もしも……ーカキフライー 第五話


特に、驚きはしなかった。


希海先生のことは大いに慕っているから、近くまで行ってしまっても不思議ではない。


「やっぱりそうなんですね」

「ええ。私のことでも考えてくれていたのかな。唄子さんの精神体が、私が今住んでいる天国の家へ来ちゃったの。ちょうど、カキフライを作ろうかと思っていたところで、あなたは『手伝いましょうか』と言ってくれて」

「確かに言いました。あれ、現実だったんですね」

「そう」


言いながら希海先生はカキフライをほお張る。


「天国では何食べても味がしないんだけど、あの時ちょうど懇意にしてくれている商店街から牡蠣をおすそ分けしてもらって。それでカキフライを作ろうとしたら、家にいつの間にか唄子さんがいたの。正直ちょっと、びっくりした」


「はは、すみません」


唄子は頭を掻く。先生の死からは立ち直れても、悲しみはまだ心のどこかにある。


「それで一緒に作ることになって……実際、作ったよ」


唄子にとっては夢で片付けられているために、作っている最中のことはほとんど記憶になかった。


「出来上がったカキフライは、一緒に食べました? 夢でそこはカットされていて」

「一緒には食べていない」

「やっぱり死者と生きている者は一緒に食事ができないということですか」

「そう。あのまま食べていたら、唄子さん天国の住人になっちゃうから。食べる前に帰ってもらったの。そこも覚えてない?」

「はい」


やはりそうか。このままだとまずいと思って、唄子をいるべき場所へ帰したのだろう。


唄子にとっては夢でも、希海先生にとっては現実に起きたことなのだ。そうして寝ているときというのは案外、精神が肉体から離れてどこかへ飛んで行ってしまうのだなと思った。


希海先生のところへ行ったのは、やはりそれだけ唄子の希海先生への想いが深かったということなのだろう。もう何も話せないことに、ストレスを感じていたくらいだから。


でも、あれだけ死にたいと思っていた唄子も、最近ではその感情が薄くなっていることに驚いている。生きたいとも思わないけれど、死にたいという思いもあまりない。


希死念慮は少しあるけれど、二十代の時ほどのすさまじさはなくなっている。


「でもわざわざ会いに来てくれるなんて、そんなに私のことが好きなの」


冗談っぽく言う。


「はい。大好きです」

「大胆に言われると照れるねえ」


カキフライに今度はソースをかける。ソースも程よい甘みがあって、カキフライに馴染む。


「タルタルソースと普通のソース、どっちが美味しい」


希海先生はいたずらっぽく聞いてきた。


「私はタルタルのほうが好きです」

「気が合うね。私もタルタルのほうが好き。でもここのお店、本当に美味しい。別のものも食べてみたい」

「ですよね。思い出の一品ではなくて、自由に選べるようにできたらいいのに」

「まあ、店主も一人でお店を回しているみたいだし、仕入れとか大変なんじゃない?」

「そうですね」


天国での話などを聞いた。他愛のない会話が続いていく。話したいのはこんなことではないのに。でもこんなことも、必要か。なんでもない話をすることだって、唄子は嬉しいのだ。


「私も言いたいこと、言っていい?」


希海先生は優しく微笑んだまま目を見つめた。


「はい」

「唄子さんは、幸せになってね。いつか生きていてよかったって思えるくらい、幸せになって。それが、師匠からの願い。だからほら、婚活も諦めずにしないと」


三十半ばの時、希海先生は婚活を勧めてくれた。仕事ができないなら、家から離れるためにも家庭を持って精神的な安定を図ることも必要だと言ってくれた。


実家にいるままでは厳しいだろうと。姉のこともあるけれど、母の過干渉も凄い。


言われて少し結婚願望もわいた。だから助言通りに一生懸命婚活をしたし占いも活用したけれど、いい人には巡りあえなかった。婚活パーティー、街コン、社会人サークル、婚活サイト。


いろいろ利用した。でも寄ってきたのはヤリモクが三人、DV気質の人が二人。逃げるのに大変でへとへとになってしまい、さらには男性とデートした帰り道、八十代の男性にナンパされたりもした。太ももを触られ、トラウマになった。


疲れたしめげてしまい、いつの間にかフェードアウトして年齢を重ねてしまった。



先生はいつも言っていた。「私の小さいころの夢は、お母さんになることだった」、と。


「結婚したいと思う気持ちは、先生のおかげで芽生えました。婚活を勧めてくれなかったら私はいまだ、なんの感情もわかなかったかもしれません」


「鬱、ひどかったものね。鬱の中で結婚願望も芽生えなかった?」


「はい全然。鬱で結婚なんか考えられなくなっていて。だから本当、鬱が憎くもあります。特に、なんで二十代の一番いい時期に、精神の病に煩わされていたのだろうって。二十代が本当に、もったいなかった。病院は転々としていましたし、転院するごとに悪化していって。薬も副作用でフラフラで」


「病気って、人生壊すよね。でも唄子さん、これからよ」


希海先生は真っすぐに唄子を見つめる。


「私が見てきたお客って、本当にいろいろな人がいたから。五十代既婚女性が二十代男性をつまみ食いしたりしているのよ」


その話は、本当によく聞いていた。既婚者が手を付けるから、私たちに回ってこないんだよね、とも話していた。希海先生の相談にくるお客のほとんどが恋愛の悩みだと言っていたけれど、恋愛は純愛だけではなく、不倫や、愛人家業、LGBTの三角関係など多岐に渡る。


既婚女性が二十も三十も離れた年下男性と遊んでいることもざらにあるそうだ。

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