大丈夫だよーお子様ランチ 第八話

 思い切って言うことにした。なぜか緊張し、勇気もいるが口に出す。


「本当に妊娠しているみたいなの」


博之は箸を止め、礼子を見つめた。無言でいる。


「昨日、体調が悪くて、食堂での匂いもきつく感じられたのだけれど、あれって多分妊娠の兆候だと思う。今日つわりの症状が出て、検査薬で陽性だったの。明日産婦人科へ行くことになって」

「そうか……」


オムレツを一口食べ、博之はそう呟く。


「嬉しくない?」


訊ねると、博之はうつむいた。


「……桃子の言っていたことは本当だったんだな。嬉しいけど、なんといえばいいのか。桃子をなくして、それを背負ったまま、新しい命を迎えていいのかなって。そりゃ、無事に誕生して、無事に大人になってほしいとは思うけど。つい最近まで俺たちは心の底から悲しんでいた。そんな精神状態のまま、その子をきちんと育てられるのかなって」


「私もそう思った。だから少し複雑な気分にもなったわ。でも料理中、桃子のことを思い出しながら考え直したの。昨日の桃子の態度、見たでしょ」


「ああ」

「弟ができるから大切にしてって言ったわよね」

「ああ」

「それにもう、不安定になったり、めそめそするのはやめてとも言っていたわよね」

「うん」


博之は逐一頷く。


「多分、桃子は嬉しいんだと思う。そうして新しい命を迎えることを望んでいるんだと思う。だから私たちに怒ったのよ。あなたは桃子をなくしてそれを背負うと言ったけれど、もう背負わなくていいのだと思う。桃子はそれを望んでいない。新しく子供を授かっても、桃子のことを忘れるわけじゃない。お姉ちゃんがいたよって、楽しい思い出と共に伝えていけばいいのよ」


礼子は自分でも冷静な口調で話していることに驚いていた。今まで桃子のことを口に出すたび感情的になっていたのは礼子のほうで、それを落ち着かせるのは博之の役目だったのだ。


「俺たちは桃子を愛するあまり、縛られすぎていたのかな」

「そうだと思う。だから桃子が来てくれた」

「わかった。なら気持ちよく新しい子供を迎えよう。じゃないとお腹の子もかわいそうだな」

「そうよ。でも詳しいことは明日、病院へ行ってからね」


言って桃子の楽しい話をしながら、オムレツを食べた。


この二年、家庭内がギスギスしてもどれだけ礼子や博之が不安定になっても、夫婦仲が悪くなることがなかったのが不思議だった。



翌日、博之を見送った後で産婦人科へ急いだ。


十年前となにも変わらない。スタッフは全員女性、医者も同じ女の先生なので安心して検査してもらうことができる。検査をして、診察室へ呼ばれた。


医者はエコー写真をシャーカステンに貼っている。五週目だという。


「おめでとうございます。二人目ですね」


桃子が死んだことを、医者は知らない。礼子は緩く微笑んだ。


「長女の桃子は二年前に亡くなってしまって」

「あら、ごめんなさい。そうだったんですか。これは申し訳のないことを」


医者は本当に申し訳なさそうに謝る。だが、礼子は勢い余って言ってしまった。


「大変でしたが、一昨日奇跡が起きたんです。彼岸食堂というところに行ったら桃子に会えたんですよ。一緒に食事ができたんです。そこで桃子にいつまでも泣いているんじゃないって怒られました」


医者は否定せず、信じた様子で笑った。


「彼岸食堂、ですか。桃子ちゃんは、よほどなにか伝えたかったのでしょうね。お子さんを亡くした妊婦さんもたくさん見てきましたが、夢で会うこともあるそうですよ。不思議なことってあるようです」

「ええ。ええ、本当に。でもこれまで精神不安定で、心療内科に通っていました。私、大丈夫でしょうか。この子に影響は出ないでしょうか」


不安材料はこれだった。二日前まではまだ泣いていたのだ。


「お薬は飲まれていますか」

「いいえ。処方通りに飲んだほうがよかったのかもしれませんが、頭の働きが鈍くなるだけで飲んでいませんでした」

「なら、健康面のほうでは問題はありません」


心療内科の薬は妊婦にはよくないらしい。


「問題は精神面です」

「桃子ちゃんと会えて、気分は落ち着きましたか」

「ええ。桃子に叱られて反省せざるを得ないことがたくさんあって、夫と認識を改めようとしているところです」


医者は微笑む。


「ひとまず落ち着いているのであれば大丈夫でしょう。お子様を亡くされて大変な気持ちはわかりますが、なるべく楽にして過ごしてください。桃子ちゃんが亡くなったことでご自分を責めなくていいのですよ」


優しい声に泣きそうになる。医者からそう言われたことで、少しほっとした部分があった。


「不安定になりそうなら深呼吸をしてください。旦那さんとよく話し合う機会を設けて前向きに、ね」

「はい」

「母子手帳ももらいに行くのを忘れずに。また来週来てください」


そうだ。母子手帳が必要になる。新しい子を授かった、その実感がひしひしと湧いてくる。


病院を出る。九月もそろそろ終わるというのに、背中にじりじりとした暑さが照り付けている。お腹の子は、今度こそ、ちゃんと大人になって長生きしてくれますように。そう願わずにはいられない。


夜になって博之が帰ってくると、妊娠していたことを伝えた。


博之は昨日とは打って変わって笑顔になった。彼も彼なりに、色々と考えたのだろう。


「よかった。俺たちの子供がまたできる」

「ええ、今度こそ後悔しないように生きていかなくちゃ」

「桃子は男の子だと言っていたな。名前、考えておこう」

「そうね。姓名判断の本、明日買ってくるわ」


桃子の時は、姓名判断とかあまり考えずにつけてしまった。今度はしっかり字画を考えて名づけしよう。


「桃子、見ているか?」


博之は天井を見て、語り掛ける。


「桃子に、兄弟ができるぞ。無事生まれてこられるよう見守っていてくれ、お姉ちゃん」


博之の声は届いただろうか。


大丈夫だよ。


そんな高い声が聞こえた気がした。

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