第10話 距離感
「あの……、やっぱりこの服やめない?!わたしには似合わないって!」
「いやけっこう可愛いですよ」
「ほんと?ほんとに言ってる?」
「ほんとですって」
テーブルを拭きながら、先程から5、6回は交わしたやりとりだ。
半ばリーシャにうんざりされているのはわかってはいるものの、やっぱりどうしても似合っているとは思えない。
なんだか脚の隙間も胸の隙間もスースーする。
ああ、シスター。
ニナはお給金に釣られてはしたない子になってしまいました……。
リーシャは、はぁ、と盛大にため息をつく。
「ニナさんて意外としつこい性格してますよね」
「うっぐ……」
「ほら、もうすぐ開店しますよ。お昼はかきいれどきらしいので、しっかりしてください」
目の前には、可愛いらしい猫耳メイド少女の姿。
白と黒をあしらったスカートの裾からは、可愛らしい尻尾がぴょこぴょこと見え隠れしている。
魔族であることもごまかせるしちょうど良かったね、というのがロマさんの見解である。
が、おそらく最初から狙い通りだ。可愛いものが見たかっただけだなのだろう。
ふむ、と改めて彼女の全身を舐め回すように見つめる。
しっかし……、なんだこれは。
完成度高すぎだろ。
わたしは本気でこれと並んで仕事するのかよ。
神は一度平等というものについて考え直した方が良い。
「いいよね、リーシャは。こんな可愛い猫耳と尻尾生えててさ。わたしも魔族に生まれればよかったなぁ」
布巾を絞り、隣のテーブルを拭いているリーシャを横目に──、思わず、そんな言葉を漏らしてしまった。
彼女の耳が、ぴくりと頭の上で揺れる。
そして、その感情のわかりにくい顔を少し俯かせ、ふう、と長めに息を吐いた。
「……そうですか。ならついでに敵国に捕まって奴隷として売られてみたらどうですか」
ぼそり、と小さく呟かれた言葉。
言ってしまってから、彼女自身、はっとしたように口を閉じる。
──しまった。
今更ながら、自分のうかつさが嫌になる。
「ごめん、リーシャ。ちょっと軽はずみなこと言った」
「こちらこそ、ちょっと嫌味な言い方でした。すいません」
彼女はそう返してくれたものの、やはりその返事には煮え切らない感情が見え隠れする。
彼女の心の奥底は、いまだよく見えない。
彼女自身見せる気はないのかもしれないし、わたしはそれを掘り返せるほど、きっとまだ、分かり合えていない。
それでも。
何かわたしにできることはないだろうか。
力になってやりたいな、と最近よく思うのだ。
彼女が困っているならどうにかしてやりたいし、望みがあるなら叶えてやりたい。
そしていつか、主としてではなく、友人としてそうなれたら──。
「ね、リーシャ。リーシャは故郷に帰りたいとか考えることある?」
「……?それはまあ、ときどきは」
「じゃあちょうどいいや。わたしのガイドになってよ」
「ガイド?」
一方的に彼女に施すのは違う気がする。
きっと彼女自身もそれを望まないだろうし、だったら同じ目的を共有すればいいのだ。
目的を同じにした正当な取引きならば、彼女が引け目を感じることもないはず。
「まだリーシャには言ってなかったよね。わたし魔大陸のヘイムドールに用があるんだ。だから、あっちまでの道中のガイドをリーシャにお願いしたいの。その分のお給金は出すし、リーシャも故郷に戻れる。悪い話じゃないでしょ?」
猫耳少女は、しばらくこちらの目をじっと見つめる。
そして、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「なんかさっきから、わたしに変な気を遣ってますよね?体がむず痒くなるタイプのにおいがします。」
「う……、何それエスパーかよ」
お見通しだったらしい。
優秀すぎるのも考えものだぞ、リーシャくん。
「まったく……。わたしに拒否権はないんですから、好きに命令すればいいと何度も……」
「そういうのはやっぱり気が乗らない」
「強情ですね」
「お互い様でしょ」
こういうところはちょっと似たもの同士を感じるんだよなぁ。
ただ彼女がわたしと違うのは、わたしより察しがよくて、頭が回って、冷静で、可愛くて──。
やばい。
スペックの差を考えだすとネガりそうだからこの辺にしておこう。
リーシャはしばらくこちらをジト目で見やる。
そして、再度小さくため息をつき、答えた。
「まあ、気持ちはありがたく受け取っておきます。ガイドとやらも引き受けましょう。でも──」
「──はっきり命令してくれたほうが、わたしは気持ちが楽です」
もう10年以上も、そうやって生きてきたので。
そう言って微笑するリーシャの顔は、やはりどこか影を感じるものだった。
……彼女の気持ちは理解はできる。
尊重もしてやりたい。
それでも……。
やっぱり、もやもやする。
********************
「三番さん。チキンとトマトのスープ、海鮮キノコサラダ、お待たせしました」
「猫耳ちゃーん、次、こっちの酒の注文頼むわ」
「はい、少々お待ちを」
一階の食堂フロアを、パタパタと小柄な猫耳尻尾が駆け回る。
思った以上に、リーシャは身軽で優秀だ。
愛想は足りないものの、元々の運動神経がよいのだろう。
教わったことは即座に対応できるし、落ちついているためかミスも少ない。
やはり彼女を選んだわたしの目に狂いはなかったな、うん。
「というか……、逆にわたしの出る幕がなさすぎて、主としてちょっと情け無い……」
わたしの方はというと、裏方にまわり大量の皿洗いだ。
最初の方はフロアのほうに回っていたのだが、慣れない接客と慣れない服装でどうにもうまく回せなかった。
──それに比べて。
大量の注文と配膳をそつなくこなしているリーシャを横目で見ながら、なんとも複雑な心境で手を動かす。
いや、べつにいいけどね。
皿洗いだって大事な仕事だしね。
人前に出なくていいのは気楽だしね。
でも、自分のとこの奴隷ちゃんに花形の仕事をまるまる奪われるのは、ちょっと自尊心に傷がつくわけでね……。
「はぁ……」
教会ではけっこういろいろと手伝いはしていたが、ちゃんとした仕事に変わるだけでこうも勝手が違うものか。
自分の不器用さと、相手との才能の差をひしひしと感じる。
「なんだい、恋煩いでもしてるような顔だね」
「ああ、ロマさん……。どちらかといえば恋というより嫉妬に近いほうです」
「どっちも似たようなもんさね」
料理と配膳がひと段落したらしく、ロマさんがこちらに声をかけてきた。
わたしも少し手を止め、彼女に苦笑いを返す。
「いやぁ、リーシャがあんな優秀だとは……。それに比べて、わたしは皿洗いくらいしかまともにできないミジンコちゃん……。ろくにお役にたてなくてすいません……」
「あっはっは、これは思ったより重症だね」
豪快に笑うロマさんと対照的に、わたしはしゅんと肩を落とす。
「はぁ……。リーシャには、わたしなんかの助けなんていらないんだろうな」
ぼそりと、弱音らしきものが口をついて出る。
先程やんわりとリーシャから壁を作られたような気がしていて、正直気が気ではないのもあるかもしれない。
──距離を置かれている。
その事実を噛み締めるほど、心の中に靄がかかるのだ。
もしわたしが有能な人間なら、彼女も心を開いてくれていたのだろうか。
ロマさんは、しばらく推し黙る。
そして、わたしの頭にぽんぽんと手を置くと、ゆっくりと首を横に振った。
「それは違うよ、ニナちゃん」
「ロマさん……」
「リーシャちゃんはたしかに優秀だ。でも、彼女にだって不得手はあるし、得意なことばかりなんて人間はいない。それに、あの子は魔族だし、奴隷だ。それが理不尽な足枷になることもあるだろう」
ロマさんの大きな手にぐりぐりと頭を撫でられる。
「彼女がピンチのときは、迷わず助けてやりな。あんたが実際にそれを解決できるかどうかじゃない。手を差し伸べてやれるかどうかが、大切なんだ」
「手を差し伸べてやれるかどうか……」
彼女の言葉を頭の中で反芻する。
なるほど。そうかもしれない。
たしかにわたしが解決できることなんてたかが知れているし、わたしがなんとかしようとしても無理なことも多いだろう。
彼女はおそらくわたしよりずっと優秀で──、そしておそらくわたしよりもずっと繊細だ。
理不尽な問題にぶつかることも、たくさんあるだろう。
そのとき、わたしが彼女の背中を支えることで、彼女自身がその問題を乗り越えるきっかけになるのなら──。
それもきっと、彼女の助けになることのはずだ。
わたしには大したことはできないかもしれない。
それでも、わたしは彼女の味方でありたい。
そしてその選択の積み重ねが、いつしか信頼に繋がっていくのだろう。
「ありがとうございます、ロマさん!なんかちょっと元気でました!」
「そうかい。ま、仲良くやりな。───おっと、あんた、鍋焦がしてるよ!何よそ見してんだい!」
「いや、気になって……すまん」
ルゥドゥルさんに慌てて走り寄るロマさんを眺めつつ、わたしはくすりと声を漏らす。
綺麗になった白い皿が、両手の中できゅっと音を立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます