第31話 ギャルの彼女と大事な話

 翌日、金曜日。

 ぜんは放課後、文芸部の部室に花恋かれんを呼び出していた。


「にしても善くんから誘ってくれるとかいがーい! 彼ピとしての自覚が芽生えたとか?」

「い、いや俺は……」


「こーんな人気ひとけのないとこに呼び出されちゃうんだもん。もしかしてぇ……善くん、そんなにわたしとシたかったの?」

「ちち、違うって! そういうつもりじゃないってば!」


「きゃははっ、何でそんなに動揺してるの~? わたしただ、『お喋りしたかったの?』って聞きたかっただけなんだけど。善くんってば顔赤くしちゃって、カ・ワ・イ・イっ」

「うぐう……」


 いつものように軽く弄ばれてしまい、善は顔を俯ける。


「……なんてね。冗談だって。話、あるんでしょ?」

「う、うん……」


 花恋が大人しくなると、急に音を失ったかのように静かになる。


 この文芸部の部室には現在善たち二人だけ。

 加えてここは校舎四階の隅であるため、めったに人が寄り付くことのない場所なのだ。


 まさに秘密の会話をするにはうってつけだった。

 善は花恋に相対すると――その場に土下座して、こう叫んだ。



「花恋さん! 俺と……恋人関係を解消してはくれないでしょうか⁉」



 しばしの沈黙。やがて降ってきたのは、


「……それって、わたしと別れたいってことだよね?」


 という背筋も凍るような声だった。


「結果的にはそういうことになります……!」


 善は床に額がめり込むんじゃないかという勢いで、強く、謝罪の意を表明する。


「俺、花恋さんから告白されてめちゃくちゃ動揺したんだ。なんでこんな可愛い子が俺に? って感じで。だからついあの時は『はい』って答えちゃったけど……よく考えたら俺、自分で自分が誰を好きとかもわかってない状態だったんだ。それに、俺には花恋さんの他に大事な人が――」


 と、顔上げた瞬間。


「え?」


 善の目に飛び込んできたのは、三角形の黒い布――世に言うパンティーだった。


「ななな、か、花恋さん⁉」

「にひひ」


 花恋はいつの間にか、土下座をする善の目の前にしゃがみ込んでいた。そのせいで短いスカートの裾は浮き、そこからトライアングルゾーンが出現していたのだ。


 それに気づいているのかいないのか、彼女は小悪魔のように笑って見せると、善に手を差し出してきた。


「ほら立って。膝汚れちゃうよ」

「あ……うん。ありがとう」


 善は彼女に引き上げられるままに立ち上がる。「えっと……?」と状況がつかめず善が困惑していると、花恋は凛然とした口調で言った。


「男がすぐ土下座なんかしない! するのは浮気した時と家族に隠れて借金こさえた時! byうちのママ!」


「で、でも俺、浮気に近いことした……っていうか、花恋さんと付き合っていながら他の女子のとこ会いに行っちゃって……」


「でも、相手は翼ちゃんでしょ?」

「え……うん」

「だったらまー……うん! ギリ許す!」


 善はあっけに取られた。

 ビンタも覚悟はしていたが……まさか許してもらえるなんて。


「そんな……だって俺、後先考えないまま花恋さんの告白にオーケーしたんだよ? こんなのもう最低と言うしか……」

「だから卑屈になんなっての!」


 そう言って、花恋は善の腰を叩いてきた。


「それに、最低って言ったらわたしも同じだしね」

「え……?」


 呆然とする善に、花恋は懺悔するように言った。


「だって体育祭終わった後で、わたしら優勝してウェーイ! ってノリで、みんなが見てる前で告白だよ? そんなの、断れるわけないじゃんね」

「花恋さん……」


「正直言うとわたし、善くんと翼ちゃんがめっちゃ仲良いとこ見て焦ったんだ。それで『これ無理矢理いかないと勝ち目なくね⁉』って思って、強引な方法で告っちった。ごめんね」


 言って、花恋はちろりと可愛らしく舌を出した。


「だから善くんの申し出は素直に受けようと思います。短い間だったけど楽しかったよ」

「それは……うん、俺も同じだよ。花恋さんと一緒に帰ったり、で、デート……したりとか、いろいろ新鮮な体験だった」


「またお出かけしよーね。何なら今週末行っちゃう?」

「ご、ごめん、流石に別れてすぐっていうのは……」

「あははっ! だよねー!」


 花恋は大口を開けて笑う。


「――でも、わたしが善くんのこと好きなのはガチのマジだし。一応これからはまた『お友達』に戻るわけだけど……まだ善くんのこと諦めたつもりないから。そこんとこ、覚悟しとけよっ!」


「う、うん……覚悟しとく」


 花恋にビシッと人差し指を向けられて善はおずおずと頷く。

 互いに気持ちを言い終えると、室内の緊張した空気は徐々に弛緩していった。


「あーあ。でも、こうなるんだったらとっととエッチして既成事実作っておくんだったなー。そしたら善くんもわたしと別れたいなんて言い出さなかったかもしれないし?」


「なっ……! そ、そんなことない……と思う。たぶん……」

「あははっ。めっちゃ曖昧じゃーん。やっぱ善くんも男の子なんだね」


 二の腕を突かれ、善は顔を赤くする。

 善をひとしきりいじり終え、花恋はふう、と息をつく。


「それで善くん、さっきわたし以外に大事な人がいるって言ってたけど――翼ちゃんのことだよね?」

「うん」


 善は力強く頷いた。

 それを受けた花恋は、諦観の浮かんだ表情で言う。


「それってやっぱり、わたしより翼ちゃんの方が好きってこと?」

「たぶん花恋さんは恋愛感情のことを言ってるんだろうど……そういうわけじゃないんだ。俺は翼のことを一番の友達だと思ってて――」


 そうして、善はここ最近あったことを話した。


 花恋と付き合い始めて、翼とは一緒に帰れなくなってしまったこと。

 翼に避けられてしまっていること。

 何かを選んだら何かを捨てなくてはならないと、ある先輩に言われたこと。



 そして善は――どうしても翼という友達を手放せなかったこと。



 喋り終えると、花恋は「ぐああ……」と頭を抱えていた。


「善くんと付き合えてハッピーだったせいで忘れてたけど……そうじゃん、わたしが横槍入れたせいで善くんと翼ちゃんの関係がグチャッて……」

「か、花恋さんのせいだけじゃないよ⁉ 元はと言えば俺がちゃんと考えて返事できなかったせいもあるし」


 善が慌ててフォローするが、花恋は聞いていない様子だった。

 やがて花恋は腹を決めたように、


「よし! そんなら善くん、今すぐにでも翼ちゃんとこ行ってこい!」


 と、善の背中をバシンと叩いた。

 

「翼ちゃん、陸上部やってるんでしょ? まだ学校いるだろうし、行くならすぐの方がいいって。そんでわたしと別れたって伝えてくるの! ――大事な友達なんでしょ?」


 彼女の言う通りだ。

 今、善は翼に拒絶されている。


 真智によるとそれは、善と花恋が付き合い始めたことが原因らしい。

 そうであるならば、すぐにでも花恋と別れたと報告をしに行った方がいいに決まっている。


「わかった……! 花恋さん! 俺、ちょっと行ってくる!」

「うん! 行ってこい!」


 そうして善は花恋を残し、文芸部の部室を飛び出していった。



     *



 善が去った後の部室にて。


「敵に塩送っちったぁ~……これはもう勝ち目ないかぁ」


 花恋はテーブルの角に腰を据えて、息を吐いた。

 これから善は翼のところに行って、自分がまたフリーになったと報告する。


 翼はほぼ確実に善のことが好きだ。今回花恋から横取りされたことに危機感を覚えているのなら、すぐにでも彼に告白することだろう。


「でも――善くんのこと、諦めたくないな……」


 体育祭をきっかけに芽生えた花恋の恋心。

 それは善と付き合っていたこの一週間ちょっとで、より大きく、深いものになっていた。

 今更諦めるなんてのは寝覚めが悪いし……何より自分らしくない。


「ううん! 善くん鈍感だし優柔不断だもん! わたしにもまだ勝ち目あるって!」


 鼓舞するように膝を叩くと、途端にやる気が出てきた。


 それに高校生活はまだ始まったばかりだ。

 もしも善と翼の交際がスタートしたとて、自分にチャンスが巡ってくる可能性は多いにある。


 そうして善と翼が喧嘩をしたら、自分は善に優しく言ってあげるのだ。「どしたん? 話聞こか?」なんて具合で。


「いよっしゃー! そんならまた善くんと一緒になれる機会を作んないと!」


 何かいい案あるかな……と考えて、花恋はこの部屋を見渡す。

 そして、「あっ」と妙案を思いついた。


「わたしが文芸部入ればいいんじゃん!」


 善との会話で、この部のことは聞いていた。曰く、活動日・活動内容・活動時間のすべてが自由のユルユル部活動であると。


 善も時間つぶしのために入部したと言っていたし、花恋もちょうどバイトまでの時間を潰せる場所が欲しかったところだ。


 そう思ったら早速、花恋はバッグからルーズリーフを取り出した。


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