第9話 食堂の仕事


「んーっ、今日もいい朝!」


 カーテンを開き、窓をあける。

 とたんに舞い込む早朝の爽やかな風。

 それを胸いっぱいに吸い込み、大きくはきだす。

 孤児院にいた頃からの習慣ではあるが、やはり場所がかわってもこれをやらないと始まらない。


 窓から階下を見下ろす。

 噴水広場へと続く道には、既に様々な荷馬車や人々が往来しており、朝から空気に活気があるのを感じる。

 さすがは中心街。

 郊外の丘の上とはやっぱり違うなぁ。


 大きく一つ伸びをし、だらんと両手を下ろす。


 さてと。

 今日からはロマルゥ食堂で給仕の仕事だ。

 ベッド横のソファの上。

 シーツにくるまり、猫のようにまるまっている少女を起こさなければ。


 ちなみにリーシャには一緒のベッドで寝ようと誘ってみたのだが……。

 彼女の澄まし顔が、なにか気持ち悪い変態を目にしたかのような表情に変化したので、泣く泣く諦めた。

 せっかくちょっと近付けたのに、また遠ざけられたくはないし。

 うん、距離を縮めるなら、辛抱強く、ゆっくりとだ。


「リーシャ、起きて!今日から食堂で働くんでしょ!」

「うぅ……、あと5分……」


 寝坊助の定型句がでてきた。


「……から30分ほど……」

「いやスパン広いな!?」


 どうやら、彼女は朝に弱いタイプらしい。

 あまり悠長に待ってるほどの時間はないんだけれど……。


「ん?」


 シーツのはし。

 ぴょこんと飛び出ている、黒くて長い尻尾。

 それが、先程から彼女の寝息にあわせて、ぷらぷらと前後運動を垂れ流している。


「…………。」


 うーん。なーんか、こう、ソワソワする。


 ぷらぷら。ぷらぷら。


 ぷらぷら。ぷらぷら。


 ぷらぷらぷら。


 ……ぎゅむっ。


「んに゛ゃ!??」


 反射的に尻尾をわし掴んでしまった。

 ちょっと驚かせてしまったかも?

 まあ結果的にリーシャも起きたみたいだし、わたしもふわふわ尻尾の感触を楽しめたし、よかったよかった。


 ──と思っていたが、リーシャは尻尾をおさえて真っ赤になり、なにやらただならぬ様子である。


「な、何するんですか……!セクハラですか!?」

「えぇ?いや、なんかぷらぷら動いてたからつい……」

「猫ですかあなたは!」

「いや猫はリーシャじゃん……」


 どうやら思った以上の衝撃だったようである。

 なんだろう。普段澄まし顔の多いリーシャが、顔面真っ赤にしつつ、こちらに向けて感情をあらわにしてくることに、なんかこう──、いいようのない興奮が……。


「ていうか、そんなに怒らなくても。昨日は触らせてくれたのに」

「あれは先っぽです。根本に近くなると敏感なんですっ」

「……へぇ。……そうなんだ。いいこと聞いた」

「え……?」





「うに゛ゃあああああああああぁぁぁ!

 …………にぁんっ……」




 ふう、すっきりした。

 今度から窓辺で深呼吸の他に、これも朝の日課に取り入れるとしよう。

 ソファの上でピクピクと痙攣するリーシャを一望し、わたしは汗を拭いながら固く誓ったのだった。




********************


「……まったく、朝から酷い目にあいました」

「ごめんって。今日はもう二度とやらないからさぁ」

「明日はやるんですか!?謝る気ないですよねそれ!?」


 そんなやりとりを交わしつつ階下に降りる。

 わたしたちの部屋は二階奥の空き部屋。

 職場となる食堂は一階フロア丸々全部だ。

 通りがけにロマさん夫妻の部屋を覗いてみたが、すでに二人は仕事の準備にとりかかっているようだった。

 さすがは有名な大衆食堂。

 朝も早いし仕事も速い。


「あ、ロマさん、ルゥドゥルさん、おはようございます」

「ああ、おはよう。よく眠れたかい?」

「ええ。おかげさまで、もうぐっすりと!」

「……寝起きは最悪でしたけどね」


 ぼそりと呟くリーシャの口を塞ぎつつ、わたしは改めて彼女たちに目を向ける。


 ロマさんは言わずと知れたこの店のしっかりもののおかみさん。

 そして、隣で黙々と鍋とにらめっこしてるのが、ルゥドゥルさん。

 つまりはロマさんの旦那さんである。

 昔は冒険者としてかなりのものだったらしく、熊か何かと見紛うほどの巨躯を持つ筋肉マンだ。

 引退後はこうして剣の代わりに鍋を握っているわけだが──、なんかこう、いろいろとギャップがかわいい人でもある。


「ロマ。服あったろ。昔のやつ」


 鍋とにらめっこしつつ、口数の少ない言葉で告げるルゥドゥルさん。

 その言葉に、ロマさんは「ああね!」と手のひらを叩く。


 なんだろう。

 ここの制服か何かのことだろうか。


 ロマさんは、ちょっと待ってな!と張り切りモードで奥の倉庫部屋に引っ込むと、何やらばたばたと何かを探しているような感じだった。


 しばらく待つと、ロマさんは衣装らしきものを二着、両手にかかえてすっ飛んできた。


「あんたたち、これ着なさい。絶対似合うから!」

「これって……」

「そら見ればわかるでしょ。メイドよメイド、メイド服。お給仕するなら当然よね!」


 いつになくノリノリなロマさんである。

 年甲斐なくはしゃぐ彼女と対照的に、わたしは正直気が乗らない。

 一応二着あるようだが、どちらもわたしには少し小さく、リーシャには少しだけ大きい。

 それに……。


「これ、ちょっとフリフリしすぎじゃ…。なんか丈も短くないですか……?下半身部分とか……」

「大丈夫大丈夫。上半身は布多めだからプラマイゼロ。」

「その計算は意味わかんないですけど……、とりあえずわたしもう16ですよ……?身長もわりとあるし、こんなひらひらふりふりしたの似合いませんて!ね、リーシャもこんな服で働くの嫌だよね……!?」


 隣でむっすり顔でメイド衣装を眺めているリーシャに問いかける。


 彼女は鋭い眼光でじっと服を見つめていた。

 その猫のような瞳がきゅっと細められ、ぎらりと鈍く光る。

 そして、しばらく衣装とにらめっこしたのち、はぁ、と深く息を吐き出し言った。


「………マジかわいいですね…」

「あれぇ?意外と興味津々?!」


 そこは『わ、わたしがこんな服着るわけないじゃないですか!』みたいな反応を期待したんだけど……。

 そういえば奴隷商でも可愛い服着させられてたもんね…。


「よし、じゃあ二人とも。メイド服に着替えて仕事開始だ。着ない人には給料ださん」

「ええぇ!横暴ですよぅ!!」

「可愛い服……」


 ノリノリで準備する二人の後ろで、わたしはがっくりと肩を落とした。





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