第4話 わたしの気持ち

 

「ほんとニナちゃん、とんでもないことになっちゃったわねぇ」

「まさかアイリス様とやらがあんな小にくたらしいやつだったなんて!ぬか喜びだよ、まったく。シスターだってそう思うでしょ?」


 その夜。

 結局引っ越しは明日に見送ることとなり、わたしは元自室のベッドの上で両手を伸ばす。

 シスターは温めたミルクのカップをこちらに渡すと、思い出すように遠くを見る。


「うーん、わたしは親子だなぁって思った」

「どういう意味だよー」

「あの悪戯っ子な感じ。昔のニナちゃんにそっくり」


 今のニナちゃんは、昔より少しだけしっかり者になっちゃったけどね。

 そう言って、シスターはくすりと笑った。


「で……、どうするの?」

「ん?」

「行くの?行かないの?」


 シスターの声音が、いつもより少しだけ下がった気がした。

 わたしはそれを少し疑問に思いつつも、大仰に、びしっと親指を立ててみせた。


「もちろん行くよ!1000万だよ?1000万!億万長者だよ!」


 しん、と静まり返る部屋。

 即座に返事が返ってこないことに、わたしは、あれ?、と首を傾げる。

 しばらく沈黙を保っていたシスターは、やがて絞り出すように口を開いた。


「わたしは……反対かな」

「……え?」


 シスターの表情が苦々しげに揺れる。

 再び長い沈黙がその場を支配し、やがて彼女は、はぁ、とため息をついた。


「人間側に属する領土の街ならまだいいわ。でも、戦争が終わったとはいえ、魔大陸は命の危険だってある過酷な場所よ。魔物だってたくさんいるし、魔族と人間との軋轢だって残ってる」


 わたしの故郷が、そうだったから。

 彼女はそう絞り出すように答えた。


「いいじゃない、10万ドリーだって充分な大金よ?わざわざ危険を冒す必要なんてないわ」

「いやー、でもほら、教会の立て直しもしなきゃでしょ?みんなのお菓子や玩具も買ってあげたいし……」



「──そんなのどうでもいい!!!」



 バンッ!と机の天板が震える。

 突然の彼女の激昂に、わたしはびくりと身をすくめた。

 彼女が本気で怒ったところを見たのは何年ぶりだろう。


 シスターは、はっとしたように口をつぐむ。

 そして、ごめんなさい、と一言呟き、大きく肩を落とした。


 気まずい沈黙ののち、彼女はわたしの両手に手を添え俯く。

 

「お願い、危ないことしないで。ニナちゃんの身の安全が、一番大事なんだから……」

「シスター……」


 重く、けれども不快ではない静寂があたりを支配する。

 彼女が怒るときは、いつも他人のためだ。

 いつだってわたしたちを一番に考えてくれているし、わたしたちだってそれを理解している。


 ──でも。



「ごめん。それでも……、行きたい」



「え……」

「ごめんね、シスター。でもわたし、ほんとはお金なんてどうでもいいのかも」


 はぁ、と息を吐く。

 夜の室内にランプの光が瞬き、二人分の影を揺らした。

 

「あの人は、わたしを試してる。単にゲームのつもりなのか、ちゃんとした意図があるのかはわからないけど。たぶん、すべてを知りたいなら追いかけてこいって、そう言ってる気がする」


 スクロールの向こうのあの挑戦的な微笑みが、今でも忘れられない。

 おそらく、彼女が示したヘイムドールまでの道中は、彼女が英雄になるまでに歩んだ軌跡だ。

 わたしを教会に預けてから、彼女がどう生き、どう進んだのか。

 それを、わたしにぶつけたがっている。

 10年もほったらかしておいて、ほんと今更なんなんだ。

 傲慢というか、自分勝手というか……、さすが英雄様って感じだ。


「だから、シスター。ごめんね。さっきはシスターたちに責任押し付けるような言い方しちゃった。でも、わたしはわたしのために行きたいんだ」

「ニナちゃん……」


 彼女の手が、わたしの手のひらをぎゅっと握りしめる。

 そっか、いつのまにかちゃんと大人に……。

 そう小さな声で呟くと、彼女の手は、ゆっくりとわたしの手から離れていった。


「わたしのほうこそ、いろいろごめんなさい。あなたの気持ち、考えてなかった。そうよね、決めるのはニナちゃんだもの。わたしが口を挟むことじゃなかった」


 わたしけっこう自分勝手なのかも、とシスターは恥ずかしそうに苦笑する。

 他人のために我儘になれるのは、自分勝手じゃなくて優しさだよ。

 そう言ってあげたかったが、少し気恥ずかしくなってやめる。

 まあ、賢い彼女のことだ。

 わたしの言いたいことなど、言わなくても察してくれるだろう。


「いいよ、我儘言ってるのはわたしだから。それに、わたし怒ってる時のシスターけっこう好きだし。むくれてて、耳がぴくぴくしてて、フグみたいで可愛い」

「うぅ……、もうっ、ニナちゃんてばぁっ……!」


 夜の静寂を切り裂くシスターの恥ずかし気な叫びが、暖かな室内に響き渡ったのだった。

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