二章

第14話 旅立ち


 日の出前のロザリアの街。

 まだ薄暗い建物と石畳の街路の間に、明朝前の透き通る風が吹いている。


 この街で働き始めてから、かれこれ約ひと月ほどがたった。

 だが、この時間に外に出ることは初めてなので、すごく新鮮な気分だ。


 人々はまだ皆眠りについている時間。

 街がまだ目を覚ます前の時間。

 その希少なひと時を噛み締め、わたしはゆっくりと背後を振り返る。


 ロマルゥ食堂。

 あっという間の一ヶ月であったが、学べたことも多かった。

 接客の仕事はもとより、昔は冒険者だったというロマさん夫妻から話を聞けたのも大きかったと思う。

 この先の未知の旅路の中で、経験に基づいた知識はきっと役にたつ。

 慎重に、ときには大胆に。

 学んだことを活かしつつこの旅を進めていくことにしよう。



 よし、と小さく口の中で気合いをいれると、横からすっかり聞き慣れた猫耳少女の声が飛んできた。


「ようやく来ましたか。出発時間ギリギリですよ」

「えぇ、まだ5分あるじゃん……」

「旅では余裕を持った行動が大事なんです。ルゥドゥルさんもおっしゃってました」


 メイド服に身を包み、尻尾と猫耳をぴんと立てている小柄な少女。

 彼女はわたしの元奴隷であったが、隷属契約を破棄した今では気のおけない可愛らしい友人だ。

 だが、気になるのは今現在の彼女の服装である。

 それ、店の制服みたいなもんだよね?


「……ところでさ、リーシャ。もしかして、そのメイド服で旅に出るの?」

「はい。この服着てるとなぜだか魔族だと思われないみたいで、都合がいいんですよね」

「あー……」

 

 や、そりゃまあ、そうかもしれんけど。

 はたから見れば完全に、ただの人間の猫耳コスプレメイドだしな……。

 しかも飾りとはいえ、首元にはごっつい首輪つきだ。

 そうとうマニアック臭が漂っている。

 間違いなく、すれ違った人に二度見される装いである。


「なにかおかしいですかね?」

「いやー……、う、うん、いいんじゃないかな。可愛いし」

 

 わたしの苦笑いに、リーシャはことりと不思議そうに首を傾げる。


 まあ本人よくわかってなさそうだしいいか。

 知らないほうが幸せという言葉もある。


 

「──さてと。それじゃ、ロマさん、ルゥドゥルさん、お世話になりました」


 わたしは店から見送りに出てきてくれた二人に、ぺこりと頭を下げた。

 彼らも少し名残惜しそうにこちらを見つめたものの、すぐに大きく頷く。


「ああ、気をつけてお行き。リーシャちゃん、ニナちゃんのことお願いね」

「はい。お任せください」


 リーシャは体格の倍はある大きなリュックを軽々と担ぎ上げると、間髪入れずに頷き返した。

 彼女は獣人種の魔族であるし、体力も筋力もわたしとは比較にならない。

 頼もしいことこの上ないが、自分より小柄な少女に助けられるというのも、なんだか見栄えの悪いことである。


「あー……、リーシャ。わたしもちゃんとリーシャのことを助けるからね!困ったことがあったら言ってね!」

「はぁ、どうも……」


 きょとんとした顔で、彼女は頷いた。

 まあ、実際彼女は優秀だし、わたしの出る幕はあまりないかもしれないけどね、とほほ。


 肩を落とし、うちの完璧猫耳メイドの頭を撫でていたときだった。



「──ま、待ちなさーい!!」



 東の空が少し明るくなり始めた頃。

 聞き慣れた女の人の声が、静かな街道に響き渡った。



***********************


 街道の向こうから必死な形相で走ってきた彼女は、ようやくわたしたちの元へ辿り着くと、大きく肩で息をする。


 彼女の姿を目にしたわたしは、思わず声を上げた。


「し、シスター!?……来たの!?」

「当然でしょ!いきなり手紙よこしたと思ったら、明日旅に出発だなんてぇ……!」


 ぜーぜーと激しく息をつきながらも、彼女は口を尖らせる。


 そう。

 わたしは今日出発する旨の連絡を、昨日の晩に連絡が届くように手紙を出していたのである。

 旅先から連絡しても良かったのだが、その余裕が生まれるのがいつかわからなかったので、昨日にしておいた。

 

 まあ、端的にいうと──、彼女とは顔を合わせることなく、すれ違いで出立する予定だったのである。

 結果は見ての通りだけれど。


「そ、それにしてもよく分かったね、食堂に住んでることは何回か手紙で伝えてたけど……。出発が今日の早朝だってことは書いてなかったのに……」

「ニナちゃんのことなら全部お見通しよ!どうせ、わたしがいたら、行くの引き止められたり、小言言われたり、ついて行くーとか言い出したりして面倒そうだなぁ、とか思ってたんでしょ!」

「うぐっ……」


 図星である。

 さすがはシスター。だてに十数年も一緒に暮らしてないな。

 彼女は一度大きく、はぁ、と息を吸い直し、口を尖らせた。


「わたしも大人なんだから!この後に及んでニナちゃんを困らせるようなことなんてしないわよ!」

「あ、あはは……、ごめんね?」


 わたしの苦笑い混じりの謝罪に、怒り心頭といった感じで、ぷんぷんと顔を真っ赤にしていたシスターであったが──。


 やがて、ふと口籠もると、その表情が崩れ、みるみる間に涙混じりになって行く。

 

「……酷い、酷いよ……。わたしだって、わたしだってニナちゃんのこと心配なのにぃ!うぇぇぇん!」


 ああ、やっちゃった……。

 とりあえず平謝りだ。さすがに彼女の泣き顔を最後に、行ってきますをしたくはない。


「ご、ごめんってシスター!帰ってきたら、ちゃんと一番にシスターに会いに行くから!」

「……ほんと?」

「ほんとほんと!ニナさんに二言はない!」

「旅先でもお手紙くれる?」

「うんうん!手紙かく!」

「お詫びに、帰ったらなんでも言うこと聞いてくれる……?」

「うんうん!なんでも言うこと聞くから!………え?」

「それなら良し」


 ……今なんだかとんでもない口約束を結ばされた気がする。


 シスターはけろりと泣き止むと、「それと……」と、今度は後ろで棒立ちになっている猫耳少女へと視線を向けた。



「──初めまして。あなたが、リーシャちゃんね」



 名前を呼ばれ、ぴくりと猫耳メイドの耳と尻尾が跳ねた。


 一緒に働いていてわかったのだが──、リーシャは初対面の人間が、少し苦手だ。

 話ができないとか、しどろもどろになるとか、そこまで酷いことにはならないものの。

 側から見ていて緊張しているのがわかる程度には、その苦手意識は伝わってくる。


 そんな少女の緊張を感じ取ったのだろう。

 シスターは優しく微笑みを返すと、腰を屈めて目線を合わせた。

 さらりと、彼女のシルクのような金髪が耳元で揺れる。


「わたしは丘の上の教会のシスターで、ナタリーっていうの。よろしくね」

「ど、どうも……」


 軽く会釈を返すリーシャ。

 彼女のそんな仕草に、シスターはまた優しく頷いた。


「急におしかけてごめんなさいね。たまにニナちゃんが送ってきてた手紙にね、あなたのことがたくさん書いてあったの。だから、どんな子かずっと気になってて」

「そ、そうなんですか。……えっと、ニナさんはわたしのことをどんなふうに書いてたんですか?」

「うーん、そうね……。」


 あ、まずい。

 これは仕返しされるやつだ。


 シスターは悪戯っぽく笑うと、わざとらしく唇に人差しゆびを当てる。


「尻尾が柔らかくて気持ちいいとか、寝顔が尊いとか、怒る時に耳がぴくぴくするのが可愛いとか、近くに来るとなんかいい匂いがして興奮するとか、抱きついて嫌がるあなたを無理矢理撫でまわしたいとか……」


「………………に、ニナさん……?」


 ぐりり、とこちらに首だけ回し、ドン引きの表情を向けるリーシャ。

 いや、全部事実だけど!事実だけど!言い方ってもんがあるでしょシスター!


「ああ、引かないで!誤解だから!いや、誤解ってわけでもないけど!」

「……その、今度から寝るときは3メートル以上離れてもらえませんか……?」

「襲わないから!だからそんな遠くに後ずさらないでぇ!」

 

 ああ、心の距離が……。心の距離が可視化されていく……。


 シスターは、そんなリーシャとわたしのやりとりの様子にくすりと笑い声をあげる。


 そして、ふわりとリーシャに近寄ると、その頭に優しく手のひらを置いた。

 リーシャはぴくりとその場で跳ねると、おそるおそる彼女を見上げる。

 シスターは、そんな控えめな様子の彼女に、再び笑みを返した。



「でもね……、わたしが一番嬉しかったのは、あなたのことを大切な友達ができたって言ってたことなの」



 シスターの柔らかな視線が、ゆっくりとわたしの方に向けられる。


「この子、昔からずっと孤児院暮らしで、他所の子と触れ合うような機会もなかったから……。あまり友達と呼べるような子もいなくてね。

 ……わたし、あなたがニナちゃんのところに来てくれて、本当に安心したのよ」


 シスターは、にこりとリーシャに微笑むと、小さく頭を下げた。



「──だから、リーシャちゃん。どうかこれからも、ニナちゃんのこと、よろしくお願いします」


 

 ふわりと、街路を柔らかな風が吹き抜ける。

 その風に優しく黒髪を揺らし、猫耳少女は力強く頷いた。


「はい。任せてください。わたしも、ニナさんのことは大切な人だと思ってます」


 その言葉に、どくんと心臓が鳴る。

 他人から大切だと言われることって、こんなに温かな感情を生むものだっただろうか。

 こんなにも、心がくすぐったくなるものだっただろうか。


 ああ、まずいな。これはまずい。

 体温があがるのを感じる。

 なんだか顔が熱いし、面と向かって二人の顔を見れない。



「ニナさん、もしかして、……照れてます?」

「て、照れてない!」



 朝日が登り始めた街に、朝の光が反射する。

 それはまるで、わたしたちの旅路の始まりを祝福しているかのようだった。



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