はい」と返事をして、食事がったカートを引いてくる。もう一見して高いと分かる上質なお肉。十七年間の人生で初めて出会う、高級食材を使った豪勢な料理。


(打ち上げには行けなかったけど、この料理には大満足だわ。ありがとう神様!)


 みしめて食べる。一口食べるごとにじぃんと感動が胸に広がり、視界がぼやけそうになった。とても……とてもおいしい!


「食べながらでいいから聞いて。きみに提案があるんだ」

「…………はい。なんでしょうか」


 料理にぼっとうしていた私は、平静をよそおって返事をした。おいしいご飯に夢中になってる場合じゃない。


(やっぱり、何か目的があって私を呼び出したんだわ)


 一目惚れしたなんてただの口実だったのだ。

 何を言い出すつもりなのかと身構えていると、


「俺の父はもう領地に戻っていて、この屋敷は空き部屋が多くてね。ここで一緒に暮らさないか?」


 とんでもないことをさらっと言ってのけた。


「……家賃がすごいことになりそうですが」

「一目惚れした女性から家賃をとろうなんて全然思ってないよ。その必要もないしね。タダで好きな部屋を貸すよ」

「タダって言葉を、そんな簡単に使っちゃ駄目です!」


 どれだけ価値観がズレているというのか。

 この公爵様は、しょみんの感覚をまるでご存知ない!


「アレク様みたいな立派な貴族には分からないでしょうけど、一般人にとってはタダってすごく怖いことなんですよ! タダだからって喜んで受け取ったら、あとからべらぼうな運送料をせいきゅうされることだって…………なんで笑ってるんですか?」


 この世の厳しさをマジメに説明してるのに、アレク様はうつむいてかたふるわせている。


「いや、ちょっと……。想像してたのと違う返しが来たから。これはヤバイな、予想のななめ上を行く面白さだ」

め……てます?」

「もちろん褒めてるよ。家賃も食費も何もかも、きみに請求しないと誓おう。これで安心した?」

(安心どころか、ますますけいかいしちゃうんですけど。本当に何がねらいなの? この人の笑顔はてっぺきみたいにかたくて、裏の顔が全然見えてこないわ)


 こうなったらもう裏の顔をあばくのはあきらめよう。優先すべきは仕事だ。


「とてもありがたい提案ですが、私はお仕事をいただける方がうれしいんです。今日は工房の代表としてこちらにうかがいましたので」

「ああ、それもそうか。じゃあドレスも依頼しよう。五着ぐらいでいいかな」

「五っ……!?」


 何十万もするドレスを、五着!?


「これできみの顔を立てたことになるだろう? その代わりと言ってはなんだけど、一つお願いがある」

「あっ、分かりました。ドレスの料金を値引きするってことですね?」


 やっと家賃タダにつり合う取り引き条件が出てきて、私は正直ホッとしていた。でもアレク様はしょうしながら首を横に振っている。


(あれ? 違う?)

「ドレスは正規の金額で支払うよ。俺がきみに頼みたいのは、教会には近づかないでほしいってことなんだ」

「え……。たったそれだけ?」

「うん。それを約束してくれたら、ドレスは何着頼んでもいいよ」

(たったそれだけで、ドレスを何着頼んでもいいとか……。そんなに私を教会に近づけたくないわけ?)


 さっきのマント包みの件といい、よほど私を教会に関わらせたくないみたいだ。

 でもとりあえず仕事は欲しいし、その約束は私にとって他愛もないことだから、今は了承しておこう。


「分かりました、その条件で依頼を受けさせていただきます。とりあえず五着の注文で店長に話を通しておきますね」

「ついでに俺と同居する依頼も受けてほしいんだけど。きみは寮に住んでるんだろ? ライラさんがボロいから建てえを考えてると言ってたよ。いい機会だと思うけどな」

「まだその話を引っ張るんですか……! もううやむやにしたかったのに!」

「いや、うやむやにされたら困るよ。俺の一目惚れが無意味になってしまう。なんで嫌がるんだ? ヴィヴィにとってはすごくいい話のはずだろう」

「……っ、さっきも説明しましたけど、いい話だからこそ胡散臭いんです! こんな豪邸の部屋が無料で、費用いっさいナシで、しかもドレスを五着も注文とか! 一目惚れが理由にしても、好条件すぎてあやしさまんさいです!!」


 ぜえ、ぜえと息が切れる。

 早口でまくし立てた直後、さすがに言いすぎたかとハッとして口元を押さえたけど、アレク様には全く気にする様子がない。


「……ふぅん。こっちにだます気がなくても、あんまりいい話だと警戒されるものなのか。じゃあ責任の所在を明確にしよう。もし同居中にヴィヴィになんらかの損害をあたえた場合には、俺は責任をとってきみを娶ると約束するよ。そうだ、せいやく書も用意した方がいいな」

「ちょ……もう、お願いだから……かんべんしてください。頭がばくはつしそうです」

「本気なのに……」


 頭をかかえる私の前で、アレク様が捨てられた子犬のように悲しげな顔をしている。


(本気なんだろうけど! それが分かるからこそ、余計に怖いの!)


 この公爵様は何かがぶっ飛んでいる。見た目は最高なのに中身がヤバイ。

 これ以上この話が続いたら私の精神がもたなそうだし、そろそろ切り上げて帰らせてもらおう。


「同居については、しばらく考えさせてください」

「それは前向きに検討してくれるってことでいいのかな?」


 惚れ惚れするような笑顔なのに、圧力がすごいグイグイ来る。


「そ……そう、ですね。可能な限りがんって、力を振りしぼって、前向きに検討してみます」


 そう答えられた自分は偉いと思う。

 食事が終わったあと、アレク様は私を馬車で送ってくれた。また私の隣に座り、自分はこんこんやく者もいないからどうか安心してほしい――そんな話を延々としていた。

 生返事になってしまったような気もするけど、きっと神様は許してくれるだろう。


「つ、つかれた……!」


 自分の部屋に帰った途端、私はベッドに倒れ込んでしまった。


(大金持ちの貴族って、皆ああいう感じなのかな……。ちょっと気に入った女性を見つけたら、うまい話を持ちかけてそばに置きたがるものなの?)


 でも王都に住んで半年の間、聖騎士団の団長は女グセが悪いなんて噂は聞いたことがない。聖騎士は皆、王都の人々から尊敬を集めている。


「その前に、一目惚れ自体が実はうそとか……? でもそれだと、あの好条件の数々が意味不明になるわ。わ、分からないっ……! あの人が何を考えてるのか、全然分からない!」


 もう深く考えるのはやめよう。仕事はもらえたんだからそれで十分だ。

 私は頭の中からアレク様を追い出し、明日になったらライラさんにどう報告しようかと考えていた。


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