―幕間4― 水沢善の追憶
口数は少なく、友達も作ろうとせず、部屋の隅っこで人形遊びをするのが好きな子供だったのだ。
だが、そんな善に転機が訪れたのは小学校一年生になったばかりのある日だった。
*
小学校の廊下に、善は立ち尽くしていた。
職員室の前でキョロキョロと辺りを見渡す善の手には、革の財布が握られている。
帰ろうと思って校舎を出ようとした時に校門の付近で拾ったものだ。当然生徒の物じゃない。きっと先生か、職員のものだろう。
そう思って届けに来たのだが……。
「うう……」
善は職員室に入れないまま、扉の前でもじもじとしていた。
当時六歳だった善にはその場に入っていく勇気はなく、そもそも入学したばかりでまだ慣れていない先生に話しかけることすらできないでいた。
と、その時だ。
「ねえ、そこで何してるの?」
「え……」
声をかけられて振り返ると、そこには善より少し背の高い子が立っていた。
ざんばらの髪にあどけない瞳。まだ肌寒い日もあるだろうに、Tシャツに短パンというラフな格好だ。
胸元の名札には『1ねん2くみ さとうつばさ』と書いてある。見た目も名前もかなり男の子っぽかったが、名札の色的に女の子らしい。
「あんた、うちのクラスの子でしょ? あたし翼! よろしくね」
「あ、あの……その……よ、よろしく……」
善は蚊の鳴くような小さな声で返し、差し出された手をおずおずと握った。
「んで、そのお財布は何?」
「えっと、これは……」
そうして、善はたどたどしい口調で翼に事の経緯を説明する。
職員室は雰囲気が怖くて、中に入れないということを告げると、
「なーんだ。そんなことか」
そう言って、翼は善の手から財布を奪い取り、ズカズカと職員室に入って行った。
「すみませーん! 落とし物届けに来ましたー!」
翼の思い切った行動に善は目を丸くする。
そんな大声出したら怒られるんじゃ……と思ったが、こちらに気づいた若い教員は朗らかに笑って翼の対応をした。
「あら、お財布。届けてくれてありがとう。きっと落とした人も困ってたと思うわ」
「拾ったのあたしじゃないよ。あの子!」
言って、翼は善の方を指さす。
すると教員から再度お礼を言われ、善ははにかみながら会釈を返した。
――これが翼との出会いだった。
*
その日を境に、だんだん翼と話すようになった。
翼はよく男の子に混ざって遊んでいた。彼女はおままごとやお絵かきよりも、かけっこの方が好きな子供だったのだ。
善は最初、そんな彼女を遠巻きに見ていただけだったが、
「ほら。善も鬼ごっこやるでしょ?」
「や、やる……!」
彼女に引っ張られて、善もみんなと遊ぶようになった。それを通じて友達もたくさんできた。
引っ込み思案な気質は……あいにく直ることはなかったが、それでもだいぶマシになったのは事実だ。
――……
善たちが通っていた小学校はクラス替えが二年ごとに行われる。
運がいいことに、翼とは三・四年生も同じクラスになることができた。
「やったね、善! また同じクラスじゃん!」
「う、うん。そうだね」
それをきっかけに翼とはますます仲良くなった。
小学校の帰り道は翼と途中まで一緒で、その頃は毎日のように翼と登下校していた。
――……
アクティブな性格の翼だったが、やや猪突猛進なきらいもあった。
勝負事になるとすぐムキになってしまい、他の子と喧嘩をしてしまう。
勝ちにこだわるあまり遊びのルールを無視することも多々あった。
行きたい場所があると道も調べず歩き出し、迷子になったことも。
そんな翼を、善は必死にサポートした。
ある時は喧嘩の仲裁をし。
ある時は屁理屈で翼の反則を庇い。
ある時は涙目の翼の手を引き、地道に帰り道を探した。
「すげー! 善やるじゃん!」
「えへへ……ありがと」
善にとって翼は一番の友達で、なくてはならない存在だった。
でもそれと同時に、善は翼の助けになっているという実感もあった。
その関係性が、内気だった善の自己肯定感を高めていたのだ。
――……
翼とは気が合った。
好きな教科、絵の具セットの色、音楽会で演奏する楽器、履いているスニーカー。
何を取っても彼女と同じで、その度に「あたしたち、前世できょうだいだったんじゃない?」なんて話をした。
――……
善はこの翼という「友達」が大好きだった。
互いの家に行くこともあったし、夏休みや冬休みは毎日のように遊んだ。
そしてこの関係が永遠に続くのだと、当時の善はそんな無邪気な幻想を抱いていたのだ。
*
だが、その関係が終わったのは六年生の春――
善は翼と喧嘩をしてしまった。
善が怒ることに慣れていないこともあって、それまで大きな喧嘩はあまりなかった二人。だがその時ばかりは、善も腹が立って翼に強い口調で言い返してしまった。
理由はもうほとんど覚えていない。
ただ先に文句をつけてきたのは翼の方だ。それがあまりに理不尽な内容で善も反論し……といった具合である。
それ以降翼とは疎遠になり、小学校を卒業するまで彼女とはほとんど口を利くことがなかった。
本当は、善の方は仲直りしたい気持ちでいっぱいだった。
ただその性格ゆえ、翼に『仲直りしよ』とは言えなかったのだ。
翼の方はずっと怒っているようで近寄りがたく、自分が逃げ腰だったというのもある。
ただ――善はその時翼と仲直りしなかったことをずっと後悔していた。
中学に上がってからはそれなりに友達もできた。だけど善の頭の片隅にはいつも翼がいて、「翼ならこう言ったかな」「翼ならどうしてるだろう」という思いが消えなかった。
中学を卒業する頃にはそんな思いも薄れていったが――
それでも、自分の人生の中で一番の友達を上げるなら誰かと問われれば、
(俺はきっと、何歳になっても翼って答えるんだろうな……)
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