第33話 ボーイッシュ幼馴染の……

つばさー? どうしたの? 早く遊びに行こうよ」

「……やだ」


「え……な、なんで……?」

「だってぜん、昨日シオリちゃんと二人で遊んでたじゃん」


 まるで古い映画を見ているみたいに、その光景はぼんやりと脳内で再生されている。


 映像は途切れ途切れだ。

 背景もあやふやで、公園だったり教室だったり駄菓子屋のベンチだったりする。だけど二人が話している内容だけは鮮明に再生されていた。


(これは……ええと、そうだ。小学六年生の時……)


 翼はまどろみの中で夢を見ていることを自覚した。


 まだ幼く胸も膨らみかけだった自分は、今よりずっと小さくて弱そうな善に対して高圧的に喋りかけている。


「そんなにシオリちゃんがいいなら、ずっとシオリちゃんと遊んでればいいじゃん! あたしはもう遊んであげないから!」


「な、何でそんなこと言うのさ! この前ぼくがササキくんたちと公園行った時は何も言わなかったじゃんか!」


「それは……ええと、ササキくんたちはいいの! でもシオリちゃんはダメ!」


 困惑する善に、翼は顔を真っ赤にして激高していた。

 意味がわからないのは翼も同じだった。


 なんで自分はこんなにムカついているんだろう?

 わからないけれど、原因が善にあることだけはわかる。


 普段は温厚な善も、理不尽な怒りをぶつけられたこの時ばかりは全力で反抗してきた。


 そしてそれは大喧嘩に発展し――二人の関係は、完全に壊れてしまった。

 


     *



 泥のような眠りから覚醒し、翼は目をしょぼつかせる。

 眩しい蛍光灯の光を遮るように手を目隠しにして、一言。


「うあー……あたし昔っから善のこと好きだったんじゃん」


 徐々に冴えていく脳で、先ほど夢の中で見ていた昔の記憶を反芻する。


(あの時喧嘩した理由、今までずっと不思議だったけど……そっか。あたし、他の女の子に善を取られ意地張っちゃったんだ)


 きっとあの頃の翼は、自分でもわからないうちに善に好意を抱いていた。だから善が女の子と遊んだと聞いてムカついたのだ。


 そのせいで喧嘩して、二人はそのまま疎遠になってしまった。

 今の状況とほとんど同じだな……と思う。


「そういえばここは……?」


 翼は起き上がって辺りを見渡す。

 そこは見慣れた部屋――翼の自宅だった。


 どうやらリビングのソファで寝ていたようだ。


「……? でもあたし、どうやって帰ってきたんだっけ?」


 と、首を捻っていると、洗面所の方から水が流れる音がした。


 窓の外を見ればもう日は暮れかけている。

 今日は遅くなると言っていたが、仕事が早く終わった母が帰って来たのかもしれない。


 そう思って翼はソファの背もたれから洗面所に向かって声をかける。


「おかーさん? ねえ、あたし――」

「お。起きたか」


 そうしてやって来たのはしかし、母ではなく――善だった。


「ぜ、ぜぜぜ、善⁉」

「悪いけどポケットから鍵出して勝手に上がらせてもらったよ。おばさんたちもいないみたいだったから」


 翼は口から心臓が飛び出さんばかりの勢いで仰天する。

 驚きのあまりソファの座面をざざざっと後ずさり、


「な、なんでうちに善がいるの⁉」

「なんでって、翼が公園の遊具の中で眠りこけてたからだよ。起こそうと思っても全然起きないし……ここまでおぶってくるの大変だったんだからな」


 咎めるように言いながら、善は翼の傍に立つ。


(あ、そっか……あたし善から逃げてそのまま公園で寝ちゃってたんだ……)


 なんて今更状況を理解して、翼はハッとした。


「な、ならあたしのことなんて放っておけばよかったじゃん!」


 つい口を出た刺々しい言葉は、そのまま翼の胸にも突き刺さる。


 本当はこんなことを言いたいんじゃない。それなのに翼の表層を纏う意地が、どうしたって彼を跳ね除けようとしてしまう。


「善にはもう可愛い彼女がいるじゃん! 放課後だってあたしなんかとじゃなくて毒島さんと帰ればいいじゃん! これ以上うちに居座るなら毒島さんに善が浮気してるって言いつけるよ⁉」


(ああ……あたしいま、最悪なこと言ってる)


 未練がましく、嫉妬深く、矛盾だらけ。

 善といるとますます自分のことが嫌いになる。


(こんなんじゃ、善もあたしのこと嫌いになっちゃうよね……)


 そう悲嘆に暮れる翼だったが――


「暗いところに女の子一人置いてくなんてできないって。それに俺、翼に話したいことあるって言ったろ?」


 善は優しく微笑んで、翼の下に寄り添った。



「俺、花恋かれんさんとは別れてきたから」



「………………え?」


 言っている意味がわからず鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまう。

 しばしの静寂のあと、翼は緩慢に口を開いた。


「そ、それって善がフラれたとか……?」


「いいや、俺が花恋さんに別れてくれって言ったんだ。今の俺にとっては――花恋さんと恋人同士でいるよりも、翼と友達でいる方が大切だったから」


「――」


 絶句した。

 この男は今、あんなに可愛いギャルの彼女より、自分を優先したと言ったのだ。


 彼の言葉が信じられなくて、翼は口をわななかせて問う。


「そんな……なんで……あたし、善のこと無視したんだよ⁉ LINEブロックして、会いに来てくれても逃げ出しちゃって……なんでそんなあたしに構おうとするの⁉」


「そんなの――お前が一番大事な友達だからに決まってるだろ」


 言いつつ、善は真剣な瞳で翼を見据える。


「俺、ずっと後悔してたんだ。小学生の時、翼と喧嘩して疎遠になったこと。本当はずっと仲直りしたかった。中学時代も翼より仲の良い友達なんてできなかった。だから――高校でお前と再会できた時はすごい嬉しかったんだ」


 自分で言っていることに照れているのか、善は頬を掻きながら続けた。


「俺こういう性格だからさ……クラスで友達もできないし、学校もあんま楽しくないなって思ってた。でも、お前と再会できてからは毎日楽しかったんだ。明日はどこ行こうとか、今日は翼にこんなこと話そうとか思うだけで、一人でいても全然寂しくなかった。だから――」


 と、善は身体を九十度に折り曲げ、翼に向かって頭を下げた。


「俺と仲直りしてほしい! 俺、あんま察しよくないし、翼のことわかってあげられない時もいっぱいあるかもしれない! でも……もう離れ離れになるのは嫌なんだ! だから頼む! どうか俺と――一生友達でいてくれ!」


(ああ……)


 必死に。

 ただ純粋に、この男は自分のことを求めてくれているのだ。


「……っ」


 そんな彼のひたむきさが、翼の身体に纏わりついた『意地の鎧』を脱がす。


 ボロボロと崩れ落ちていくその感情の破片が、翼の涙となって目からこぼれる。


 唇を噛んでも堪えきれないそれは、一気に臨界点を達してあふれ出した。


「……う、うっ……そんなの、ズルい……」

「……え? うわっ⁉ つ、翼⁉ 大丈夫か⁉ 俺またなんか変な事言っちゃったか⁉」


 慌てて寄り添ってくる善の腕をつかみ、翼はなおも泣いた。


 どうして彼はこんなに自分のことを思ってくれるのだろう。

 その疑問は、感謝や感動や幸福や愛情となって、翼の胸をじんわりと温かくした。


「ご、ごめん! これ使って……」

「ずずっ……うん、ありがと」


 善から渡されたハンカチで涙を拭う。

 嗚咽交じりになりながらも、翼はぽつぽつと問いかけた。


「あたし……すぐ怒るよ?」

「知ってるよ」


「自分勝手なところもあるし……」

「慣れてるって」


「善のパソコン勝手に見ちゃうかも」

「……絶対破れないパスワードにしとく」


 話しているうちに少し気持ちが落ち着いてきて、翼はゆっくりと口を開いた。


「仲直りの件は……うん、受け入れるよ。ていうか、あたしも意地張りすぎちゃったと思う。ごめん」


「ほ、ほんとか⁉ よかった……」


 ホッと胸をなで下ろす善。

 だがそんな彼の胸を指で突き、翼は不敵な笑みを湛えて言う。


「でも、一生友達っていうのは無理。絶対に約束できない」

「え――⁉」


 天国から地獄、とでも言うように善は啞然とした表情になる。

 なんで、と言いたげなその鈍感幼馴染の目を見て、翼は一切陰りのない眩しい笑顔で言った。






「だってあたし、善のこと好きだもん!」



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