第32話 ボーイッシュ幼馴染捕物帳
――
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……‼」
アスファルトで舗装された平坦な道をひたすらに往復する中、翼の走った道には汗とため息が轍を作る。
――思い出すのは昨日、善を無視してしまった時のこと。
花恋と付き合っているにも関わらず、ノコノコと自分の前に現れた善を見て――翼は思わず逃げ出してしまったのだ。
その瞬間がずっと尾を引き、昨日の夜はあまり眠れなかった。
そんな状態で授業に集中できるはずもない。
昼休みに保健室へ行き、体温計を上手く誤魔化して早退してきた。
そして翼は、この河川敷でずっとトレーニングをしていたというわけである。
いま翼の足を動かしているのは罪悪感だ。
善にひどいことをしてしまった。
確かに昨日のあれは彼も配慮が足りなかったと思う。でも、無視するのはやりすぎじゃないのか。
こんなんじゃ善はもう自分に話しかけてくれなくなってしまうかもしれない。
だけど――
「あたし……どうしたら……」
善と仲直りしたい。
そう思っているはずなのに、鎧のように全身を覆う『意地』が彼のことを拒絶しようとする。
自分を差し置いて恋人を作ってしまった善を、どうしようもなく遠ざけたくなってしまう。
そんな自分が嫌で、翼は自分を痛めつけるようにハードなトレーニングを行っていた。
(いっそこのまま走り続けて、ボロきれみたいになれたらな……)
なんて思っていた、その時だった。
「翼!」
土手の上に設けられたアスファルト道の向こうから。
茜色の日差しでシルエットになったヒョロ長い人影が、こちらに向かって駆けてきた。
*
その三十分前――
「佐藤なら早退したらしいわよ」
「え……そうなんですか?」
部室を飛び出しやってきたグラウンドにて。
善は
「体調不良って聞いたわ。あの子、これまで一度も部活休んだことなかったから心配ね」
嘆息しつつ、真智は話題を変えるように善のことを見据えてきた。
「それで、
「はい。……花恋さんとは、別れることになりました」
善がそう言うと、真智は嗜虐的な笑みを向けてくる。
「くすっ……あなたも罪な男ね。来週どうなっているかが見ものだわ」
「それは言わないでください……」
ただでさえ学校中をにぎわせた花恋と善の交際。
それがまさか善の方から終わらせられたとなれば、前とは比べ物にならないくらいの騒ぎになるはずだ。
『陰キャぼっちのくせに花恋を振るなんて……』と変なやっかみが増えるのは間違いない。
ただまあ……これも自分の蒔いた種だ。それに関してはもう、善は受け入れる覚悟だった。
「わざわざグラウンドに来たってことは、佐藤に直接それを報告しに来たんでしょう? 無駄足踏ませて悪かったわね」
「いいえ。これからお見舞いも兼ねて、翼の家に行ってみようと思います」
言うと、真智もコクリと頷いて、
「それがいいわ。事が済んだら私にもどうなったか教えてちょうだいね」
そうして真智と別れて善は学校を出た。
電車に乗っている途中、文芸部の鍵を職員室に返し忘れたことに気づいたが、
【か♡れ♡ん】『わたしが返しておくよ! ってかわたしも文芸部入ることにしたから!』
代わりに鍵の返却を……と花恋に依頼しようとしたのだが、思わぬ返事がきた。
一緒に添付された画像のルーズリーフには、
《入部届 名前:花恋 入部理由:暇つぶし&善くんがいるから♡》
と存外綺麗な字で書かれており、善は顔を引きつらせる。
【水沢 善】『花恋さん、この入部理由は流石に……あと、苗字もちゃんと書いて……』
【か♡れ♡ん】『えー、これでいいじゃん。それに、わたしが自分の苗字嫌いなの知ってるでしょー?』
『お願い』と可愛いスタンプ付きで言われたら、もうそれ以上言及する気にもならなかった。
そんなこんなもありつつ電車は自宅の最寄り駅に到着。
一応見舞いも兼ねているため、善はデパ地下で精の付きそうな食べ物を購入してから翼の家に向かった。
彼女の家は善の家から歩いて十分程度のところにある。
裏通りにある住宅街を進むと、やがてその一軒家が見えてきた。
「翼の家なんて何年ぶりだろ。ご両親いるかな……?」
翼の両親は共働きで忙しくしているらしい。
以前体育祭の時久しぶりに会ったが、あまり老けていなかったのはバリバリ働いているからかもしれない。
そんなことを考えつつ、善は佐藤家のインターフォンを鳴らした。
が、反応はなし。
時間を置いて再度鳴らすも、家からは物音ひとつ聞こえてこない。
「寝てるのかな……?」
この感じでは翼の両親は間違いなく不在だろう。
LINEで安否確認してみるも……こちらも返事は来ない。
というか昨日翼に無視された時から、彼女からの返信は滞っていた。
「はぁ……また出直すか」
そう思って踵を返した時、手に持っていたスマホが光った。
翼か? と思って期待したが、相手は真智だ。
【ゆまちー】『どうだった?』
【水沢 善】『すみません、まだ会えてなくて……。翼、なんか寝てるみたいです』
【ゆまちー】『そう』
会話はそこで途切れた。
善は一度自宅に帰ろうと道を歩いていると、今度はポケットに入れていたスマホが震えた。
着信だ。相手はまたも真智だった。
「もしも――」
『呆れたわ。あの子仮病で授業サボったらしいわよ。今は家の近くの河川敷でトレーニングしてるって。どこだかわかる?』
出てすぐ矢継ぎ早に言われ困惑したが、善は徐々に状況を理解する。
「つ、つまり翼はいま家にいないってことですか……?」
『そういうこと。……まったく。佐藤、水沢くんのLINEブロックしてたらしいの。私が聞いたらベラベラ喋りやがったわ』
それでLINEを送っても返事がなかったわけか。
とは言え、ブロックされていたともなれば翼の拒絶反応も相当なものだ。
真智と繋がっていて良かった……と心から思う善だった。
「その河川敷の場所なら、俺わかります。今から向かってみますね」
「ええ。頑張って。あのメンヘラちゃんの心を開いてあげてちょうだい」
*
そうして現在――
善はようやく、茜さす河川敷にて翼と対峙していた。
「翼!」
「げ……善……」
トレーニングウェアに身を包んだ翼は、バツが悪そうに顔を歪めていた。
「話したいことがあるんだ! 少しは俺の――って、おいぃ⁉」
善が喋り終える間もなく、翼はスタコラサッサと逃げ出してしまう。
「くそ……伝説のポ○モンかお前は……!」
愚痴をこぼしつつ、善は彼女の背中を追いかける。
もう逃げられたくらいで諦めたりはしない。
こちとらお前と仲直りするために可愛いギャルの彼女とも別れてきたのだ、と善は心に闘志を燃やして賢明に走った。
だが二人の足の速さはまるでウサギとカメ。加えて善は肩にスクールバッグ、手にスーパーのレジ袋を提げている。
すぐに姿を見失うのは自明だった。
そこで、善は直線を走る彼女とは別の道に進んだ。
なんたってここは善の生まれ育った街。そして子供時代、翼と一緒に駆けまわった土地だ。
どの道を使えば早回りできるなんてのはすべて頭に入っている。
そうして、善は一足早く翼の家の前にやって来ていた。
電柱の影で待ち伏せしていれば……。
「はぁ……はぁ……善のやつ、あんなに足遅いなんてね……すぐに見えなくなっちゃうなんて、ちょっとは走り込みでもしたら――」
「どりゃぁぁぁ!」
「うわああぁぁっ⁉」
油断してこちらに近づいてきた翼を捕まえようとするも――失敗。
彼女はスタタッ、と距離を取り、批難するような目を向けてくる。
「待ち伏せなんて卑怯だぞ!」
「ずっと逃げ回ってるお前の方が卑怯だろ! 頼むから俺の話を聞いてくれってば!」
「うるさいうるさい! 善なんて一生毒島さんとイチャついていればいいんだよ!」
言って、翼はまた逃げ出してしまった。
その背中を善は――今度は追いかけなかった。
当たり前だ。彼女の家はここなのだから、ここに戻ってくる他あるまい。
「ふっ……猪突猛進女め。軟弱だった俺がどれだけ知略を巡らせてお前と勝負してきたと思っているんだ」
なんてややカッコつけたことを独り言ち、善はその場で彼女が帰ってくるのを待った。
しかし――
「あ、あれ……? おかしいな……」
三十分経っても、翼はこの場に戻ってこなかった。
周囲を確認するが……翼らしき姿は見えない。
それどころか、善は通りすがるご近所さんたちからチラチラと警戒の目を向けられていた。もしかしたら変質者の疑いをかけられているのかもしれない。
ここを離れるのは惜しいが――彼女はどこかに隠れている可能性だってある。
そう思って、善は翼のことを探しに行った。
*
「はぁ……また逃げちゃった」
翼はとある公園の、ドームの形をした遊具の空洞の中で体育座りをしていた。
まさか善があんなに追いかけてくるなんて……。
少し考える時間が欲しくて立ち寄った公園。だがここは昔、善とよく遊んでいた場所だ。以前放課後に行ったところとは別の場所で、こちらの方が遠い分遊具が充実していた。
そんな場所に来たからか、翼は郷愁に駆られてしまう。
「善との追いかけっこ……ちょっと楽しかったな」
またさっきみたいに善と遊びたい。
だけど善は花恋と付き合ってるし――もう一緒に帰るのはやめようと言ってしまったのは自分の方だ。
今更どんな面を下げて、また二人で遊ぼうなんて言おうという話である。
「せめてもうちょっと素直になれたらな……」
そんなことを呟きながら、翼は膝に顔を乗せてうつらうつらする。
寝不足な上、今日はかなりのハードトレーニングをしてしまった。
暗く狭いこの空間が妙に心地良いのも相まって。
「ううん……」
翼は次第に、眠りの世界にいざなわれていった。
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