第13話 ボーイッシュ幼馴染は脱いだらすごい

 ――今よりもずっと幼い自分が、今よりもずっと幼い彼に向かって叫んだ。


「行けるよ、ぜん!」

「ぼ、ぼくには無理だよ~っ」

「何言ってんの! ぴょん、って飛び降りるだけでしょうが!」


 ――八年前。

 雲一つない夏の日。公園にて。


 つばさは木に登って降りられなくなった善を、下から見上げていた。

 木の上にいた猫を救出したいと善が言ったのだ。


 翼がそれを手伝ったのはいいが、猫の救出に成功した後、今度は善が降りられなくなってしまった。ミイラ取りがミイラになる、というやつである。


「ったくビビりなんだから……こうして、こう! だよ」


 もたもたしている善に、翼はするすると木に登ってジャンプで降りる動作を実演してやる。猿のような身のこなしに、幼い善は「す、すげー……」と目をキラキラさせていた。


 だけど一向に降りる気配のない彼に、翼はため息を吐いて、


「も~、仕方ないな。ほら、来い! あたしが受け止めてあげるから」

「ええ……でも……」

「あと十秒で飛び降りなかったらあたし帰るよ」

「うわわっ、わ、わかったよ!」


 翼の脅しが利いたのか、善は決死の顔でジャンプ!


 その小さな身体を翼はガシッと受け止めた。……が、勢いを打ち消すことはできず、二人してドスーン! と地面にもたれこんだ。


 翼と善は二人して頭にたんこぶを作り、それを見合って同時に笑い転げた。

 ……今でも鮮明に覚えている、楽しい記憶だ。


 昔から善は弱虫で軟弱だった。何かあるとすぐに泣いて、その度に翼や年の離れた姉に助けられていた。


 今は――どうだろう?



     *



「ひぐっ……ぐすっ……せんぁぱい……」

「よしよし、辛かったわね」


 カフェ『パンタシア』の事務所。

 椅子とデスクが置かれた簡素な空間にて、翼は陸上部の先輩――湯町真智ゆまちまちによって慰められていた。


「ここのカフェ、私のバイト先なの。当日行くお店の候補として挙げたけど、まさか本当に来てくれるなんて思わなかったわ」


 と真智からの説明を受けたが、翼はあまり聞いてはいなかった。


 さっきまで普通に善と会話をしていたはずなのに。

 彼の想いを直に聞くことができて、ようやくスッキリした気持ちになったはずなのに。

 翼の瞳からは、意識できないくらい自然に涙がこぼれていて、ひどく戸惑った。


(なんで……? なんであたし、泣いてるの?)


 嗚咽を漏らし、肩を震わせてしゃくり上げ、垂れてくる鼻水を懸命にすする。自分が泣いているという事実がショックで、それがさらに涙を後押しする。


 何がなんだかわからなくてめちゃくちゃに泣いていたら、いつの間にかこの場所に連れてこられていたのだ。


 ひとしきり泣いて涙ももう出なくなった頃合い。

 少しの間席を外していた真智が、両手にカップを持って戻って来た。その一方が、翼の前に差し出される。カモミールの甘い香りが鼻をくすぐった。


「少しは落ち着いた?」

「……はい、ありがとうございます」


 カップの水面に映った自分を見て、(今のあたし、ひどい顔してるな……)と思いつつ、口をつける。


「何があったか、よければ私に話してみて」


 対面に座った真智は静かな目で言ってきた。

 逡巡する間もなく、翼は事の顛末を語っていた。


「――それで、善に『翼のこと、大事な友達だと思ってる』って言われたんです。その時あたしは、『よかった、これで善と友達でいられる』って思ったんですけど……」


 言いつつ、翼は全身を支配する「何か」に恐れるように、自身の身体をかき抱いた。


「湯町先輩……あたし、自分でもなんで泣いてるのかわかんなくて……怖いんです。自分で自分を制御できない……」

「私にはわかるわ。佐藤がなんで泣いてるか」

「え……」


 真智の言葉に、翼は顔を上げた。


「佐藤、あなた本当は、水沢くんのことが好きだったんじゃないかしら。彼のことが好きだったからこそ、友達だって言われて悔しかったんでしょう?」

「そんな……」


 否定しようとしたが、困ったことに言葉がでなかった。


(あたしが……善のことが好き?)


 その感情はパズルの最後のピースみたいに、翼の心にパチッとはまった。


 ――今日、家の前で善と会った時。

 小学生以来に見る善の私服を見て、翼は内心気後れするものを感じていた。彼の私服はセンスがよくて、デートにも相応しい恰好だった。


『ぷぷぷ、もしかして本気にしてたの?』


 あの時はついそんな煽るようなことを言ってしまい、善は後悔していたようだった。

 でも、それは翼も一緒だった。自分の履いている薄汚れたスニーカーを見て、


(靴くらい……新しいの履いてきてもよかったかな)


 なんてことを思った。



 ――スポッチャでバッティングをしていた時。

 善の豪快なスウィングに翼は目を奪われていた。幼い頃見た、彼の弱々しい打球が嘘みたいだった。

 善があれだけ飛ばせるなら、あたしはホームラン量産間違いない……と思っていたのだが。


 期待を裏切るように、翼の打球は飛ばなかった。

 愕然とした。もう自分と善の筋力には、圧倒的な開きがあったのだ。



 ――ローラースケートを楽しんでいた時。


 転びそうになったところを助けてくれた善に、翼は胸を高鳴らせていた。

 昔は逆の立場だったはずなのに……と思いつつ、そんな彼の成長に狂おしいほどの歓喜を覚えていた。


 彼の腕に抱かれていた一瞬はまどろみのような恍惚感があって、無意識のうちに彼の胸に額を押し当てていた。



 ――そして、善を巻き込んで倒れてしまった時。


(あたしは……)


 ゴクリと唾を飲み込んで、神に懺悔するように呟いた。


「あの時あたしは――自分から善にキスをしました」


 助けてくれた善に対するお礼の気持ちだったのだろうか。

 はたまた少し前、寝ている善にやろうとしたいたずらの続きだったのだろうか。

一瞬の出来事で思い出せることは少ないが、「チャンスだ!」と思ったのは確かだった。


(ああ。そっか、あたしは善が好きだったんだ)


 明確になった自分の思いが、胸にたまっていた闇を晴らす。このところずっと心の中に居座っていた得体の知れない呪いのようなものが、ひっくり返って祝福に変わる。


 それに気づいた瞬間、翼の中で、今まで身近だった善が急に愛おしく、そしてたまらなく尊い存在になった。


「ようやく自分の気持ちに気づいたみたいね」

「……湯町先輩は、あたしが本当は善のことが好きだって知ってたんですか?」


 訊くと、真智は表情を変えないまま翼の鼻をつまんだ。


「ふぎゃ⁉ ナ、ナニスルンデスカ(鼻声)……」

「そんなもの他の部員だって気づいてたわよ。むしろそれを前提に話聞くつもりだったのに、あなたが『水沢くんと友達でいたい』って言うんだもの」

「あ……」


 そう言えば、今日のデートはそれが目的だったのだ。

 それなのに向こうから同じことを言われたらショックで泣き出すなんて……。


「あたし、矛盾してますね。自分でもわがままだなこいつって思います」

「バカね」


 自嘲する翼を、不意に立ち上がった真智が抱きしめた。


「女の子は少しくらいわがままでいいのよ。大事なのはそれを自覚して、相手のことをちゃんと思えるかどうかなんだから」

「そう……なんでしょうか」

「そうよ」


 言って、真智は唇をほころばせた。


「水沢くんのことが好きな翼は、これからどうしたいの?」

「あたしは……」


 瞬間、翼の脳裏には先日真智から言われた言葉がよぎった。


『だって――人は成長するもの』


 翼も善も、もう小学生じゃない。

 お互いに興味も変わり、身体も精神も成長した。

変わりゆく時の中で関係性だけを昔のまま保とうとするから、無理が生じるのだ。

 であれば――関係性を変えるしかない。


「あたしは、善の恋人になりたいです」


 呟くと、真智は「応援してるわ」と微笑を浮かべた。


 善のことだ。きっと幼馴染を「女」として見るのはどうなんだとか思っているのだろう。

 そんなあいつに、わからせてやりたい。


「友達」の仮面を脱いだ自分の姿を。


 今はまだ魅力はないかもしれないけれど、オシャレになって、女子力を上げて、誰もが振り向くような美少女になる。


 そして自分を「女子」として見てくれないあの軟弱ノッポを後悔させるのだ。



(見てろよ善。あたしは――ボーイッシュ幼馴染は脱いだらすごいってことを証明してやる!)


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