第18話 メレル


「えっと……。メレルちゃん、だったよね?」

「メレルでいい」

「じ、じゃあ、メレル。わざわざ家に泊めてくれてありがとね」

「べつにいい」


 あれからわたしの必死の願いが届いたのか、メレルはわたしを家へ招き入れてくれた。

 まあ、終始無表情だったし、単に外で騒がれるのが面倒なだけだったのかもしれない。


 彼女の家の中の様子はというと──、一言でいうなら、カオスだった。


 部屋のあちこちに何かの草やら鉱石やらが散乱しており、何に使うのかわからない道具や実験器具のようなものが大量に置かれている。


 部屋の隅にあるのはいくつかの鉢植え。

 庭で見た花々が花弁を広げており、そこだけ他とは違って幻想的な雰囲気を醸し出していた。


「へぇ、メレルってお花を育てるのが趣味なの?」


 腰を屈めて花の香りをかぎながらメレルへと問いかける。

 なんだ、無感情そうに見えて意外と可愛いらしいところあるじゃん。


 彼女はわたしの言葉に少しだけ固まり、意外そうな表情を浮かべる。

 そして、小さく首を横に振った。

 

「べつに。趣味じゃない」

「あ、あれ……?そうなんだ……」


 じゃあなんで花を育ててるんだろう。

 仕事?花売りとか?

 

 彼女は相変わらずの無表情。

 怒っているのか、それとも無関心なだけか。

 わたしには今ひとつ察することができないが、彼女が二度もわたしを助けてくれたことは事実だ。

 真意は図れないが──。

 間違いなく、悪い人間ではない。



 ほんとにちゃんとお礼しないとな……。

 何がいいかな。

 てっとり早いのはお金だけど……。


 あいにく、ほとんどの荷物はリーシャが持っていたリュックの中だ。

 お金は旅費と旅支度に消えてしまったし、手持ちの金額では命の代価としては少額すぎる。


 もうちょっとすれば金持ちになる予定なんだけどな……。

 まあ、取らぬ狸の皮算用をしていても仕方がない。


「お礼にお金……は無理そうだな……。あと代わりになりそうな物は……」


 うーん、と腕組みして荷物の中身を思い出す。


 所持品で高価なものといえば……、緊急時のために購入しておいた、高等回復魔法のスクロールぐらいか。

 病気や怪我、たいていの身体異常には効果を発揮する優れものだ。


 ただし、一度きりの使い切り。

 消費魔力も多いが、内包される魔術効果を考えれば当然だろう。


 ぶっちゃけ、かなり高価だ。

 あれ一つで半年分の生活費。まさに虎の子の高額スクロールなのだが……。

 まあ、こちらは命を助けられた身だ。

 対価としてはそれでも不釣り合いなくらいだし、潔く進呈しよう。


「荷物、取りに戻らないとなぁ……。それに、今頃リーシャどうしてるかな……」


 きっとわたしを探してるんだろうな……。

 せめてこちらの無事と居場所だけでも、なんとか伝えられたらいいんだけど……。


「メレル。明日、一度荷物をとりに行きたいんだけど……。お昼ならそこまで危険もなさそうだし、探してる友達もいるし。お礼はその後でいいかな?」

「いい」


 銀髪少女は、相変わらずの無表情のまま、こくりと小さく頷いた。

 彼女はふらりと揺れながら、用は済んだとばかりにわたしに背を向ける。

 そして、再び机の上の器具に向かい、何かの作業を始めた。 


 細い腕に白い肌。

 ともすれば、メレルのそれは少し不健康ともとれるほどだ。

 もしかして、どこか具合でも悪いのだろうか。

 回復魔法のスクロール、ちょうど良かったのかも?

 喜んでくれるといいんだけど。



 こちこちと壁掛け時計が時を刻む。


 そろそろ夜も深くなってきたし、今日はいろいろあってとても疲れた。

 とりあえず先に休みをとらせてもらおうかな……。



 そんなことを考えていた時だった。

 彼女は思い出したように、唐突にくるりと振り返る。

 銀髪がさらりと揺れ、彼女の白い頬にかかった。


「──そういえば、ニナ。何でもしてくれるって、さっき言った」

「え……?う、うん。わたしに出来ることなら……」

「それじゃあ、一つ頼みたいことがある」


 彼女はつかつかと歩み寄ってくると──、ふいに、わたしの左手をとりあげた。

 白く細く、柔らかな指が、わたしの手のひらに触れる。


「うん。やっぱり、良い魔力」


 彼女はこねこねとわたしの手のひらをいじる。

 そして、不意に、


「味も見る」


 と、手のひらを両手で握り締め──、


 ──ぺろり。


 指の先を、舐めた。


 指の先を──、舐められた。



「──って、ち、ちょっと、メレル──!?」


 い、いや、何してんだこの子!?

 どこかの挨拶の習慣とかか!?


 あっ……。

 でも……、舌の感触……意外とくすぐったくて気持ちいいかも……?

 

 わたしが変な性癖に目覚めそうになったその瞬間──。



「──ニナさん!!」



 聞き慣れた声。

 同時に、突然部屋の窓ガラスが吹き飛んだ。


 飛び散る破片がきらきらと舞う。

 わたしは呆然とその光景を眺め──、ついで、勢い余って床に転がる、見慣れた少女を見つめた。


 ぴょこんとした猫耳に、メイド服の裾からのぞく尻尾。

 ダイナミックに入室を決めた猫耳少女は、伏せていた顔をがばりと顔をあげる。


「──大丈夫ですか、ニナさん!助けに来ました!」

「あ……?え……?リーシャ?」

「無事だったんですね……、ほんとに良かった……」


 リーシャの表情がほっとした安堵にかわった。

 その、次の瞬間──、


「……………え?」


 彼女の瞳が、わたしの手のひらを凝視する。

 いつもは眠そうなジト目が、見たこともないくらい見開かれる。


 その視線の先には──。


 この騒ぎにもまったく動じず。

 わたしの指先を丁寧にしゃぶり続けている、一人の銀髪美少女の姿があった。



 ……えっと、これ、どこから事態を説明すればいいんだ……?

 


 リーシャはぷるぷると震えながら、ぱくぱくと口を開閉する。


「な、なな……、な、なに、なにしてるんですか?!?」

「いや……、正直わたしもわかんない……」

「おのれ、変態っ!いますぐニナさんから離れなさい!」

「いや、待った待った!リーシャ、すとっぷ!ストーップ!!」


 顔を真っ赤にして詰め寄るリーシャを必死になだめる。


 はぁ、これは説明大変そうだ。

 わたしは腕の中で暴れるリーシャと、いまだに指先から口を離そうとしないメレルを見ながら、大きくため息をついた。


**********************



「えっと、つまり……、この変態が魔獣からニナさんを助けてくれたってことですか?」

「そうだよ。あと命の恩人なので変態呼ばわりはやめなさい」

「違う。わたしはべつに助けてない」

「あーもう!話がこじれるから助けたってことにしといて!実際助けられたも同然だから!」


 カオスである。


 わたしは、はぁ、とため息をつき、風通しの良くなった窓を見つめる。

 これも弁償しないとなぁ。

 今日だけでどんどん負債が大きくなっていってる気がする……。


「メレル、彼女はリーシャ。さっき言ったわたしの友達。リーシャ、彼女はメレル。さっき言った通り、わたしの命の恩人。はい、仲直りの握手して」


 リーシャはしぶしぶと右手を差し出す。


 メレルはその手をつかむと──、

 今度はリーシャの指先を、ぺろりと舐めた。


「んに゛ゃん……!?──って、いきなり何するんですかあなたは!?セクハラ野郎ですか!?」

「うーん、リーシャのは味が悪い」

「勝手に人の指の味見して、ダメ出しするのやめてもらえませんかね!?」


 ひぃっ、という声が聞こえてそうな感じで、リーシャが後ずさる。


 耳も尻尾もピン立て状態。

 あれは完全警戒モードに移行している。

 一度ああなると、解除にはそうとう時間かかるぞ……。


 ふしゃーっ、と息を荒くするリーシャ。

 一方、メレルは我関せずといった無表情で、わたしのほうへと振り向いた。


「ニナ、さっきの話の続き。あなたに頼み事がある」

「んあ?──ああ、何でも言って!」


 しかし、相変わらず凄いマイペースな子だな……。

 将来はきっと大物になるに違いない。

 今からサインでももらっとくか?


 メレルは、こくりと頷き、言葉を続ける。


「わたしと一緒に、霊樹に行って欲しい」

「霊樹……?」

「そう。この森の中心部。巨大な霊木で、この森のマナの根源」

「ふんふん、なるほど」

 

 マナの根源──。

 つまり、この森の魔力の元ということか。

 人を惑わす森ということだったが、おそらくその摂理は霊樹の力のたまものらしい。

 たしかに人にとっては困りものだが、たぶん森にとってはなくてはならないものなのなのだ。


 しかし、彼女がそんな場所に行きたがる理由はなんだろう?

 それに、今じゃないとダメな理由があるのだろうか。

 


 メレルは相変わらずの無表情で、淡々と話を続ける。



「で、このままだと、霊樹は死ぬ」


「ふんふん、なるほどなるほど……。──って、えぇぇっ!?それってヤバいんじゃないの!?」

「ヤバい。霊樹が死ねば、森も魔獣に侵される。全て枯れ果てる」


 メレルは、黙々と事実だけを述べていく。


 だが、その表情の裏側。

 無表情の仮面の下に張り付く、苦悶ともとれる苦々しさに──、わたしは、気づいてしまった。


 とりあえず、何か難しい事情があるのだろう。

 わたしに助けを求め、彼女にそんな顔をさせるような──。

 そんな何かしらの事情がきっとあるはずだ。

 だからこそ、わたしの返事は言われなくとも決まっている。

 


 銀髪少女はしっかりとわたしを見つめ、その頼み事を口にした。



「だから、ニナ、お願い。霊樹を──、この森を助けるのを手伝ってほしい」



 そう言って、彼女は小さく頭を下げたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る