第8話 ボーイッシュ幼馴染とカラオケ

「お疲れ様でした。お先に失礼します」


 つばさはハキハキした声で先輩たちに挨拶してから、部室棟を出た。

 足早に校門への道のりを歩く途中、思い起こされるのは昨日の出来事だ。


(ぜんはもしかしたら、あたしのことをえっちな目で見てるかもしれない……)


 善の家で見たものが衝撃的すぎて、昨晩はずっと悶々とさせられてしまった。

 だからこそ――確かめなくてはならない。


 校門に着くと、ちょうど善が校舎から出てきたところだった。

 彼はそのヒョロ長い腕を大きく振って、こちらにやって来る。


「お疲れ。ちょうどお互い終わったところだったな」

「う、うん……そうだね」


 隣に並ばれ、翼はやや身体を強張らせる。


(い、いけないいけない……何緊張してんだあたし)


 これからやろうとしていることは、翼にとって未知の領域。

 下手したら超絶痛いやつになってしまうかもしれない行為だろう。


 でも、この葛藤引きずるよりはマシだ。

 そう決意して、翼は善に向き直った。


「ねえ善、今日カラオケ寄っていかない?」



     *



「カラオケかぁ……」


 渋面を作りながらも、善は結局翼の提案に従うことになった。

 善は音痴だ。自分からカラオケに行くことなんて滅多にないし、行くとしても誰かの付き合いくらい。


 ただ、今回は翼と二人だけだ。彼女は善の音痴っぷりなんて承知しているし、必要以上にそれをからかってくることもない。


(まあ、今後断れない誘いを受けるかもしれないし、練習程度にはちょうどいいか)


 そんなこんなで、善たちは駅前のカラオケボックスに入店した。

 二人用の狭い個室に通され、選曲用のタッチパネルやマイクを取る。

 すると翼は荷物を置いて早々、入口の扉に手をかけた。


「ごめ、ちょっと出てくる」

「いいけど。どうかした?」

「ちょいと野暮用で」


 野暮用って今日日聞かないワードだよなぁ……と思いつつ、善は出ていく翼を見送った。


「うっし、一人だし、最初は適当な曲で喉を慣らしますか」


 なんて通ぶったことを呟き、下手くそな歌で時間を潰すこと数分――ようやく翼が戻って来た。


「お、おまたせ……」

「ああ。今ちょうど俺の曲が終わったところ――って、なあ⁉」


 トイレから戻ってきた翼を見て、善は目をひん剥いた。

 彼女の胸が急激に膨らんでいたのだ。

 制服のブラウスは翼の大きな胸でパツパツになっている。


「どど、どうしたの……それ」

「いやぁ……ははは。サラシ、取ってきた」

「なんで⁉」


 そうだろうとは思った。善はもう、このボーイッシュ幼馴染が脱いだらすごいことは把握済みだ。だけど今、サラシを外してくる理由がわからなかった。


「胸が締め付けられてると、高音が出にくくなるんだって。あたしもサラシ外した方が歌いやすいから」

「だからってお前……」


 つまり、今の翼はノーブラということになる。


 この狭い密室の中。幼馴染とは言え同年代の女子(巨乳)と二人きり。何も起きないはず――なんだろうけど、さすがに緊張は禁じえなかった。

 善はなるべく翼の胸を見ないようにしつつ、タッチパネルを差し出す。


「ほ、ほら翼もなんか歌えよ!」

「う、うん、そうだね!」


 なんだか妙な雰囲気になりつつも、翼はマイクを持って歌い始めた。

 翼の歌は上手かった。やはり部活で声出しに慣れているからだろうか、くっきりと芯のある声音だ。曲も有名なJ‐POPだったので、善も気を取り直して合いの手なんかを入れていた。

 ただ――


(……すっげぇ揺れてる)


 アップテンポで気分が上々になる曲だったおかげで、翼もぴょんぴょんと跳ねまわる。それによって支えのない彼女の大きな胸はゆっさゆっさと揺れていた。


 ――やがて曲が終わり、


「どうだった⁉ あたし上手かったっしょ⁉」

「あ、ああ。歌手みたいでびっくりしたよ」


 本当は胸に気を取られて歌は半分程度に聴いていたのだが……。

 ただその発言を裏付けるように採点画面に「95点」と表示されて、善は安堵の息を漏らす。


「やっぱサラシ外すといいね。全然違うよ」

「そ、そうなんだ……」


 なんて目を逸らしつつ、善は自分の番だとマイクを持つ。

 その時翼は「あ」と声を漏らして、


「さっき音量いじったの直さなきゃ」


 と、モニター下にある機械を操作しようと前かがみになった。

 瞬間、翼のお尻がぐいっと善の目の前に突き出される。


(うおおおっ⁉ な、なんだこのシチュエーション⁉)


 部屋が狭いせいで、こうした少しの動作でも互いの距離が接近してしまうのだ。


「あれ、ここだったかな?」と機械をポチポチやる翼は、無意識なのか身体を左右に揺らす。そのせいでまたスカートの裾をひらひらと躍っていた。


 眼前に晒される肉付きの良い太ももを見るともなしに見ながら、善は息も絶え絶え声をかけた。


「つ、翼……音量の調整だったらタッチパネルでもできるから。ここ狭いし、なるべく操作はこっちでやってもらえると助かる……」

「おお、そうだった。いやぁ~久々にカラオケ来たから忘れちったよ」


 そう言って、翼は頭をかきながらソファに戻る。


(これは今日も夜更かし決定かもな……)


 なんて最低のことを考えつつ、善は煩悩と戦いながら残りの時間を過ごした。



     *



「それじゃ、また明日」

「うん、じゃねー」


 カラオケを出て完全に日の落ちた時間帯。

 そうして手を振り返しつつ、翼は交差点で善と別れた。


 自宅までの道のりをスタスタ歩くと、きょろきょろと周囲に人がいないか確認する。

 やがて翼は顔を覆って道端にしゃがみ込み、


(か、かくった~~~っ……‼‼‼)


 今日のカラオケ。

 翼は善の気持ちを確かめるために、わざと性的興奮を煽るような行動をしたのだ。

 男に色目をつかうなんて初めてだったが、結果は大当たり。自分でも笑っちゃうほどの爆釣だった。


(善、あたしのおっぱいガン見してたな……)


 歌い疲れて小腹が空いてきた頃、翼はフードメニューを注文する名目で、わざわざ座っている善の身体を横切って壁付けの電話機を取った。


 その時の彼の反応ったらこれまた傑作だ。

 重力に引っ張られて二次関数グラフみたいに弧を描く翼の胸を、目が引きちぎれんばかりの勢いで見つめていたのである。


 あんなのを目の当たりにしたら、もう疑惑は確定と言って間違いないだろう。


(やっぱり善はあたしのこと、女として見てるんだ……)


 突き止めたかったのはそこだったはずだ。

 昨日から自分の胸の中にある靄を取り払いたくて、翼はこんな蛮行に及んだのである。


(なのに……なんでまだあたし、こんなにモヤモヤしてるの……?)


 上手く表現できないもどかしい気持ちに、翼は余計困惑していた。

 靄は晴れない。けれどその奥にあるものは、少しだけ明確になったような気がする。

 翼はそのわずかな手がかりで必死に考え――やがてこんな結論に至った。


(そっか……! 善があたしのこと女として見てたら、あたしたち今まで通りじゃいられないじゃん!)


 幼馴染として昔から遊んでいた手前、翼は善と接触することに何の抵抗はなかった。

 家にだって平気で行けるし、肩が触れ合っても何も思わない。手をつなぐことや、やろうと思えば抱き合うことだって可能だっただろう。


 けど――今は違う。善が翼に女を感じている以上、きっと向こうは少なからず動揺してしまうはずだ。そしてそれを知ってしまった翼もまた、善と触れ合う際に、


(ああ……こいつ今興奮してんのかなぁ……)


 と思ってしまう。

 下手したら向こうは一緒にいることすら緊張しているんじゃないだろうか。


 思えば最近、善が急によそよそしくなった日があったような気もする。

 このままその気まずさが続けば、やがてまた疎遠に――


(それは……嫌だな。だってあたし、善といる時が一番楽しいもん)


 同性の知り合いはそれなりにいる翼だが、気が合う相手と言えば善がナンバーワンだ。

 昔から知っていて、ゲームや漫画の話も気軽にできて、一緒にいると自然と話すことが浮かんでくる。


 そんな友達をもう二度と失いたくはなかった。

 でも、一体どうしたらいいのだろうか。

 男女関係についてはからきしの翼だ。ここから自分たちの友人関係を継続する方法なんて、


(いっそ善に去勢してもらうしか……)


 くらいしかなかった。

 誰か頼りになる人はいないだろうか……そう考えを巡らせ、翼はある集団のことを思い出す。


「今更感すごいけど、手伝ってもらうしかない、よね」


 呟いて、翼はスマホでLINEのアプリを開いた。


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