なにがあるかわからない―神戸牛ー 第三話


蝉が鳴いている。


彼岸食堂へ向かう。ビルとビルの間に挟まれた店。


扉を開くと、前に会った東郷が出て来た。


「黒島様。お待ちしておりました」


東郷は笑顔で近づく。


「墓参り、ちゃんとしてやれませんでした。ご両親に追い返されて」


事情は、八月に話している。


「墓参りは死者に対する礼儀です。墓前に立つ、という行為だけでも気持ち的には違うでしょう」


「確かに」


死者を悼み弔う気持ちは、今の忠一にもあった。


「墓前に立った、という事実と気持ちさえあれば大丈夫です。さ、ご案内いたします」


出入り口からすぐの、左側の席に案内された。


店内は土曜のせいか混んでいた。死者と会える店。ここには死者もいるのだ。


席につくと東郷は水とおしぼりを持ってきた。手を拭いていると目の前に、好青年が現れた。


「部長じゃないですか」


貴弘はびっくりしたような、だが少し照れたような顔で笑った。


忠一の心の中には、ますます重たいものが広がっていく。今は春から夏にかけては明るい時間帯に帰れる自分。でも、貴弘には朝から暗くなるまで働かせていた。貴弘だって、太陽を見たかっただろう。


「どうしたんですか。なんか俺に会いたがっている人がいる、というのをあの世で聞きまして。誰が会いたがっているのか聞かされてなかったんですよ。まさか部長だったとは。ここ、レストランのようですね」


貴弘は腰を掛けると、左右前後を見回している。


「ああ。彼岸食堂というそうだ」

「あ、それ! 今天国で噂になっています」

「こちらでもひそかに噂になっているみたいだ」

「そうなんですね。でも、ここ、メニューないですよ」


テーブルを見回し、貴弘が言った。


「ああ。どうやら生きている人間しか注文ができないようで。それも事前に。だから注文はもうここへ来る前にしてある。今日は私のおごりだ。植村君も存分に食べていってくれ」

「いいんですか? わあ、なにが出てくるんだろう」


忠一との思いとは裏腹に、貴弘はあっけらかんとしている。年は取っていない。二十五歳の貴弘のままだ。あの時は気づかなかったけれど、過労死する直前は顔色も悪かったのだろうと今なら推察できる。一体どんな思いで働いていたのだろう。


「ところでなんて、部長は俺に会いたがっていたんすか」


貴弘は不思議そうに見つめている。


覚悟を決めた。忠一は席を立つと、ゆっくりと土下座をした。


「君を酷使し、過労死させてしまってすまなかった」

「…………」 


痛いほどの沈黙が続く。店の扉が開き、しばらくして閉じる音がした。


鉄板の焼ける音が耳に入る。香りも漂ってきた。東郷が神戸牛ステーキを運んできたらしい。


「おっと。タイミング悪いところに来てしまいましたか」

「部長、顔を上げてください。おいしそうな食事が来ましたよ。コックさんがお皿をテーブルに置いてくださっていますよ」


それでも忠一は、顔をあげない。許されるまで。そう思った。


「お取込み中、失礼いたしました。肉は産地直送です。今朝取り寄せました」  

 東郷は言って、一度店から出た。誰か外で待っているのだろう。靴音からそんな気配がした。


「どうか顔を上げてください。料理、冷めちゃいますよ」


貴弘の戸惑ったような声が聞こえてくる。


「本当にすまなかった……」


それでもまだ頭をあげない。


「……俺が許さないって言ったら顔を上げてくれるんですか? なら許しません」

 貴弘の声が急に低くなる。そうだ。俺は貴弘に罵倒されたかったのかもしれない、と忠一は思う。今更ではあるが。


ゆっくりと顔を上げた。すると貴弘は笑っていた。


「土下座なんかいりませんから食べましょうよ」

「ああ。そうだな……」


気まずい気持ちで席に座り直した。


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