最終話 ぼっち高校生はもしかしたら

「勝った……」


 朝。


 ぜんはギンギンに目を見開きながらも、勝利を称えるように天井に向かって手を振り上げていた。


 嵐のようだった雨も深夜には止んで、リビングには柔らかな陽ざしが注ぎ込んでいる。

 チュンチュンと雀の鳴き声が聞こえてくる清々しい朝だったが……善は猛烈な眠気を感じていた。


「つ、疲れた……家帰って寝たい……」


 結局、昨日の夜は頭がまっピンクになってしまったつばさから誘惑攻撃をしのぐのに精いっぱいだった。


 抱き着いてきたり耳に吐息を吹きかけてこようとする翼に対し、善は鋼の意志で般若心経を唱えてそれに耐えた。


『寝たら負け』という追加ルールのせいで睡眠に逃げることもできず、翼が寝落ちするまで必死に堪えた次第である。


 リビングの扉を隔てた向こうからは、スマホのアラーム音が鳴り響いていた。

 善は洗面所で顔を洗い口をゆすいでから、翼の部屋に向かう。

 そしてけたたましい音を発しているスマホをスヌーズにして、


「おーい。翼、朝だぞー」

「むにゃむにゃ……うひひ……善、そんなとこ舐めちゃダメだよ……」

「どんな夢見てるんだよ……」


 この寝言聞いたのが母親じゃなくてよかったな、と善は鼻を鳴らしつつ、ベッドに四肢を放り出している翼を睥睨する。


 翼は昨夜、善を誘惑するためにと着たタイトなTシャツとショートパンツのまま寝ていた。


 寝ているため当然サラシはつけておらず、パツパツの服で余計強調された巨乳が寝息と共に揺れている。

 投げ出された足はむっちりした太ももが大胆にもさらけ出されていた。

 振り上げた腕から脇が、めくれたTシャツの裾からはおへそが覗いている。


 そんな無防備な彼女の姿を見た善は、


(エロの化身かこいつは……)


 なんて感想を抱いていた。

 善の理性があと数ミリグラム少なかったら、今頃彼女の身体に飛びついていだろう。


(いけないいけない……ここで興奮したらこいつの思うつぼだ……)


 そう自分に言い聞かせ、善は翼の肩を揺らす。


「翼、起きなくていいのか? 部活あるんだろ?」

「んえ……?」


 善の言葉で徐々に眠りから覚めたようだ。

 翼は身体をもぞもぞと動かして、やがてゆっくりと身体を起こした。


「んあー……よく寝た……あれ? なんで善がうちに……? っは! そういえばあたしたち昨日の夜初めてを――」

「存在しない記憶植え付けようったって無駄だぞ。俺、昨日の晩一睡もしてないから」


「ちっ……不覚だったなー。疲れてて普通に寝ちゃったわ」

「はいはい。とっとと顔洗ってきな。俺もそろそろ帰るから」


 そうして各々支度を進める。

 今日は土曜日。

 善からすれば休みの日だが、翼は部活があるのだ。


 もう雨も止んだし佐藤家に長居する理由もない。

 そう思って、制服に着替え終えた翼に声をかけた善だったが、


「えー! 帰っちゃうの⁉ やだやだやだ! あたし善と登校したいー!」

「いや俺学校行かないし……一緒に行くっても、俺の家だったら十分くらいで終わるぞ」

「それでもいいの! こんな気持ち良い朝じゃん! 善と一緒に歩きたい!」


 駄々っ子のように言われ、ついに善の方が折れた。

 好意を告げられたからって、この翼優位の関係性は変わらなそうだ。


 なし崩し的に付き合う流れにならないよう注意しないと……と思いつつ、善は翼と共に朝食を取った。


 やや抵抗を感じたものの、善は昨日着ていた制服に着替えて借りていたTシャツと短パンを返す。

 翼もスポーツバッグに諸々の用具を詰め、準備は整ったようだ。


「んじゃ行くか」

「うん!」


 そうして二人は家を出た。

 雨上がりの街は朝の陽ざしを反射してキラキラと輝いて見える。


(確かに、翼の言う通り気持ち良い朝だな……)


 なんて思いつつ、善は濡れたアスファルトを踏みしめた。


「へへ、えへへ……」

「何笑ってるんだ?」


 善が訊くと、翼は幸せ絶頂というような蕩けた顔で言う。


「なんかさ、こうやって二人で歩いてるとカップルって感じがして……へへへ」

「俺まだオーケーしてしてないんだけど……」

「それでもいいの! ちょっとくらい浸らせて!」


 そう言って、翼は善の腕に抱き着いた。

 外行き用にサラシをしているためその胸部に膨らみはないが、それでも女子特有の柔らかさは伝わってくる。


 それに家の中ならまだしもここは公衆の面前だ。

 休日の朝ということで人通りはまばらだが、恥ずかしさはある。

 そんな気まずさにスマホに手を伸ばして――善はあることを思い出した。


「あ、そうだ! 今日って七月六日か!」

「ふん、ようやく気付いたか」


 善の反応に、翼はふんすと胸を張る。

 そう――本日七月六日は翼の誕生日なのだ。


「それなのに、善ったら何事もなかったように帰ろうとするしさー」

「だから帰るの引き留めてたわけね……言ってくれればよかったのに」

「それじゃ意味ないっての。好きな人が自分で気づいてお祝いしてくれるのがいいんでしょーが!」


 プリプリと怒っている翼に、善は「ごめんごめん」と謝る。


「ま、言っても昨日まであたしたちゴタゴタしてたしね。プレゼントはあたしの部活が終わってからでいいよ。善、それまでにちゃんと用意しておいてよ!」


 そう釘を刺すように言う翼だったが……。


「あー、実はだな……」


 そうして二人は少し歩き、善の家の前までやってきた。

「ちょっと待ってて」と翼を門の前で待たせ、自分は家の中へ。


 まだ寝ているだろう久遠くおんを起こさないように自室に入り、一抱えの箱を持って玄関に戻る。

 そうして善は、その箱を翼に差し出した。


「はい。誕生日おめでとう」

「うそ……!」


 翼は信じられないものを見るように、箱と善の顔を交互に見た。


「よ、用意してくれてたの……? 善、この間まで毒島ぶすじまさんと付き合ってたのに……」

花恋かれんさんと付き合ってたからって、お前のこと忘れたわけじゃないって。何度も言うけど……ほら、お前は俺の、大事な友達だから」


「う、うう……ぜ~~~ん! 好きぃ! あたし善のこと大好きだよぉ!」

「うわっ、こんな場所でくっつくなって!」


 箱を抱えながらもハグをしてくる翼に、善はしどろもどろになる。


 今のご近所さんに見られてないかな……なんて不安になりつつも、善は「どうどう」と興奮状態の翼をなだめた。


「それはそうと、開けてみてよ」

「うん。ていうかこれって……」


 言いつつ、翼はゆっくりと箱を開ける。

 大きさとパッケージで中身はほぼわかっていたのだろう。


 ――中から出てきたのは、近未来感のあるデザインに特徴的なロゴが入ったスニーカーだった。


「うわ、これ超カッコいいじゃん‼ 嬉しい~~~‼」


 喜んでくれたようで何よりだ。

 以前翼と水族館に行った時、誕生日はスニーカーが欲しいと言っていたのを聞き逃していなくてよかった。


 足のサイズは久遠から聞いた。これも前に、彼女が翼のコーディネートを考えるだとかで測っていたデータを流用した形だ。


「ありがと、善‼ お礼にチューしてあげる♡」

「い、いらないって! ちょ、やめろ!」


 またも過剰なスキンシップを取ってくる翼を抑えてから、


「ねえ善、これ今履いてみてもいいかな」

「もちろん。履き心地が合うか確かめてくれると助かる」


 そうして翼は履いていた靴を代わりに箱に収め、善のプレゼントした新品のスニーカーに足を入れた。


「わ……! めちゃくちゃ歩きやすいよ、これ!」

「ならよかった。いろんな店回って選んだ甲斐があったよ」


 言って善は、家の前の道路を無邪気に走り回る翼を眺めた。


 その姿が小学生時代の彼女の姿と重なって、善は何だか懐かしい気持ちになる。


 嬉しいことや楽しいことがあると、こうして身体中で表現しようとする彼女の気質を、善は昔から好ましく思っていた。


 内気な善からすれば、そうやって感情を表に出せる翼はある種尊敬の対象だったのだ。


 そして翼は善にとって一番の――


 と、その時だった。


「あははっ! これすげー! 次の一歩が自然と出てくる!」



 アスファルトにできた小さくきらめく水溜まり。



 それをパシャリと踏みつけこちらに向かって笑う翼の姿が。



 何故だかものすごく、魅力的に見えた。



(あ……翼ってこんなに可愛かったんだ……)



 告白された後だからだろうか。

 彼女を友達という括りからはずして考えようとしたからだろうか。



 何がトリガーになったかは……いまいちわからない。

 だけど善は、今まで翼に抱いたことのない感情が生まれるのを感じていた。



 翻るスカートの裾も、躍動するその手足も、風になびく短い髪も。

 そのすべてに目が釘付けになって、善はその場に立ち尽くしてしまう。



 と、そんな感じで呆けていたら翼が駆け寄って来た。


 善は若干ドキリとしつつも、「どうした?」と顔を向ける。


「ねえ善、あたしこれで競走してみたい! この電柱がスタートで、あっちのカーブミラーがゴールね!」


「お、俺と翼じゃ相手になんないって」


「言い訳なし! 負けた方が勝った方と結婚ね。じゃ、よーいドン!」


「いやおま……それどっちが勝とうが結婚する羽目にならない⁉」


 そうして、善は先を行く翼の背中を追いかけながら思案した。



(俺はもしかしたら……)



 この感情がまだ恋なのかはわからない。

 自分と翼の関係がどうなっていくのかも。


 そもそも善にとって「恋愛」とはまだまだ未知のもので、どう付き合ったらいいのかもわからない代物なのだ。


「はい、あたしの勝ちー」

「はぁ……はぁ……そりゃそうだろ」

「それじゃあ善、約束通りあたしと――」


 勝負に勝って意気揚々と善ににじり寄る翼。

 だが――


「翼、部活行かなくていいのか? 遅刻するぞ」

「うわ⁉ 忘れてた!」


 善の言葉に彼女は飛び上がり、慌てて荷物をまとめる。


「ごめん! あたし行くね! スニーカーほんっとにありがと! 一生大事にするから!」


 言って、翼は駅の方へと駆けていった。

 その後ろ姿を見送りながら、善は「やれやれ」と息を吐く。

 

「っと、そうだ。さっきなんか通知来てたよな」


 呟きながら、善はスマホを操作する。

 するとそこには二名の女子からの連絡が。



【ゆまちー】『佐藤と会えた?』

【ゆまちー】『話しできたかしら?』

【ゆまちー】『返事しなさいこのボンクラ』



【か♡れ♡ん】『翼ちゃんとどうなった⁉』

【か♡れ♡ん】『善くんもしかして彼女持ちになっちゃった⁉』

【か♡れ♡ん】『返事してくれないってことは……ぴえん(絵文字多数)』



「うわ……」


 うめき声をあげながらも、善は各々に返事をする。


 と、すぐさま真智からは「……まあ、あなたらしい着地点ね」と。


 花恋からは「ってことはわたしにもまだチャンスあるってことじゃん‼ ギャルしか勝たん‼」と返ってきた。

 

「俺、この先どうなるんだろうな……」


 独り言ちながら、善は初夏の空を見上げる。


 結局、花恋と付き合って悩んでいた時と何も変わっていない。


 翼に芽生えたこの感情にもまだ名前を付けられないまま。


 だけど――善の高校生活はまだ始まったばかりだ。


 これからゆっくりと、それらすべてに答えが出していけばいい。


 そんな風にマイペースな結論を出して、善は家へと帰った。


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ボーイッシュ幼馴染は脱いだらすごい マイルドな味わい @mildtaste

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