第5話 新居にて
──ロザリアの街。
教会のある丘の上から、徒歩で下り1時間ほど。
街の規模としては王都に比べれば遥かに小さく、歴史もまた浅い。
だが、人々の活気はなかなかのもので、街を縦横に走る街道には、昼も夜も人通りが絶えることはない。
郊外では味わえない人々の喧騒は、孤児院住まいだったわたしには新鮮な音だ。
そんな街の一角。
舗装された石造りの中央通りをまっすぐ進むと、つきあたりのT字路に、安くてうまいと評判の店がある。
ロマルゥ食堂。
その店の2階の空き部屋の一角が、今日からわたしの新たな新天地だ。
「よし、だいたいこんなもんかな。部屋の整理とお掃除完了」
ふう、と額の汗を拭う。
引っ越しの荷物──、といっても大した量ではなかったから、むしろ部屋の掃除の方に時間がかかってしまった。
今朝は、『ねぇ、やっぱりもう少しゆっくりしていかない?お引越しはまた明日でもいいでしょ?ねぇニナちゃああん!』と追いすがるシスターを振り切り全力疾走。
そのせいで体力をごっそりもっていかれた状態での新生活スタートとなった。
だが、ようやく手に入れたわたしだけの自室だ。
その苦労すらもスパイスとなり、喜びもひとしおに感じる。
「さてと。次は一度外にでも──。……ん?」
こんこん、と部屋の扉がノックされる音。
どうぞ、と答えると、扉があけられ、一人の女性が顔を出した。
「おお、見違えたねぇ」
「ロマさん」
お世話になってます、と笑顔で挨拶すると、彼女もにこやかに頷く。
この食堂は夫婦と従業員数人で経営しているらしく、彼女は店の主人の奥さんにあたる人だ。
あらくれものも集まる大衆食堂のおかみさんだけあって、存在感というか、わたしとはなんだかオーラが違う。
「ごめんね、ニナちゃん。部屋の片付けまでさせちゃって。うちの旦那ってば頑固だから……」
「いえ。部屋の片付けしたら家賃割り引いてくれるって約束だったので」
びしっと親指をたてる。
ロマさんは少しの間ぽかんとしていたが、わたしと同じように親指をたてて笑ってくれた。
しばらく談笑に花を咲かせる。
初対面の人とこんなに長く談笑を続けたのは初めてだったので、わたしは改めて独り立ちしてよかったなぁ、などと感慨に耽っていた。
「で、今日はこれからどうするんだい?」
「うーん……」
とりあえず、部屋の方はひと段落だ。
次は、近々になるであろう出立に向けて、いろいろと旅の準備をしなきゃならないのだけれど。
「この辺に雑貨屋さんとかあります?旅支度の準備が揃えられるような」
「あら、ニナちゃん、どこか遠出するのかい?」
ロマさんは少し目を丸くする。
まあ、引っ越してきたばかりのやつが遠出の準備など、たしかに意外でしかないだろう。
わたしは少し気まずさに口籠もりつつも、早口で答える。
「はい、まあ、ちょっと急用というか……。少し長めの旅になるかもしれません。ああ、家賃の方は前払いさせて貰うんで……」
「いや、それは構わないけど……。いったいどこに?」
「まずはタステルの街ですね。最終的には魔大陸のヘイムドールに……」
言ってしまってから、あっ、と失策に気づいた。
おそるおそる視線を上げる。
案の定、ロマさんはぱくぱくと口を開閉したあと、部屋に響く大声をあげた。
「ま、魔大陸だって?!女の子一人でかい!?」
「あはは、まあそんな感じです……」
しまったなぁ……。
近場の街へ買い出しとか、そんな感じでごまかしておけばよかったか?
ロマさんは顎に手を当て、しばらく考えこむようにわたしを見る。
一瞬の沈黙。
そして彼女は一度目を閉じると、うん、と大きく頷いた。
「まあ、何か事情があるんだろうし、わたしが口を挟めたことじゃないね。でも、たしかに準備だけはしっかりしていったほうがいい」
お、話が早い。
さすがは歴戦の食堂経営者だ。
「この店の正面の道路を真っ直ぐ中心街に向かって進むと、噴水広場に出る。あのあたりはいろんな店が集まってるからね。日用品も、旅用品も、一通りのものは揃うはずさ」
「なるほど……。ありがとうございます、ロマさん!」
軍資金ならたんまりある。
こつこつ教会や孤児院の手伝いをし、そのお小遣いを貯蓄していた分。
それに、棚からぼたもちで手に入った10万ドリー。
ちょっと贅沢な使い方したってバチは当たるまい。
むふふ、と成金具合に思いを馳せていると、ロマさんがふと思い出したように告げる。
「ああ、あと、噴水広場に行くなら一つ頼まれてくれないかい?」
「はい?」
彼女はエプロンのポケットから一束の鍵束を取り出すと、チャリ、と音を立てて揺らしてみせた。
銀色の綺麗な金属の光沢が、キラリと光を反射する。
「あのあたりで奴隷商やってる、マルコフっていうやつがいるんだけどね。そいつにこの忘れ物を届けて欲しいんだ。店の名前は何だったかな……、まああの辺りでは一番目立ってる店だし、行けばわかるよ」
客の多い食堂だから当然忘れ物も多くある。
放っておいても勝手にとりにくるのだろうが、この距離の近さがこの食堂の人気の理由のひとつなのだろう。
「はぁ、なるほど。わかりました。奴隷商のマルコフさんですね」
「ああ。それじゃあ悪いけど頼んだよ。ニナちゃんの用事が済んだ後でいいからさ」
「ええ。任せてください」
彼女から鍵束を受け取る。
ずっしりと重い鍵束で、10以上は鍵がまとめられているだろうか。
こんなものを忘れていくとは、さぞうっかりさんなのだろう。
ロマさんは鍵束を渡したあと、ぽんぽんとわたしの頭を撫でる。
そして、ふむ、と一つ頷き、じっとこちらを見つめてきた。
なんだろう、何か髪にゴミでもついていただろうか。
「ねぇ、ニナちゃん。せっかく街まで出てきたんだ。可愛らしい服でも探してきな?ニナちゃん素材は抜群だし、絶対光るわ。わたしが保証する」
思わず、はぇっ!?と変な声が飛び出てしまった。
いや、まあ人並み以上ではあると自負してはいるけども……!
でも、他人からそんなこと言われたのなんて……、初めてだし……。
「か、かか、からかわないでくださいよロマさん!」
「本気なんだけどねぇ。うちの看板娘に欲しいくらいだよ」
真っ赤に赤面するわたしの横で、ロマさんは豪快に声を上げて笑っていた。
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