大丈夫だよーお子様ランチ 第二話
「その、私は天国へ行ける体質でして。そこで桃子さんにお会いしたのですよ。そうして頼み込まれたのです。あなた方と一緒に食事をしたいと。お子様ランチがいいと言っていました。本当は死者は食事を選べないのですが、一応お伝えしておきます」
「本当に桃子が天国からそこへ来るの」
「ええ、そうです」
「私たちを騙してその食堂とやらでぼたったくりをする気じゃないでしょうね」
「いえ、うちは良心的な価格でお料理を提供させていただいております。それとも、信じられないというのなら欠席なさいますか」
欠席、と言われてしばらく悩んだ。ヒステリックに責め立てたことを少し申し訳なく思った。けれど良心的な価格で料理を提供する、というのなら。
「お値段はいくらくらいなのですか」
「一番高いもので五千円ですが、まだ五千円を払ったお客様はおりません。例えばお吸い物と白米付きの天ぷら盛り合わせ二皿とコーヒ二杯で二千円です。利益は度外視しております」
その値段に驚く。料理に関しては本当に良心的な店なのかもしれない。
「……出席します」
「では返信ハガキを送ってください」
「わかりました」
電話を切る。博之は振り返った。
「よかったのか。出席するだなんて言って」
礼子は頷いた。
「電話の相手は悪い人じゃなさそうだったし、本当に食堂なんだって話してみてわかったから。桃子が会いたがっているというのなら、嘘でも出席して確認しにいかないと」
話しながら、冷静になっていくのがわかった。東郷の澄んだ声が反芻されて、なんだか落ち着いていくのだ。桃子が死んでから、些細なことで感情が抑えきれなくなっている。
よくないことだとわかっていても、礼子は自分で自分をコントロールするすべを失ってしまった。
「いたずらと決めてかかった俺たちもよくないのかもしれないよ。有休をとるから二人で行ってみようじゃないか。思い出の一品は何がいいかな」
「お子様ランチよ。あの子が食堂に来るというのなら、それしかないわ」
「そうだな」
礼子は泣いた。桃子のことを思い出しては毎日のように泣いている。
そんな礼子を博之は支えてくれる。
二年前、九歳の桃子は小児がんで亡くなった。最後の二日間は苦しみぬいて意識のない状態になり、息を引き取った。
酷く苦しむ姿を見たとき、後悔が襲った。どうして、もっと丈夫な子に産んであげられなかったのだろう。
有機野菜などの食材を使っていれば、がんにならずに済んだのだろうか。どうしたら健康に育ったのだろう。どうすれば、苦しまずにすんだのだろう。もっとやるべきこと、できることがあったのではないか。元気な時に、もっと構ってあげることだってできたはず。そうした自責の念が、この二年間、礼子を苦しめていた。
最愛の娘を失って、心に穴が開いている。そうしてその穴をふさぎ切れていない。
心療内科でカウンセリングを受けているが、効果はあまり感じられない。
九月二十二日。
暑さ寒さも彼岸までというけれど、暑さは一向に和らぐ気配がない。
昨日も泣いて過ごした。博之は懸命に慰めてくれた。
泣いた心の重さを抱えながら、午前中に、桃子の眠るお墓へと赴く。
墓石を磨き、花を添えて線香立てに線香を置く。こうしている間にもまた涙が出てくる。
九歳で死んでしまうなんてかわいそうすぎる。元気に遊べていたのは六歳のころまでだ。
あとの三年間は闘病生活に費やしていた。まだ遊びたい盛りだっただろうに。それに、甘えたい年頃だっただろうに、桃子は闘病生活を始めてから、少し大人びるようになった。
礼子たちに迷惑をかけまいと一生懸命気遣っていたのだろう。
「さあ、涙を拭いて」
博之に言われたとおり、ハンカチで涙を拭いた。
「行こうか。彼岸食堂へ」
「ええ」
少し体調が悪かったが、この機会だ。
電車を乗り継いで、彼岸食堂へ向かう。
天国へ行ける体質。それは、いったいどうすればそんな体になれるのだろう。
嘘なのか。本当なのか。だが、電話越しで嘘を言っているようにも思えなかった。
行けるのだったら私だって天国へ行って桃子と毎日のように会っていたい、と礼子は思う。
「ここかな」
十二時半五分前。ビルとビルの間にある白い建物。看板はなく、茶色い木製の扉がある。
博之と顔を見合わせ、恐る恐るドアを開けてみる。
「いらっしゃいませ」
店内を見渡すと、本当に食堂、というよりレストランのような様式だった。
白いクロスのかけられた綺麗なテーブルと椅子。何人かの人が楽しそうにおしゃべりをしている。料理の匂いがなんとなくきつく感じられる。
コック帽に白い制服を着た人が近づいてきた。礼子は丁寧に言うようにした。
「夏の終わりに電話でお話をさせていただいた者ですが」
「平松さんですね」
コックの声は電話の主と同じだ。
「その節は大変すみませんでした。私、少し精神不安定なもので」
深々と頭を下げる。
「いいえ。デリケートな問題ですからね。疑うのも無理はないでしょう。お気になさらず――」
東郷が続けようとしたとき、突然大きな声が聞こえてきた。大学生くらいの子が立ち上がって、なにか叫んでいる。場は急に静まり返った。礼子も凍り付く思いがした。
「ママ!」
次にそのような声が聞こえる。礼子は目を疑った。桃子だ。抜けていたはずの髪が生えている。二つに分けた三つ編みが、走るたびに跳ねている。こちらにやって来る。信じられない。でも、目に見える。
「桃子!」
思わず屈んで抱きしめた。ああ、桃子の温もりも感じられる。その温もりが、礼子の心も温めていく。不安定な精神が、安定していくのがわかった。本当に会えたのだ。
「桃子なのね」
博之も、礼子と一緒に桃子を抱きしめた。
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