ありがとうー海鮮丼ー 第十話
家に帰るころには、午後九時を過ぎていた。母親に遅い、と怒られた。
「ごめんごめん」
食卓には、すでに晩御飯が用意されていた。席に座って食べる。
「今日は理人君のお墓参りに行っていたんじゃないの」
「うん。それから食堂と海にね。海では子供になつかれて」
「食堂? どんな」
母は食堂に興味を持ったようだ。母になら言ってもいいだろうか。息子のせいでよそ様の大切な息子を死なせてしまったという罪悪感が、両親にも心のどこかにあるのだ。
理人が死んだあと、両親そろって、理人の両親に頭を下げに言ったほどだ。でも、両親は吉樹を責めることはしない。
理人の両親も、吉樹を責めることはなく悔いていた吉樹を察したのか、温かい言葉をかけてくれた。
「彼岸食堂っていうんだ」
「今お彼岸とはいえ、なんだか物騒な名前ね」
「そこで理人に会えたよ。いろいろ話した」
「嘘ぉ、死んだ人に会えるわけないじゃない」
「でも本当に会えたんだよ」
母はなおも信じない。それでも、ふと真顔になって言った。
「仮に。仮によ。もし本当に会えたのだとしたら、理人君のご両親にもご挨拶に行ったほうがいいんじゃない?」
そこまで思い至らなかった。
「墓参りに行くことは伝えていたけど、そうだね。一度お線香あげに行こうかな」
「そうしなさい。ところでその彼岸食堂って、お彼岸の後にも行けるの」
「知らない」
そういえば、彼岸が終わればあの食堂はどうなるのだろう。彼岸の後で、もう一度行ってみようか。だが今は、そんなことより親にも感謝だ。俺の命があってこうして生きているのも、両親と理人のおかげだ。
「母さん。俺を生んでくれてありがとう」
なによいきなり、気持ち悪いわね。そんな返事が返ってきたが、今の素直な気持ちだった。そうして、母は続けた。
「子供になつかれたって言ったわね。よくなつかれるとも普段から言っているわね。吉樹はね、生命力が強いのよ」
「生命力?」
「一歳半くらいの頃、二階のベランダから外に落ちたのよ。覚えてる? ちょっと目を離した隙に、柵の格子の間をすり抜けて。窓の鍵を開けていたお母さんの落ち度なんだけど。勝手に窓開けて、出ちゃったのよ」
母は申し訳なさそうな顔をする。だが、全く記憶になかった。
「覚えてないよ、一歳半じゃ」
「意識不明で助かるかわからないって言われたのになんの後遺症もなく助かった。他にも、あらゆる事故や災難が吉樹にこれでもかというくらい襲ってきたんだけど、必ず五体満足ほぼ軽傷で助かるの。子供になつかれるのは、そういうエネルギーが強くて惹かれあうからじゃない? 子供もエネルギーは強いし」
「なるほど」
記憶にない頃に襲ってきたというあらゆる事故や災難を訊ね、聞き、少しぞっとした。
そうして、そんなにエネルギーが強いなら、もしかしたら、理人が助けなくても助かったんじゃないかと考える。
そう思うと更にぞっとした。自分が死にかけていた時、どこかに身代わりがいたのではないか。そんな考えがよぎり、理人もそのうちの一人だったのではないかと思うと、悲鳴をあげたくなる。
でも、本当のところは分からない。いまさらそんなことを考えてももうどうにもならないのだ。
ご飯を食べ終え、潮臭くなった体を洗うためにお風呂に入る。出てから部屋に行って鞄の中を整理すると、彼岸食堂の封筒と地図が出てきた。
今日は楽しかったし海鮮丼も久々に食べて、充実した一日を過ごせた。
罪悪感も半分くらいは海の中に溶けていっただろうか。心は彼岸食堂へ行く前より軽い。とはいえ長いこと抱えてきた感情だ。一日で完全に消し去ることはできない。
吉樹は胸元を押さえる。そうしてもう理人に二度と会えないのだと思うと、切なさが込み上げてきた。
でも、言いたいことを言い合えてよかった。理人の本当の気持ちがわかってよかった。
スマホを取り出すと、理人の家に電話をかける。
「もしもし」
「夜分にすみません。吉樹です」
「ああ、吉樹君。今日は理人のお墓参りに行って下さったのよね」
「はい。行ってきました」
「どうもありがとう」
「いいえ。お礼を言いたいのはこちらのほうです」
「どうして」
「なんだか理人に会えたような気がして……」
本当は会っていたのだけれど、そう誤魔化した。理人の両親のもとには、招待状は届いていない。言ってしまえば、両親が理人に会いたがるのは避けられない。
「明日、お線香をあげにうかがってもよろしいでしょうか」
「いいですよ。いつでも歓迎します」
「ありがとうございます」
家にうかがう大まかな時間を言って、電話を切った。
夏休みもそろそろ終わる。机を見ると、まだ片付けていないレポートや課題が山のようにあった。早く片付けないと。これから就職活動も本格的に行い、どこかに就職して、結婚もして海で想像したような家庭を築き上げていくのだろう。
理人はそれを許してくれた。俺は、俺の人生を歩んでいく。そうして幸せになる。それは、理人が望んでくれたことだ。
自分の生命力の身代わりだったとしても、多分、きっと多分笑って許してくれる。と思いたい。
俺、幸せになるよ。ところでお前、今何してるの? 気になる女の子のこと、想っているのか? 天国で女の子を必死に口説こうとしている理人を想像すると、笑いが込み上げてきた。
海で二人でナンパをするようなこと、できなかったしな。
理人が生きている頃は、彼女が欲しいと言いつつも、結局二人とも見知らぬ女性に声をかける自信などなかった。今から思えば、ただ男二人で恋人ができないことを愚痴っているのが楽しかったのだ。
今時ナンパなど流行らない。下手をすれば通報されかねないご時世だ。
来年は、理人に心の中で声をかけて、一人で海に行って海鮮丼を食べて来よう。社会人になったらもう海へ行けるかもわからないのだ。
ふと、野崎の笑顔が頭をよぎる。大学に入って最初に声をかけた女の子。ストレートの黒髪に、意志の強そうな二重の瞳。ずっと気になっていたのに、自分は恋をする資格などないのだと頭の隅に追いやっていた。
夏休みが終わったら、勇気を出して声をかけ、仲良くなってみようか。
理人、俺も彼女を作る努力をしてみるよ。せっかくの青春期間だし、楽しまなくちゃ損だよな。俺もいつまでも立ち止まってはいられないしな。
お前も天国で気になる子とうまくいくといいな。貸した漫画もお前の部屋に置いたままでいいよ。それにしても今日の海鮮丼、旨かったな。
ありがとう。俺を助けてくれて、ありがとう。
椅子に腰かけ、理人に向かって内心で声をかけていた。亡くなった人とラインでもで
きたらいいのに。
でも、多分言葉は届いているだろう。呼びかければわかると言っていた。
「よし」
気持ちを切り替えて、吉樹はレポートにとりかかろうと、部屋のテレビをつけた。
雑音があるほうが集中できるのだ。
テレビでは、十八歳の男子高校生が川で溺れて亡くなったニュースが流れていた。
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