第15話 霊樹の森①


 さて。

 意気揚々とロザリアの街を出立したわたしたち。


 目指すはタステルの街だ。

 リーシャの案内の元、馬車を乗り継ぎ、長い長い徒歩を経て、そろそろ日も傾いてきた頃だった。


 背の高い木々の間を抜ける、細い森道。

 頭上の枝葉の間から差し込む光に、少しオレンジ色が混ざり始めた頃。


 見たことのない風景に心躍らせていたわたしは、呑気に景色を楽しみながら、先導するリーシャの背中を追って歩いていた。

 長い長い道のりも、新鮮な体験が伴うならまったく苦ではない。

 彼女の抱える大きなリュックが左右に振れるのを見ながら、段々と変わっていく周囲の風景にある種の胸の高鳴りすら感じていた。



 まあつまり、わたしは初めての旅に高揚していのだ。

 だからこそ、かなりの時間が経つまで、それに気づけなかった。


 前を行くリーシャの足取りが、だんだんと頼りなく、重くなっているということに──。





「うわー、見て見て、リーシャ。ほら、なんと綺麗な毒キノコ!これ、食べられるかな?」

「…………」


 森の中を走る林道が、獣道のようなほそ道に変わって来た頃。

 わたしは道脇のキノコを枝でつつきながら、リーシャに話を振って見たわけだが──。


 前を行くリーシャの反応は無し。

 黙々と歩みを進めている。


 ……おかしい。

 いつもの彼女なら、「自分で毒キノコって言ってるじゃないですか……。バカなんですか」と、毒舌混じりの突っ込みをいれてくれるはずである。


 少なくとも通常時なら、無視ということは絶対に無い。


「えっと……、リーシャ。どうかした?」


 小走りで先回りし、彼女の顔を覗き込む。

 彼女の表情はというと──。


 まあ、一目でわかるほどの、絶望感に溢れたそれだった。

 顔面蒼白、自分という存在の全てに絶望したような表情である。


 明らかに異常事態だ。

 わたしは慌てて彼女に声をかける。


「ど、どど、どうしたの!?なんかいろいろ出しちゃいけないもの吐き出しそうな顔してるよ!?具合でも悪いの!?」

「い、いえ、その……」

「もしかしてお腹痛いとか!?足くじいちゃったとか?!」


 彼女にとってもわたしにとっても慣れない旅路だ。

 体調を崩すということだって充分ありえる。

 体力に定評のある獣人種とはいえ、精神面からくるストレスとかにはどうしようもないだろうし。


 明らかな異常事態に、わたしは慌てて彼女の肩を揺する。

 リーシャはふらふらと前後に揺れながらも、小さな声で、「あの……」と申し訳なさそうに──、真っ青な顔で口を開いた。


「み、………」

「み?」



「道……、間違えたかもです……」

「……へ?」



「えええぇぇ!?」



 人の気配もまったく感じられない、深い深い森の中。

 日も傾きかけた獣道の途中で、猫耳少女とわたしの悲しげな声が、木々の間に響いていった。



*************************



「えっと……、リーシャ。わたしたちタステルの街に向かってたはずだよね……?」

「う……、そのつもり、だったんですけど……」


 しゅんと肩を落とす猫耳少女。

 彼女曰く、タステルの街に向かっていたつもりだったのだが、地図と睨めっこしているうちに気づけば森の獣道。

 とりあえずなんとかしようと進んできたものの、完全に道に迷った。

 どうやらそういうことらしい。


 わたしもロザリアの街を出たことはなかったし、彼女が自信満々で先導するものだから、わたし自身何も疑問を持たずにここまで着いて来てしまった。


 よくよく考えれば、隣町に行くだけなのだ。

 こんな深い森のほそ道を通るのは、どう考えてもおかしいのである。


 そんなことにすら気付けないとは、どうやらわたしも相当浮かれていたらしい。

 しっかり反省しなくては。


「その、ちょっと近道になると思ったんです……。東にいって南にいくなら、南東に進めばいいですよね?常識的に考えて」

「うん、それはそうだけどね、その考え方はあかんやつだよ、リーシャくん」


 仕事はなんでもさらりとこなす、完璧で優秀な猫耳メイド。

 だからこそわたしも油断し、見落としていたのだ。

 苦手のない人間などいない。

 そう、ロマさんからちゃんと教わったはずだったのだけれど。

 


 そう、じつのところ──、彼女は、絶望的な『方向音痴』だったのである。



「うう、すみません…‥。道案内もできないガイドなんてゴミ以下ですよね……。やっぱりわたしは所詮、奴隷以下のミジンコです……」


 がっくりと膝をつき、ネガティブオーラ全開になってしまったリーシャ。

 いかん、自信を取り戻させてあげなくては、また奴隷に逆戻りしたいとか言いかねない。

 下手に優秀なだけに、つまずきによるダメージもでかいのかもしれない。


「ま、まあ、地図とか方向とか、全部リーシャに任せきりだったわたしも悪いしさ!それに、ここらへんはリーシャの地元じゃないしね。魔大陸にいってからが本領発揮でしょ!」

「そ、そうですかね……?わたし、まだお役に立てますかね……?」

「うんうん!大丈夫だって!リーシャは役に立ってる!元気出していこう!」

「は、はいっ」


 拳を握りしめて立ち上がるリーシャ。

 ふう、良かった良かった。

 なんとか立ち直ってくれたことにひとまず安心だ。


「それにほら、旅の最初のうちに、リーシャが方向音痴ってわかっただけでも良かったよ。まだカバーきく範囲だしさ。今後は地図はわたしが見ればいいし、道もわたしが決めれば──、………あ」


 ……しまった。

 彼女はあくまでガイドとしてお役にたちたいわけである。

 つまり、これは口に出したらダメなやつで……。


 リーシャは、ずぅん、という効果音が鳴るような表情とともに、再びがっくり座り込む。


「やっぱりわたしは役立たずのミジンコです……。いえ、生態系の役にたってるミジンコ様に失礼ですね、わたしは今もこれからもお役にたてない生物以下の存在です……。今後誰の迷惑にもならないよう隅っこで小さくなって石ころのように生きていきます……」

「いやそんな今にも溶けて消えそうな顔をしないで!ね、ほら、地図、一緒に見よう!ね?」


 ばっと地面に地図を広げ、慌てて彼女の視線を引く。


「えっと、途中までは馬車だったよね。わたしたちが進んできたのは、おそらく南東寄りの方角だから……。この森はたぶん、霊樹の森……かな」


 ──霊樹の森。


 シスターから話半分に聞いたことがある。

 森全体が魔力を帯びた土地になっており、訪れるものを迷い惑わす深い森だそうだ。


 おそらく、感覚の鋭い獣人種のリーシャが道に迷ったのもそのせいだろう。


 だが、ここ数十年でその魔力も減少傾向にあり、中心部から外れた外周側は、普通の森と何ら変わりないくらいになってきたとも聞いている。

 森の規模も段々と縮小してきているようで、これは人間の土地開拓の影響もあるらしい。

 森林破壊はいかがなものかと思うが──、迷い人であるわたしたちにとっては、人里が近いのは好都合だ。


 中心部にさえ近づかなければ、リーシャの目と耳と鼻なら、そのうち森を抜ける道を見つけられるかもしれない。


「とりあえずここにいても仕方ないし、来た道を戻ってみよう。森の外周に近づけば、リーシャなら臭いとかで人のいそうな場所がわかるかもしれないし」

「はい……」

「まあ、そんなに気にしなくて大丈夫だよ。失敗は誰にでもあるって!それに最悪、野宿すれば済む話だしね!」


 幸い、テントや食べ物の心配もない。

 夜に野犬や魔物に襲われる可能性は捨て切れないが、まあ獣避けや魔獣避けのマジックアイテムも買ってある。

 よほど大型のもの以外は大丈夫だろう。


 うん。

 リーシャが精神的にまいっている今こそ、わたしがポジティブシンキングで行かなければ。

 小粋なジョークでも挟みつつ、彼女を元気づけていこう。


「いやー、それにしても、野宿するなら狭いテントに二人きりになっちゃうね!むふふー、わたし我慢できないかもなぁ?リーシャのしっぽ、触りまくっちゃうかもなぁー?」


 わきわきと指を動かす。

 リーシャはそんなわたしのほうをちらりと見つめ、再び視線を落とす。


「はい……。こんな情けないしっぽでよければ、気の済むまで存分にお触りください……」

「お…、おう………」


 うーむ……、こりゃ重症だ。

 いつもならピンとおっ立てて拒絶の意思を表すしっぽ。

 それが今はしんなりと、どうにでもしてくれ、とでも言うようにうなだれている。


 そんなに気負わなくてもいいのになぁ。

 わたしは後ろを歩く猫耳少女にやれやれと肩をすくめるのだった。

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