ありがとうー海鮮丼ー 第四話
友人を死なせて、俺は彼女なんて作ってはいけない。
どこかにそうした意識があって、女子とは誰とも仲良くならずにいる。
「青春時代なんだから彼女くらい作れよ。寂しい奴だな」
「いや、まあそうなんだけど」
「海鮮丼です」
東郷がやってきて、どんぶり一杯に海の幸を詰め込んだ海鮮丼が目の前に置かれる。
海を想像させるマリンブルーの器に、色鮮やかでボリュームのある具材が乗っている。
どんぶりの中央に、何枚ものトロがバラの花のように巻かれている。
「おお、なんとボリューミーでうまそうなんだ」
理人が声をあげた。
「中トロ、甘えび、サーモン、いくら、ホタテ。みそ汁付きです。魚介は築地で買ってきました」
「築地で? この海鮮丼のためにトロやらなにやら買ってきてくださったのですか」
吉樹は思わずそう言っていた。
「はい。本当はもっとあなた方の思い入れのある場所からの調達がよかったのでしょうが、こちらとしてはわからなかったので。申し訳ないです」
東郷は頭を下げた。
「そんな、謝らないでくださいよ。築地のもので充分です。でも、トロなんか余るんじゃないですか」
「いいえ。競りではなくお店から必要な分だけ購入しましたので」
「それで、海鮮丼はいくらくらいになるんですか」
少しだけ不安になった。築地から仕入れたのでは、結構な値段になるだろう。
「二名分で二千円です」
「え、そんな安くていいのですか」
「ええ。当店としましては、お客様が思い思いに過ごしていただくことを重視しておりますので、利益などは度外視です」
「よし、じゃあお前のおごりな」
理人が言った。
「いいよ、おごる」
この日のために短期バイトをしていたのだが、なんという良心的な店なのだろう。
「ではごゆっくり食事をお楽しみください」
東郷は会釈をして去っていった。
「よし、食おうぜ」
理人は目を輝かせて箸を持つ。吉樹もそれに従い、箸を持ってまずはトロを一口、醬油につけて食べた。口の中ですぐに溶けてなくなる。
「なんだこれ。トロが柔らかすぎて、嚙む前に溶けるぞ」
興奮して思わずそう言っていた。
「わさびもツンとして、旨い。こんな、溶けるトロなんて初めて食うよ」
これまで食べたどの海鮮丼も、ここまで美味しくはなかった。一体東郷はどんな目利きでどれほどの腕前を持っている料理人なのだろう。
「今九月だけど、口の中は真夏が舞い戻ってきた感じ」
吉樹が言うと、理人は目を細めた。
「懐かしいな。初めて二人で海へ行ったのは中学の時だったな」
「そうそう。青春がしたくて、でも女の子は誘えなくて結局野郎二人での海だったな」
理人が頷く。海へ行こう、と最初に言い出したのは理人だった。
「中一の時は海鮮丼なんて食べなかったよな」
「あの時は海の家で、焼きとうもろこしと焼きそば食った」
「そうだった。懐かしい。かき氷も食べたりしてさ」
思い出した、と理人は明るく言う。中一の時は、海鮮丼の存在をお互い知らず、お腹がすいたら海の家で売られているものを買って食べていた。
「初めて海鮮丼を食べたのは中二の時だったな」
箸を持ち上げ、理人は言う。
この店の海鮮丼は、サーモンも甘えびもホタテも全部脂がのってうまい。
「理人がいい店を見つけたんだよな」
「泳いだ帰りに偶然通りかかっただけだよ」
中二の時は、午前中に泳いで曇ってきたので早めに切り上げた。
雨が降りそうだからどこか寄って雨宿りしようというときに、「海鮮丼おすすめ」と書かれた写真付きの看板を理人が見つけたのだ。「これ、食べてみようぜ」。
そう言って店に入ってから、吉樹たちは海鮮丼の虜になった。口いっぱいに広がる海の味は、学年が上がるごとにいい夏の思い出として積み重ねられていった。
毎年、夏には海へ行って海鮮丼を食べるようになった。
中学、高校の思い出。海への道中までの蝉の声。鳶の羽の音。水平線まで広がる海と、真っ青な空。暑さで火照った体を海水で冷やすのには気持ちがよかった。
思い出も海鮮丼と同じ、鮮やかに彩られている。
けれど。
高校三年生の時に、なぜ海の中で足がつってしまったのだろう。準備運動は抜かりなくやったはずだが、足りていなかったのだろうか。
それとも気づかない不調があったのだろうか。事故の後医者に診てもらったが、なんともなかった。たった一時、一瞬の不調が事故につながった。高校三年の夏だけは、今思い出しても苦しくなる。
「なぁ……」
「ん?」
「夏休み前に貸した漫画返せよ」
こんなことが言いたいわけじゃなかったのに、勝手に言葉が出てきてしまった。
「そうだ、借りっぱなしになっていたな。俺の家に行けばまだ本棚にあると思う。両親は俺の部屋、そのままにしてあるから」
「……そういうことじゃないんだよ。生きて返せよ」
友人の命を犠牲にした自分に腹が立つ。責めて責めて責めて、今も責め続けている。
吉樹を許しながらも、泣いていた理人の両親。本音のところでは恨まれていてもおかしくないのに。むしろ恨んで欲しいのに、理人の両親は優しい。
「そんなこと言われてもな。俺はもう死んでいるし」
理人は戸惑った表情をした。本当に、こんなことが言いたいんじゃない。でも突如として湧き出たやり場のない感情を、抑えきれなくなった。三年間、ずっと抱えてきた思いだ。
「なんで……」
「え」
弾かれるように立ち上がった。
花瓶が揺れ、活けてあった花の一つがポトリとテーブルの上に落ちる。
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