気を付けてー天ぷらー 第十話
「でもあのあと小春は苦労しただろう。息子二人を育てながら、生活費を稼ぐのに六十過ぎまでずっと正社員で働いて」
「今時女性も働くのは普通のことよ」
「俺が死ななければ、もう少し楽をさせてやれた」
「あなたは大黒柱だったけれど、経済面は一人で抱え込まなくてよかったのよ。それに、仕事も楽しかったし」
「それならいいんだが知っているぞ。一人で泣いていることもあっただろう」
やはり見られていた。恥ずかしい。
「確かに仕事がきつくて泣いていたこともあったけれど、私が泣いていたのはほとんど、勝也に会いたかったからよ。あなたがいなくなって心に穴が開いたまま、時間がたっても癒えないの」
「すまなかった」
「謝ってほしいわけじゃないのよ。それだけあなたを愛しているってこと」
言うと、勝也は顔を赤くした。
「俺も同じ気持ちだよ」
「今だって、コーヒーが減っていくのが辛いのよ。とても辛いし焦る。あなたとサヨナラするときがまたやってくるんだって」
「サヨナラをするんじゃない。いるべき場所に帰るんだよ」
勝也のコーヒーは二口ほど、小春のコーヒーは三口ほどが残っている。
「大丈夫だ。いつも見ているから。会えなくなってもいつも一緒だよ」
涙が再び溢れてきた。お代わりを言えば、東郷は持ってきてくれるのだろう。
お代わりをしたところでコーヒーはまた減っていく。変わらないのだ。どれだけ長い時間話をしようと、お代わりしようとコーヒーは減る。別れの時がやってくる。
「今日の小春はよく泣くなぁ」
勝也は微笑み、指で小春の涙をぬぐった。
「あなたはこういうときまで優しいのね」
「俺にしてやれることはこれくらいだからな」
「もっと二人でいろいろなことがしたかった。旅行へ行ったり、美味しいものを食べに行ったり。趣味でなにかを始めたり」
勝也は唸った。
「一人で行ってくればいい。それを俺も一緒に行ったつもりで見ているから。今俺にできることと言ったらこれくらいだ。生きて二人で楽しむことはできなくても、天国から見ていることはできる。だから、俺と一緒に行くつもりで、旅行を楽しめばいいさ。小春は仕事を辞めてから家に閉じこもってばかりだからな。たまには旅行へ行こう」
「ええ……」
泣いてばかりいても仕方がない。勝也が見てくれているというのなら、一人で旅行へ行くのもいいのかもしれない。でも内心では行かないでと、叫んでいる。
「時々話しかけたら答えてくれる?」
「もちろんだとも。声は聞こえないかもしれないが」
「じゃあ、旅行の計画立ててみるわ」
物わかりのいいふりをする。駄々をこねられる年齢でもない。でも、内心では駄々をこねている。地団太を踏んでいる。
故人と会えた奇跡を前にして、生き返らせる方法がないかと頭の隅で考えてしまう。
そんな方法などないのに。
それに比べて勝也は、この時間を楽しんでいるだけのように思える。
「そうしろ。家にいてばかりじゃ息が詰まるだろ」
十五年間、近場の喫茶店以外どこにも出かけていない。
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