大丈夫だよーお子様ランチ 第六話
奇跡はめったに起こらないから奇跡という。
死んだはずの桃子に会えて、気持ちを聞けたのは奇跡以外の何物でもない。
でも、奇跡があるというのなら、桃子を死なせず元気に回復させてほしかった。礼子はそんなことも思う。
昨晩は戸建ての家に帰ったあと、リビングで博之と話し合った。
そしてルールを作った。
もう桃子を思って泣かないこと。桃子と過ごした、楽しい思い出を話すこと。
カウンセリングも、お互いやめることにした。もともと気休め程度に、ただ辛い思いを吐き出すために行っていたようなものだ。
カウンセラーもただ話を聞くばかりで具体的な治療法は何も提示しない。
医師も薬を出すだけだった。薬は対処療法で、頭の働きが鈍くなるだけで不安定な精神には全く効かないので、飲んでいなかった。そうして桃子の気持ちがわかった今、
行く必要はないと判断した。
博之は、会社に出かけた。礼子はひととおりの家事を終えたあとで、クッキーを作ってみることにした。桃子の好きなものや好きなことをずっと封印してきた。あまりにも悲しくて。でもそれは却ってよくないことだったのだ。桃子が好きだったことを解き放とう。
ボウルにバターと薄力粉、砂糖、卵黄を混ぜてこねくり回す。
楽しい思い出のひとつ。作るのは何年ぶりだろう。
桃子とこうしてクッキーを時々作った。生地ができるまで、桃子は隣に座って興味深そうに見ていたものだ。やりたい、やりたい、とかき混ぜるのを手伝ってくれたこともあったが、力と体力がなくてすぐに挫折し礼子にパスしてきた。
「大人になれば作れるようになる? ちゃんとかき混ぜられるようになるかな」
そんなことを言っていた。礼子は頷いた。桃子は早く大人になりたいと言っていた。
食器棚の奥のほうから型を取り出し、綺麗に洗うと、麺棒で生地を均等な大きさに広げていく。
星型、ハート型、丸型。桃子は星型が大好きで、いつも初めにそれを手にしては、型抜きをしていた。
「ママの焼いてくれるクッキー大好き」
そんなことを言って笑っていた。たくさん作ることにした。
全ての型抜きをし、温めたオーブンに入れる。
鼻歌を唄った。桃子によく聞かせていた「グリーンスリーブス」。こうしていると、桃子がリビングを走り回っているような気がしてくる。
実際、六歳くらいの時は桃子は歌いながら走り回っていた。元気な子供は体力の限界を知らない。尽きてしまうまで全力で走り回る。
桃子だって元気な時はあったのだ。闘病生活に追われて、桃子が死んだあともずっとそればかりを見つめていたけれど、病気を患う前は目を離してはいられないほどあちこち動き回っていた。
一緒にお風呂に入るときだって、今日はこんなことがあったよ、とずっとおしゃべりをしていた。娘の小学校生活の話を聞いて、成長してくれていることを幸せに感じていたっけ。
決して不幸ではなかった。
桃子が死んで不幸だと思い込み、元気な子供が親と一緒に歩いているたび嫉妬に駆られていたけれど、桃子からすればそれは怒るべきことだったのだ。
自分たちは不幸などでは決してなかった。
クッキーの香りがしてきた。一時間ほど焼いてオーブンから出し、冷ます。熱いクッキーを一口食べると、甘く、懐かしい味がした。冷ましてからというのも聞かず、桃子はさっと手を出し、熱々のクッキーをほお張らせて知らん顔をしていた。幸せだったころの思い出がどんどん甦る。
クッキーが冷めるころには、日が傾きかけていた。お皿に星型のクッキーを三枚並べて仏壇の前に備える。天国では味はわからないというけれど、匂いを嗅ぐことぐらいはできるだろう。
夕飯は、桃子がお子様ランチの次に好きだったオムレツにしよう。こうすることで、桃子が元気だったころの思い出がどんどん溢れてくる。それを博之とも共有しよう。
そう思ってスーパーに行く準備をしていると、突如気分が悪くなってトイレへ駆け込み、吐いた。少し息を切らせて、まさか、と思う。
まさか本当に?
確かに、昨日は体調が思わしくなかった。今日も。でも我慢できる程度の具合の悪さだ。けれど昨日は食堂で、食べ物の匂いのきつさにも少し気持ちが悪くなっていた。
妊娠をすると、臭覚や他、色々なことが敏感になる。
体調が落ち着くのを待ってから、ドラッグストアに行き妊娠検査薬を買う。それからスーパーへ行ってオムレツの食材を買ってきた。
すぐに妊娠検査薬を使う。結果は陽性だった。
なるべく冷静になるように心がけ、桃子を生んだ時の産婦人科に電話をかける。明日空いているので来てくださいとのことだった。
桃子の言っていたことは本当だったの? それは、医者が判断するまでわからない。
でも、吐いたということは本当なのだろう。あれはつわりの症状だ。
なんとなく複雑な気持ちになりながら、最初にサラダとみそ汁を作る。
それから玉ねぎとしいたけ、人参を刻み、ひき肉を混ぜ合わせて炒める。桃子は料理を作っていると、いつも隣にいて様子を見ていた。礼子から離れることがなかった。
オムレツの卵はどうすれば綺麗に包めるの?
そんなことも聞かれたっけ。
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