もしも……ーカキフライー 第九話
「もしもし、唄子ちゃん?」
コール音が二回鳴って、聡子が出る。
もう、八十近いのだ。希海先生がもし望んでいなくても、私もできることはしよう、と思った。それに母親とは、一度くらいは会ってもいいと言っていたのだ。
「唄子です。少し話したいことがありまして。今からうかがってもよろしいですか」
「ええ。いいわ。いらっしゃい」
電話を切り、時間をかけて数年前まで二週に一回訪れていた団地の一階へ訪れる。
希海先生は、お父さんもいらっしゃらない。小学生の時に亡くなったそうだ。
お母さんは女手ひとつで育ててきた。そういう家庭環境を考えると、希海先生と聡子の間に確執があるとはいえ、唄子は無視できなくなる。
残された母親のほうも、気になってしまうのだ。
インターホンを鳴らした。「どうぞ」と声がしたので、扉を開く。
習い事をしていたときと何も変わらない家。玄関を上がってすぐ右隣りに唄子と希先生の過ごした部屋が、左側の、廊下を少し歩いたところに、リビングがある。
聡子が顔を出すと、あいさつをして、リビングのほうに通された。
「お線香をあげてもいいですか」
仏壇が目に入ったのですかさずそう言っていた。仏壇の前には、和菓子が置かれていた。
「いいわよ」
線香に火をつけ、手で余分な火を祓ってから線香立てに線香を一本立てる。
そうして手を合わせた。
――今日はどうもありがとうございました。
心の中でそう言う。そうして振り返る。
「どうぞ、座って」
リビングの椅子に座るように促された。緑茶を目の前に差し出される。
「それで、今日はどうしたの」
「その、不思議なことがありまして」
招待状をもらってから、今日希海先生と会ってきたことを話す。
「え。唄子ちゃん、希海と会えたの?」
聡子は悲鳴に近い声で言う。
「はい。彼岸食堂といって、死者と会える食堂のようです。私も最初は半信半疑でしたが、行ってよかったと思います」
「それで、娘はなんて?」
「個人的なことを話してきました。お母様のこともご心配されていましたよ」
希海先生はあまり心配をしていなかったように見えるが、一応そう言っておくことにした。
「そんな食堂があるのね」
「はい。どういうからくりになっているのかは存じ上げませんが……」
聡子は目尻に涙をためた。
「あの子はどんな生活を送っているの」
「天国では、元気にされているようです。顔のむくみも全然なくて。亡くなると、天国で住居があてがわれるそうなんです。それで一人で優雅に暮らしていると。ストレスもないそうです」
「そう。そうなの。よかった……」
しばらく希海先生から聞いた天国のことなどを話していた。聡子は最初から信じ込んでいるようだったので、素直に聞いている。
「私ももう先のない命だけれど、その食堂へは行けるのかしら」
「招待状が来ないとだめらしいので、店主に一応言っておきました。来年考えておきますって」
聡子の表情には、希望が垣間見える。
「そう。私もそこへ行きたい。あの子に会いたい。いくつになっても母親は母親だから」
泣き出してしまった。ずっと後悔し、自分を責めているのだ。
手術をさせるべきではなかったと。親ならなんとしてでも引き止めるべきだったと。
唄子は優しくなだめた。すると聡子は落ち着いた。
「ごめんなさいね。お見苦しいところを」
「いいえ。私、実は眠っている間に天国で会いに行っちゃったみたいで。一緒にカキフライを作ったらしいんです。だから今日はカキフライを先生と一緒に食べてきました。招待状には思い出の一品、って書いてありました」
「思い出の一品を一緒に食べられるの」
「そうみたいです」
「たくさんあるわ」
「なら、今から考えておくのも悪くないと思いますよ」
母親は少しだけ嬉しそうな顔をする。
「そうね。考えておくわ。楽しみにしておく。教えてくれてありがとう」
はい、と唄子は笑った。母親の悲しみも、これで少しは癒えるといい。
「唄子ちゃんは生活、どう?」
聡子は訊ねる。希海先生の時のように素直には話せない。
「まあ、ぼちぼちです」
「辛いことがあっても、淡々と日々を送るのよ」
「はい」
淡々と、か。母親はそうして誤魔化し誤魔化し生きているのだろう。
それもいいのかもしれない。
それから一時間半ほど話して、帰ることにした。
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