クローズーマルゲリーター 第一話
彼岸が終わる。
最後の客が去り店をクローズにすると、東郷康史は厨房でボウルに砂糖と塩、オリーブオイルに強力粉、ドライイーストを混ぜて生地をこねる。丸く引き伸ばし、端のほうを丸くたたせると、その上に自作のトマトソース、モッツアレラチーズをのせて、釜で焼く。
「ご招待、ありがとう」
声が聞こえて振り返った。
「千晶」
目の前には、肩までのウェーブのかかった康史と同じ年くらいの女性がいる。
十年前に亡くした、妻だ。脳梗塞で旅立った。あの時は取り残されたような気がして、ひどく落ち込んだものだ。
「客席で待っていてくれないかな」
「クローズされた店で、一人で客席で待っているのもね」
千晶は言って肩をすくめた。
「今マルゲリータを作っているから」
「思い出の品ね」
「ああ」
千晶はマルゲリータが好きだった。若いころアメリカとイタリアに留学していたことがあり、青春の味なのだとか。誕生日になにが食べたいか尋ねるといつもマルゲリータを注文していた。
食べながら、二人で向き合いよく語らったものだ。子供はいない。
「それにしてもこの事故物件の土地をよく有効活用しようと思ったわね。彼岸と此岸を繋ぐなんて」
「もともと繋がっていたんだよ」
「死にかけてからそれがわかるようになった?」
「ああ」
康史は一度死にかけている。死にかけたのは三年前。一流ホテルの料理長をしていた。
朝は早く、夜は遅くなる毎日だった。その日は雨で視界が悪く、夜の帰り道に車に跳ねられたのだ。
一度彼岸に行ったものの、千晶がやってきてものすごい剣幕で追い返してくれた。
あなたがいるべきところはここではない、早く帰ってと。
そうして気づくと、病院のベッドの上だった。怪我はひどく三か月も入院していたけ
れど、後遺症もなく退院できた。
「頑張って追い返したのに、彼岸にいる人とコンタクトが取れるような体質になっちゃって」
千晶はいたずらっぽく笑った。
そうなのだ。事故に会って以来、自由に彼岸と此岸を渡り歩ける身になってしまった。
しかも、生きた人々の後悔の念まで強く聞こえてくるようになった。どこの誰が、どのような後悔や重い念を持っているか具体的に聞こえてくるのだ。その声や念の重さに度々うなされ、解消するべく、ホテルをやめた。
「生きたお客様はここを事故物件と知らずに来ていたみたいだったけれど」
「まあ事故前と建物がまるで違うからね」
もともとは二十年ほど前、衣料品店だったらしい。そこに強盗が押し入り、従業員やお客の半数が殺されたと地主から話を聞いた。それ以来、土地に買い手がつかないという。
泰史も断ろうとしたとき、光の柱のようなものが天から途中まで繋がっているのが見えた。この光はなんだろうかと考えて、死人専用のエレベータのようなものになっているのだろうと分かった。
ただ、柱は途中で切れており、宙ぶらりんのままだった。なんとなくこの土地を購入しなければならないような気がして、店を建てた。
すると彼岸の間だけ、此岸と彼岸を繋ぐ、光がつながったのだ。それに気づいたのが今年の春彼岸。
試しに千晶を呼び寄せると、光の柱を通ってこの店に来られた。サンプル2として健在の親を連れてきて、死んだ祖母を呼び寄せた。
すると店の中でだけ、親は祖母の姿を見られた。この土地には、死者と生きたものを繋げる、なにか特別な空間があるらしかった。
「あの時は助かったよ」
そうして去年このいわく付き物件で食堂を作った。
「俺はもう死んでいるのかもな」
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