第19話 霊樹
翌日。
夜が明け、日が登り始めた頃。
メレルの頼み事を聴くことにしたわたしたちは、霊樹へと続く獣道を歩いていた。
さすがに人の手の入っていない深い森だ。
目的地を目指すのにも一苦労である。
道とは呼べない道が続くし、体力もかなり削られる。
ときには腰ほどもあるシダをかきわけ、苔むす岩の間を進む。
ちなみに、メレルは早々のうちに体力が底をついたらしい。
今はリーシャの背負う特大リュックの上で、ゴロリと仰向けに伸びていた。
一見すると、絨毯か何かをくくりつけて運んでるみたいでちょっと面白い。
文句を言いたそうな顔で口を尖らせているリーシャには、次の街でスイーツでもごちそうしてあげよう。
わたしはリーシャのリュックの上のメレルに問いかける。
「ねぇ、なんか凄い道だけど……。これ、方向あってるよね?迷ってないよね?森の中心部に行くほど迷いやすいって聞いたんだけど……」
「わたしの言うとおりに歩けば安全。わたしはこう見えてもこの森で育った魔術師なので」
ちょっと得意げに答える銀髪少女。
へえ、そうだったのか。
庭みたいなもの、ということだろうか。
魔術師というからには、おそらく魔術を使用した道しるべ的なものを感じ取れるのかもしれない。
わたしにはさっぱりわからないけれど。
それにしても、珍しくドヤ顔を浮かべているメレルの姿がちょっと微笑ましい。
世捨て人のような彼女の生活っぷり。
それはわたしの魔術師のイメージに合致するし、実際間違ってはいないと思う。
だが、普段の無表情の裏には、やはり人並みに可愛い女の子の性格が隠れているのだ。
リーシャは、ふんと鼻をならし、メレルを乗せたリュックを大袈裟に揺らした。
「背負うのは百歩譲っていいとして……、魔術師なら体軽くする魔法とか使えないんですか?重いんですけど」
「わたしは重くない。リーシャが貧弱なだけ」
ぐでー、っとしたまま、リュックの上から答える銀髪少女。
リーシャの猫耳が頭の上でぴょこんと跳ね、眉根がぴくりと寄せられた。
お、あれは相手の言動がちょっと気に障ったときの反応だな。
「ほほう、いい度胸ですね……。わたしが貧弱ですか……!あそこの崖下までぶん投げてやってもいいんですよ!?おまえなんか片手で充分なんですけど!?」
「わたしはニナの命の恩人。そんなことしたらニナが悲しむ……」
「うっ……、ぐぅっ……!」
意外と口達者なメレルである。
彼女の掌が、むすりと顔をしかめるリーシャの猫耳頭をなでなでしている。
「それに──、今、わたしの魔力はとても枯渇してる。魔法はむやみに使えない。念のため魔力も温存しておきたいし」
「ふん、そうですかっ……。…………ていうか頭撫でないでください!噛みつきますよ!?」
「乗せて運んでくれてることには感謝してる。お礼に、あとで食べ物あげるから。人参と牧草どっちがいい?」
「エサですか!馬扱いやめてくれませんかね?!」
「じゃあお魚はどう?にゃんこはお魚大好き」
「猫でもない!ていうか、まずわたしを動物扱いすんのやめろ!」
ぜぇぜぇと肩で息をするリーシャ。
先程からツッコミのたびにパタパタと動く尻尾は猫そのものなんだけどなぁ。
思わずクスッと息を漏らしてしまい──、そこをすかさずリーシャの鋭い視線にじろりと睨まれた。
「なにニヤニヤしてるんですか、ニナさん……」
「いや、仲良さそうだなって。リーシャに友達ができると、わたしも嬉しい」
「ばっ……、な、仲良くなんか……、それに友達なんかじゃ……っ!」
顔を真っ赤に蒸気して否定するリーシャである。
こいつほんと可愛いやつだな。
そんなやりとりの最中──、ふと、メレルががばりと体を起こし、リュックの上から飛び降りた。
がさり、と彼女の足が落ち葉が踏みしめ、軽やかな音を立てる。
「……?メレル?」
わたしの問いかけに、彼女の人差し指が、とある方向へと伸ばされた。
「──着いた。あれが霊樹」
「え……?」
彼女の指差す先──。
森の木々をかきわけるように、一段高くなった丘の上。
きらきらと輝く朝日を背に、その大樹はわたしたちの前に姿を現したのだった。
********************
「あれがそうですか。なかなか威厳ありますね」
「そうだねぇ」
わたしは改めてその大樹を見つめる。
まず、驚くべきはその大きさだ。
ちょっとした木の幹ほどもある根が放射状に広がり、巨大な大樹の本体を支えている。
空に向かって伸びる幹は無数に枝葉を伸ばし、まるで風を捕まえようとする網のようだ。
動物に例えるなら、間違いなくこの森のヌシに当たるだろう。
他の森の木々とは、存在感と風格がまるで異なるのだ。
──だが、ふと気づく。
大きく伸び、張り出した枝。
その枝の先の葉は立ち枯れし、枝の皮もところどころ剥がれ落ちている。
葉も茶色く汚れ、他の木のように緑の生気を感じられない。
幹の中心の方は問題なさそうではあるが──、
素人目で見ても、明らかに正常な状態とは言い難い。
なるほど……、これがメレルの言っていた霊樹の危機というやつか。
当のメレルは前髪を揺らし、その大樹を仰ぎ見る。
「……霊樹は今、濁った悪いマナの毒に侵されてる」
「……濁ったマナ?」
「魔物も濁ったマナから湧いてくる。濁ったマナはそこに住む生物の体調や精神にも影響を与えるし、良くない物。放っておくと周囲の木にも広がっていく」
なるほど、まさに毒だ。
濁ったマナがどんどん広がっていくとしたら、それは森の死を意味するだけに止まらない。
森と人は生活においても一心同体だ。
いずれわたしたち人間にとっても他人事ではなくなるだろう。
どうやら彼女はその毒の拡散を防ぎたい、ということらしい。
「えっと……、それでわたしたちはどうすればいいの?」
「この薬を使う」
メレルはごそごそと懐をあさると、赤い薬の入った瓶を取り出した。
少々えぐみのある色をしたそれは、瓶の中でちゃぽりと音をたてる。
「これは濁ったマナを浄化する魔術薬。わたしと師匠が開発した自信作」
「へぇ、これが……。ていうか、メレルの師匠がいるんだ。会ってみたいな」
「それは無理。今はどこにいるのかすらわからない」
「そ、そうなんだ……」
気まずい空気が流れる。
まずい、ちょっと地雷踏んだかも……?
そう思ったのも束の間。
メレルは何ごともなかったかのようにてきぱき動くと、リーシャのリュックの中から、一つの頑丈そうな箱を取り出した。
中身を開く。
すると、一つの鉢植えに植えれられた花が現れた。
先程のえぐい色をした薬と違い、こちらはふんわりと青白く光っていてとても綺麗だ。
「この花、どこかで……」
ああ、思い出した。
メレルの家の庭に植えられてたものと同じだ。
彼女は鉢植えを両手で持ち上げ、わたしたちに向き直った。
「これは、さっきの魔術薬を使って育てた花。植えた者の魔力を使って、周囲のマナの濁りを浄化する力がある」
「ほう。つまり霊樹の根元にこれを植えれば、霊樹も元気になるということですね。さしずめこの花は、薬の注射器ということですか」
「そう、正解。リーシャは賢い。とっても意外」
「……馬鹿にしてますよね……?」
なるほど。
彼女の家の周りに魔獣が近寄れなかったのはこの花のおかげか。
彼女も、彼女の師匠も、やはりわたしが想像できる以上に優秀な魔術師なのだろう。
旅の途中で会うことがあったら、ぜひお話ししてみたいところである。
メレルは、両手の鉢植えに視線を落とす。
しばらくそれを見つめたあと、ふぅ、と一つため息をついた。
「じつは、今までは毎日ずっと、わたしが霊樹の根元にこれを植えてきた。でも、薬の精製にも魔力を使うし、ぶっちゃけもうわたしの魔力は枯渇寸前。だけど、これを含めて……、あと2つ。あと2つ植えれば、霊樹は自力で復活できるくらいに回復する」
銀髪少女の前髪がさらりと揺れる。
彼女の琥珀色の瞳が、わたしへと縋るように向けられた。
「魔力消費も大きいし、魔術師じゃないニナにお願いするのは酷かもしれないけど……。良質な魔力を持つニナに、ぜひお願いしたい。
──わたしの代わりに、この花を霊樹に植えて欲しい」
真っ直ぐな視線だ。
彼女がどれほどの間、この花を繰り返し植えてきたのかはわからない。
わたしにはその努力は推しはかることはできないし、安易に賞賛するのも失礼だろう。
普段は無表情に見える彼女の顔。
だが、その瞳の奥には、彼女がこれに賭ける熱意が見える。
こんな目を見せられて断る人間にはなりたくないし、何よりわたしが彼女の助けになりたい。
頑張っている人は、絶対に報われるべきだ。
「いいよ、引き受けた!わたしなんかで良ければ是非手伝わせて欲しいな」
「………っ!ありがとう。……感謝するっ」
あれ?今、一瞬──。
おそらく彼女自身すら気づいていないのかもしれない。
けれどわたしは、はっきりとそれを見た。
いつもの無表情の仮面。
一瞬だけ──、ほんの少しの間だけ。
仮面が剥がれ落ちた、その瞬間の顔。
「……なんだ、ちゃんと笑えるじゃん」
「………?」
きょとんと首を傾げる銀髪少女。
すっかりいつもどおりの表情に戻っているが──、まあレアな彼女がみれたということで。
記録はわたしの脳内にしっかり保存しておこう。
あとで思い出してニヤニヤできるやつ。
こういうのはわたしの大好物なのだ。
さて、そんなやりとりを後ろで聞いていたリーシャもやる気になったのだろう。
身を乗り出してメレルに問いかける。
「あ、あのあの!わたしは何をすればいいですか?」
「あー」
やる気満々のリーシャに対し、メレルはちょっとだけ申し訳なさそうに眉をひそめた。
「リーシャの魔力は美味しくないので、何もしなくていい」
「うぅ、そんなっ……、ということは、結局わたしは荷物持ちだけですか……」
がっくりと肩を落とす猫耳少女である。
そんな彼女の肩にぽんと手を置き、メレルは「そんなことない」と慰めるように優しく声をかけた。
「荷物だけじゃない。わたしも運んで欲しい」
「おまえはいい加減自分で歩け!!」
霊樹の森に、猫耳少女の悲痛な叫びがこだまするのだった。
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