大丈夫だよーお子様ランチ 第四話
エビフライも、家で作る味とは全く異なる。どこか漁港近くのレストランで食べているような、そんな錯覚にさえ陥る。
桃子は話をせず、夢中で食べていた。よほど美味しいのだろう。その姿を見て、礼子の視界がまた滲む。
桃子は最後の五日間、ほとんど何も食べられない状態にあった。何を食べても戻して
しまう。流動食と点滴だけで、痩せていった。髪も抜け落ちて、見ていられなかった。
本人も戻してしまうのは苦しかったらしく、涙を流していた。そうして言った。
「お子様ランチ、また食べられる日が来る?」
お子様ランチを食べたいということは、桃子は生きようとしていたのだろう。
そうして生きられると心から思っていたのだろう。これまでに食べたお子様ランチの旗は、すべて持ち帰り入れ物に入れて家の食器棚に置いてあった。
桃子は旗も好きだったから。思い出として取っておきたいと言っていた。
そんな日々を思い出して礼子はきっと食べられる日が来ると、嘘をついたけれど。まさか、本当に食べられる日が来るとは思っていなかった。
しかも大人である私まで食べているとは。ご飯に刺さった日の丸の旗を見て、礼子は少し微笑む。小さいころ、礼子も母にどこか連れられて行ったときに、お子様ランチをよく頼んでいた。懐かしい。
そうして子供が大好きになるお子様ランチを発明した人は本当に素晴らしい。
改めて、桃子は髪も病気になる前と同じで生えている。綺麗な三つ編みだ。
「その三つ編みは、大人のお世話係の人に編んでもらっているの」
「うん、そうだよ。時間がかかっても綺麗にとかして編んでくれるの。頼むといろいろな髪形にしてくれるよ」
安心するとともに、少しだけ虚しくなった。自分が編んであげられないことに。
「ここに来れば、桃子にはまた会えるのかな」
礼子はぽつりと呟いた。すると桃子は顔をあげ、残念そうに首を振った。
「会えるのは、死んだ人に対する後悔を持っている人だけで、一度その後悔がなくなるともう会えないんだって。東郷さんがそう言っていたよ」
「そうなの」
礼子はそれを聞いてがっかりした。一年に一回でもいい。会えるのならばここに来るのに。
博之を見る。博之も浮かない顔をしていた。
「だからこそ私、東郷さんに会えるよう一生懸命お願いしたんだよ。伝えたいことがあったから」
「なにを伝えたかったの」
桃子はフォークを置き、少し身を引いた。
「ママ、私が死んでから毎日泣いているでしょう。モニターで見なくても天国まで気持ちが伝わってくるの。ママが自分を責めている声と共に」
「…………」
何も言えなかった。毎日泣いて自分を責めているのは事実だ。
「私が死んで、悲しいんだよね」
「そうよ。桃子が死んですごく悲しい。心がぐちゃぐちゃなの」
「でも毎日泣いているのはよくないよ」
桃子も少し悲しそうな表情で言う。
「それはわかっているけれど、桃子に辛い思いをさせてしまったって毎日思っていて。丈夫に生んであげられなくてごめんねって毎日思っていて」
子供の前だ。でも、今ここで本心を話そう。話さなければ、向き合えない。自分にも、桃子にも、桃子の死にも。
「毎日泣かなくても、私は元気にやっているよ。それにもう苦しくないよ。だから泣かないで。ほら、こうして綺麗に髪も生えて編んでもらっているし」
桃子は三つ編みを見せる。もう苦しくない。その言葉を聞けて、再び視界が滲む。
「ママは私が生きている時、苦しそうなのを見て陰で泣いていたよね。でも本当に、もう大丈夫だよ。今は健康になって天国にいるよ。それにまたこうしてお子様ランチ、食べられているよ。ママの言ったことは嘘じゃなかったって思っている」
桃子の瞳は必死に訴えている。
「ママはね、桃子に会えないのも悲しいの」
「今こうして会えているよ」
「でも食べ終えたら、もう会えなくなってしまうでしょう」
言うと桃子は笑った。
「会えなくても、私はいつもパパとママのこと見ているから。すぐ怒ったり、泣いたりするの、よくないよ。ママの体にも心にも。私はパパとママが心穏やかに過ごしてくれるのがなによりの望みなの」
遂に耐えきれなくなって、涙を流した。
「桃子がそう言うのなら、なるべく落ち着いて過ごすように考えてみる……」
「そうだよ。すぐ怒ったり泣いたりわめいたりしたら、他の人にも迷惑でしょ。東郷さんにもヒステリックになって迷惑かけたよね」
やっぱりわが子は大人びている。
「うん。そうね」
確かに迷惑をかけた。精神不安定なままではいけない。自分でも常々そう思っているが、娘の言うことのほうがカウンセラーが言うことよりもはるかに治療になる。
今、娘に言われてしみじみと感じた。これからは昔みたいに落ち着いて過ごすようにしよう。感情的になってもなるべく理性で抑えるようにして。
「俺も支えるから」
「パパもだよ」
「え」
博之はびっくりしたように桃子を見る。
「パパも本当は、私がいなくなって不安定になっているでしょ。ママのほうがよりひどいから、隠している。本当はパパもこっそりカウンセリングに行っているよね」
礼子は思わず博之を見つめた。博之は戸惑ったような顔をしてから「参ったな」と呟く。
「あなたもカウンセリングに行っているの」
「ああ……」
「私、なんでもお見通しなんだからね」
桃子は頬を膨らませる。モニターというのはどこまで見通せるものなのだろう。
「モニターでもパパとママの様子を見ているけど、二人の重たい気持ちが私の中にまで入り込んでくるんだよ。これでもか、これでもか、っていうくらいに。こっちまでおかしくなりそうだよ。だから私も最初は泣きたくなったりすぐ怒ったり、ユウウツな気持ちになったりしたけど、これじゃダメなんだって思って精神面も鍛えたんだよ。そうしたらパパとママの気持ちも私の中に入ってこなくなった」
「鍛えたってどうやって」
「しっかり自分を持つことにしたの。私、パパとママにすごく怒っているんだからね。モニターの前でも怒っている。声は届かないだろうけれど」
博之はお子様ランチを食べ終え、備え付けのナプキンで口を拭くと息をついた。
「そうか。俺たちは娘に叱られていたんだな。ずっと」
礼子も食べ終えて、少し反省した。いつまでも悲しがっていたから、桃子が怒ってしまった。
でもそれを知られただけでもありがたい。
三人でお子様ランチを食べ終えると、メロンソーダが運ばれてきた。
バニラアイスも乗せられている。メロンソーダを見て、桃子はにっこりと笑った。ああ、と礼子は内心で息を漏らす。笑顔が見られた。この笑顔を守り抜きたかった。
「死者は食事もドリンクを選べないのですが。今回はお嬢様の頼みでご招待させていただきましたので特別です」
東郷はまたごゆっくりと言って去っていった。
桃子はアイスを食べ始める。
お子様ランチだけでも結構お腹がいっぱいになる。礼子はメロンソーダの中にアイスを溶かし一口飲んだ。これもずいぶん久しぶりだ。炭酸の入ったメロンの独特な甘みと、アイスがよく合う。
礼子も子供のころはメロンソーダが好きだった。大人になるとだんだんそうしたものに興味がなくなっていき、なぜかコーヒーや紅茶が好きになっていく。
桃子が元気なころは、彼女にもそういう大人の未来が待っているのだと信じて疑わなかった。未来はいくらでもあったのに、桃子からそれを奪った病気が憎い。
でもそれは心にとどめておく。
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