第18話

「カレン。住み込みの家庭教師として、ドーラを雇いたいので父にお願いしてください」

「アーレお嬢様、なんの家庭教師なのですか――」

「恋のいろは、ですわ」

「……正気ですか?」


 カレンがあきれた顔をする。


「オホンッ。とにかく父に伝えるように」

「……わかりました。いちおう旦那さまにお伝えしておきます」


 その後、父からはすぐにOKの返事がきた。

 うちの父親は娘に甘すぎて、我ながらちょっと心配になるレベルね。


 よし! ドーラに魅了魔法を教えてもらおう!


 ドーラと私は書斎で向かい合って座っている。


「あたしが手本を見せるから、お嬢様はそのマネをしな」

「わかりましたわ」


 ドーラが自分の胸に片手を当てる


「よっと。どうだ?」

「え? もう魅了魔法を使ってるんですの?」

「そうだぜ。どうだ? あたしを見て、胸が高鳴ったりしないかい?」


 ドーラの顔を、瞳を見る。私の胸は――。


「全然、高鳴りませんわね」

「あれぇ!? おっかしいなぁ。男だったらバッチリ効いてるはずだぜ。もっと魔法をかけてみるか――」


 またドーラが自分の胸に片手を当てる


「今度はどうだ?」

 ドーラは問いかけてくるが、私は特に変化はなさそうだ――。

「うーん。魅了されるとどうなるんですの?」

「それは――」


「失礼します。お嬢様」


 するとカレンがお茶を運んできた。カレンが私とドーラの前にお茶を置く。


「お嬢様は何をそんなに熱心に勉強しているのですか?」

「カレン。恋のいろは、と言ったはずですよ」


 ドーラがサキュバスであることや魅了魔法を学ぶことはカレンには秘密だ。


「お嬢様は秘密が好きですからね――」


 カレンには見抜かれてるみたいだけど……。


「ドーラもお嬢様には変なことを教えないでくださいよ」


 カレンはそう言いながらドーラを見た。

 すると、そのままピタリと動作が止まった。動かない。


「カレン? どうしましたか?」


 私はカレンの様子をそっとうかがう。

 カレンの頬と耳は薄く赤く染まり、その瞳はどこか遠くを見つめるようで――。

 端的に言うと、カレンはドーラに見とれているようだった。


「おっと、いけね」


 ドーラが胸の前でパンッと手を叩く。


「カレン。あたしの顔になにか付いてるかい?」

「い、いえ! 失礼します!」


 カレンはそう言うとそそくさと部屋から出ていった。


「さっきのカレンを見たか? 魅了されるとあんな感じだ」

 得意げにドーラが言ってくる。


「へー。凄いんですのね」

 カレンのあんな顔、初めて見たわ。


「というか、カレンには効いてるのに、なーんでお嬢様には効いてねえんだ?」

「私に聞かれても困りますわ」

「お嬢様、あんた……。もしかして恋心とかないんじゃぁ――」

「し、失礼な! 私はずっと恋する乙女ですよ!」

「じゃあ、魔法耐性が高いのか――。手本は見せたから、取りあえずやってみな」


 私はドーラが見せてくれた魅了魔法を、見よう見まねでやってみる。


 数時間後。

 必死になっている私の前でドーラはあくびをしていた。


「ふあーあ、お嬢様。あたしには全然、変化がないぜ」

「ドーラも魔法耐性が高いのでは?」

「お嬢様、それはないぜ。あたしはふ・つ・う」

「というか、サキュバスに魅了魔法って効きますの?」

「……」


 ドーラが急に黙った。

 え?


「ドーラ?」

「サキュバス同士で魅了魔法なんて試したことがねぇからな――。それは、わからねえな」

「ちょっと!?」

「そう焦るなって! それに最初に言ったろ? 魅了魔法は習得出来るかもなって。かもだ! かも! 絶対習得出来るとは言ってない」

「あ! それは卑怯ですわよ!」


「失礼します。お嬢様」


 私たちが、あーだこーだ言い争っているとカレンが入ってきたようだ。


「なんですの? カレン」


「――」


「カレン?」


 私はカレンの方へ振り向いた。


――――――――――――――――


 書斎でなにやらアーレお嬢様とドーラが言い争っている声が聞こえてくる。

 なにをそんなに盛上っているんだか――。

 一度、様子を見に行くか。


「失礼します。お嬢様」

 声をかけて書斎に入る。お嬢様とドーラの姿が目に入った。


 ふと、なぜかアーレお嬢さんに目が吸い寄せられる――。


「なんですの? カレン」


 あれ? いつも見慣れているお嬢様の姿がやけに――。


「カレン?」


 アーレお嬢様が振り返った。

 

 瞬間、体の芯が熾火のように熱くなる。

 顔が、耳が、首筋が熱い。きっと夕陽のように赤くなっているだろう。


 お嬢様の青空のように透き通った美しい瞳を見ていると、どこまでも吸い込まれ、そして、奈落の底に落ちていくような錯覚を覚える。


「カレン、どうしたのですか?」


 お嬢様の愛らしい口が動く。


 やけに唇の動きがはっきりと見える。


 その唇は水蜜桃のようにみずみずしく、ちらりと覗く舌は艶めかしい。


 お嬢様を抱きしめて、口づけしたい気持ちが湧き上がってくる。

 

 いけない! これはおかしい!

 残った理性の欠片が叫んでいるが、そんな叫びはすぐに雲散霧消していく。


 私はアーレお嬢様が好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き、好き――。


「お嬢様! 止めな!」

 ドーラがなにか叫んでいる。


 かまうものか。私だけのお嬢様だ。

 私だけの、大切な、生涯守るべき――。


 アーレお嬢様がパンッと手を叩いた。


「あ?」


 私はいつの間にかお嬢様の両肩をつかんでいた。


「カレン? どうかしましたの?」

「い、いえ! これは大変失礼を!」


 私は慌ててお嬢様から手を離さす。


「気にしてませんわ。それでなんの用事ですの?」

「あ、お、お茶を片付けに……」

「あとでいいですわ」

「そ、そうでしたか。申し訳ありません。失礼いたしました」

 

 私は急いで書斎を出た。

 廊下を大股で歩いている。

 落ち着かない。

 まだ顔が熱い。


 いくらアーレお嬢様が大切な人とはいえ、今日の私はどうかしている。

 さっきもドーラを見たときに変な――。


「まさか――」

 

――――――――――――――――


 カレンが出ていってからドーラがつぶやくように言った。


「魅了魔法、お嬢様はもっと加減して使った方がいいな」

「そんな器用なマネ出来ませんわ」

「でも、さっきのカレンの様子を見ただろ? ありゃ効きすぎだぜ」

「そうですわね。努力しますわ」


 カレンがふらふらと歩いてきて両肩をつかんできた時は驚いた。


「ちなみに、この魅了魔法はさらに強くするとどうなりますの?」

「怖いことを聞くねぇ。魔法にかかった相手は、なんでも言う事を聞く奴隷状態になるだろうよ。あんまりいいもんじゃねぇから、あたしはオススメしないね――」

「ご忠告ありがとうございます」


 念のために聞いておいてよかった。そんな使い方はしたくない。


「まぁ、そんなに深刻になりなさんな。魅了魔法は軽くかけるだけなら、化粧みたいなもんさ。対象の魅力を引き出すだけ――。ちょっとした恋のきっかけになるだけさ」

「勉強になりますわ」

「だろ? あたしは恋のいろはを知ってるからね」


 ドーラは私に優しく微笑みかけながらそう言った。

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