第28話 ボーイッシュ幼馴染の意地の鎧

 ――十数分前。


ぜんくん、わたしの好きなところ十個言って?」

「え、ええ……」


 学内でもリア充御用達(らしい)中庭。

 善は花恋かれんと肩を並べて、芝生に敷いたレジャーシートの上で昼食を取っていた。


「言ってくれないとサンドイッチあげないよ?」

「そ、それはひどくない……?」


 脅し文句を告げてくる花恋に善は憂いの表情を浮かべる。

 この時間じゃもう購買にはまともなものが残っていないだろう。最近は花恋が昼食を作って来てくれるから、購買や登校時にコンビニで昼を買ってくる習慣もなくなっていた。


 それに――花恋の作る弁当がまた美味いのだ。

 彩りなんかも気にしているようで、彼女が質のように見せてくるバスケットの中にはカラフルな具材を挟んだサンドイッチが宝石のように並んでいる。


 善はゴクリと唾を飲み下して、


「えと……か、可愛いところ……」

「きゃー‼ 善くんに言われると普通に照れるんですけど! ねえねえ、他には?」


「料理が上手いところかな」

「うんうん、毎日ママにご飯作ってあげてるもん! 立派なお嫁さんになる自信あるよっ」


「えーと他には――」


 と、善は花恋の良いところを上げ連ねていき、ようやく十個を達成することができた。


「も~、善くんってばわたしのこと大好きかよ~っ! わたしも好きだぞっ」

「あ、あはは……」


 彼女の押しに善は口端をひくつかせて笑う。

 花恋と付き合い始めてからいつもこうだ。


 恋人関係になるつもりなどさらさらなく、勢いで彼女と付き合い始めてしまった善は、毎日のように花恋から好き好きアピールを受けていた。


 当然、健康な男子高校生としては嬉しい限りなのだが……今の気持ちとしては、困惑の方が強いのが本音だ。


 だがそんな善の心などお構いなしに花恋は身体を寄せてくる。

 大きく開いたシャツの胸元からは、黒のセクシーな下着がチラリと覗いていた。翼ほどではないが花恋もなかなかいいスタイルの持ち主だ。


 と、思わず視線を引き寄せられていたところで……花恋のニヤニヤ顔が視界に入った。


「にひひ、善くん目がやらしいんですけどー」

「うぇっ――⁉ ご、ごめん! つい出来心で……」

「謝んなくていいってば~。善くんが見たいんならいくらでも見せてあげるよ?」


 そう言って、花恋は自らのシャツをグイと引っ張って下着を見えやすくする。

 その仕草に善は再び視線が引き寄せられそうになったが、寸でのところでそれを堪えた。


 必死に目を泳がせていた、その時。


「あ」


 善は視線の先にいた人物に目を止めた。

 つばさだ。テラス席で、凛とした雰囲気の女子と何やら話している。


(そういや最近、翼と一緒に帰ってないな……)


 翼はあの告白の一部始終を見ていた観衆の一人だった。

 やらかした……という混乱で記憶が混濁しているが、あの後彼女と二、三言葉を交わしたことは覚えている。


 と、善がそちらを見ていたせいか、花恋も彼女の存在に気づいたようだ。


「あ! 翼ちゃんじゃーん。善くん、ちょっとあっち行こ?」

「え、ちょ、花恋さん⁉」


 花恋に腕を引かれるまま、善は翼の下へと駆けていった。



     *



「こんにちは! 佐藤翼ちゃんだよね? 初めまして。わたし、善くんの彼女の花恋です。わたしのことは気軽に花恋って呼んでねっ」

「は、はぁ……これはどうも……」


 急にやってきてアイドルもかくやという笑みを見せつけてくるそのギャルに、翼は戸惑いながらも会釈を返した。


 そして善に対して「説明しろ」と視線を送ると彼は、


「花恋さんが翼と話してみたいって言うんだ」


 なんて嘆息しながら答えた。


「私は席を外した方がよさそうだし、早めに教室戻るわ。どうぞ、椅子使ってちょうだい」

「えっ、ちょ、湯町ゆまち先輩⁉」


 翼は引き留めようとするが、真智まちはさっさと行ってしまう。

 部外者がいると話しづらいことがあるとでも思ったのだろうか。去り際彼女の瞳が、「上手くやりなさいよ」と言っているように思えた。


 花恋は先ほどまで真智のいた椅子に座って、申し訳なさそうな顔をする。


「ごめん翼ちゃん! もしかして邪魔しちゃったかな?」

「え、う、ううん……あの人マイペースだし平気」

「そっか、よかった~!」

 

 と、花恋は安堵の表情を浮かべてから、


「てかさてかさ、翼ちゃん、善くんの幼馴染なんでしょ? いろいろお話聞きたいな~。善くんの好きなものとか、お家の場所とか、性癖とか!」

「花恋さん⁉ 何聞き出そうとしてるの⁉」


 善がツッコむと、花恋は大口を開けて笑っていた。


 ――それからしばらく、翼は花恋と話した。


 花恋は話題を引き出すのが上手くて、さらには褒め上手だった。

 翼が陸上部の話や大会で入賞した話をすると大仰に驚いて褒めそやしてくれる。


 そんな彼女のおかげで最初は警戒していた翼も次第に緊張がほぐれ、楽しくお喋りをしていた。


「それでね、善ったら木の上から降りられなくなって――」

「あはっ、何それ可愛いー! それでそれで?」


 こうして話していると、この間まで花恋の悪いところを探そうと躍起になっていた自分がひどく醜く思えてくる。

 彼女は翼が想像していたような、悪辣なギャルなんかじゃなかった。


「善くん、昔はそんなに小っちゃかったんだ。それが今じゃこんなに大きくなっちゃって~。うりうり♡」

「か、花恋さん頭撫でるのはやめて……」


 観察していてある程度わかっていはいたが――実際に話しているとよくわかる。

 可愛くてお喋りで誰とでもすぐ打ち解けられる社交性があって……そして何より、善のことが大好きな女の子なのだ。


(あたしとは大違いだな……)


 翼だって善のことは好きだ。その気持ちは花恋にだって負けない自信がある。

 だけど……彼女のように、それを直接善に伝えることはできない。


 自覚するとより自分の不甲斐なさに腹が立って、翼は唇の内側を小さく噛んだ。

 と、そこで予鈴のチャイムが鳴った。


 花恋は「やば! わたしお昼全然食べてない!」と立ち上がる。


「ずっと俺のこといじってるからだよ……残りは教室持って行って食べよう。ここにいたら五時間目に遅刻する」

「うん! ごめんけどわたし先戻るわ! じゃあね、翼ちゃん! 今度LINEするから!」


 そう言ってパタパタと校舎の方へと走って行く花恋。


 善はやれやれとその姿を見送りつつ、翼の方へと向き直った。


「えと、なんかこうやって話すの久しぶりな気がするな」

「……そうだね」

「ごめん。このところ花恋さんと一緒に帰ってて、お前の都合に合わせてやれなかったっていうか……」


 歯切れ悪く、まるで怒られる前の子供みたいに身体を丸めて言う善。

 そんな彼に翼は――



「この幸せもんめ! あんな可愛いギャルと付き合いやがってよー!」



 軽快な笑みを浮かべ、善の背中をバシバシと叩いていた。


「つ、翼……?」

「ったく、あんたみたいな根暗オタクにはもったいない彼女だよ」


(あれ? あたしこんなことが言いたかったの? 他にもっと、善に言いたいことあるんじゃないの?)


 口を動かして話していることと、心の内で思っていることがかみ合わない。

 まるで着ている着ぐるみが勝手に喋っているようだった。


「まっさか善に先越されるとは思わなかったわ。あたしも早く彼氏作らないとなー」

「いや……それは……」


 善は何か言いたげに口をもごもごさせていたが、二の句を継ぐ前に翼はこんなことを口にする。


「でも、今後はもうあたしと帰らない方がいいかな?」

「え――」


「だって善、毒島ぶすじまさんと付き合ってるじゃん。あたしもまあ……一応女子だしさ。幼馴染っつっても浮気だーとか言われるの嫌だし。これからは別々に帰ろうよ」

「そうだけど……」


 翼の言葉に、善はしゅんと残念そうに俯く。まるで捨てられた子犬のような顔だ。

 彼のそんな表情を見て翼は――腹の内側でドロドロと煮えたぎるような恍惚感を覚えていた。


「あたしも最近部内の人と上手くやれてるしさ。案外みんなと帰るのも悪くないなーって思えてきたし。だから、善は毒島さんと一緒に帰ってよ」


(そんなわけない! あたしは善が一番だもん! 毒島さんとなんて帰ってほしくない!)


 そんな思いが形になることはなく、翼は空虚な言葉をぽろぽろとこぼす。

 忘我の中で善と喋っているうちに、やがて翼は今の自分の状態に思い当たる。


(ああ……これ、意地だ)


 善は昔から弱虫だった。クラスで一番のチビで、何かあるとすぐ泣いてしまう。

 翼は善のことを守ったり、一緒に遊んだり、時に喧嘩したりして、楽しい日々を過ごしていた。


 二人の間には確かな信頼関係があったはずだが――同時に、翼は善のことを見くびり、優越感に浸っていたのも確かだ。

 そんな小学生の善が記憶の中にあるからこそ、翼は自分の気持ちを素直に吐き出すことができない。


――『やだやだやだ! あたしと一緒に帰って! 毒島さんとも別れて! 一生あたしだけと仲良くしててよ!』


 涙ながらに彼の膝にすがり着いてそう叫ぶことができたらどんなに楽だろうか。

 だけど、できない。


 集積した意地が、驕りが、プライドが、鎧のように表層にまとわりついて、翼の本心を覆い隠してしまっていた。


「ってことだから、あたし行くね。彼女、大事にしなよ。数日で振られたとか言ったら笑ってやるんだから!」


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