第6話 だったら家行こうよ2

「ふふふ……この時を待っていたのさ」


 西日の差す水沢みずさわ家の一室。

 ベッドで漫画を読んでいたつばさは、横眼で眠りこけるぜんを見てゆっくりと身体を起こした。


 そっと彼の元に近づき、完全に寝ていることを確認する。

 よほど疲れていたのだろうか、善は熟睡し涎まで垂らしていた。


「場所までわかってて見れないなんてストレスだもんね」


 そう呟き、翼はデスク上のノートパソコンを持って、善の元に近づける。

 先ほどこれを開いた時、本人認証に必要なのはパスワードか所有者の指紋のどちらかであることを知った。


 むやみやたらにパスワードを入力して、彼の端末に不都合が起きたらまずいし、翼もそこまでして彼の趣味を知りたいわけじゃない。だがそうでないのなら、積極的に知りたいのは幼馴染としてのさがだ。


 善と疎遠になっていたこの数年。無邪気な小学生から思春期を経て、彼がどんな成長を遂げたのか、翼は知りたくて仕方がなかった。


「これで……よしっと。きたきた」


 指紋認証に成功し、デスクトップ画面が立ち上がる。壁紙は大勢の女の子キャラクターの描かれたものだった。画面を占める肌色度が高く、所謂萌えキャラ的なものだろう。


「むむ……小学生の時からオタクっぽいと思ってたけど、やっぱそっち方面に行ったか」


 翼の前ではあまりオタク全開にはしないが、やはりそういうものが好きらしい。早速自分の知らない善の一面が見ることができて、翼はワクワクが最高潮に達していた。


「さて、えっちな本は……」


 と、動かす手が止まった。


(待てよ……? この善の熟睡っぷり。これはしばらく起きないんじゃない? てことは、えっち本は最後のデザートで取っておいてもいいな)


 そう思って、翼は最初にブラウザを立ち上げることにした。

 男子の癖が詰まっている箇所と言えばもう一つ、「閲覧履歴」だ。


 翼は過去に家のパソコンでそれを見て、父親の秘められたるドM嗜好をつまびらかにしてしまった過去がある。


『やめてくれ翼! そのサイトは……ああァァァ‼』


 あの時の父の慌て方といったら相当なものだった。あれに似たものが善にもあると思うと、確認せずにはいられない。


「善は一体どんな趣味をしてるかなっと」


 翼は躍る指先で閲覧履歴を開く。


 そして出てきたものは――。


『体育会系女子 AV』『ショートカット 巨乳 画像』『ショートカット AV』『ショートカット グラビア』『ボーイッシュ 巨乳』


「お、おお……」


 まさに自分が追い求めていた情報が一挙に公開され、翼は自然と笑みがこぼれていた。


(やっぱり善もAVとか見るんだ……)


 と、彼の軌跡を追っていく。

 動画サイトや画像サイト、青少年が見てもOKなものから本来はいけないR18なものまで、内容は多岐にわたった。

 そしていくつかのサイトを確認した時、翼はあることに気づいた。


(あれ……この画像の女の子、なんかあたしに似てない?)


 さかのぼってもう一度閲覧履歴を確認すると、検索ワードの大部分が自分に合致するものだった。『ショートカット』『ボーイッシュ』『スポーツ』『体育会系』『巨乳』それに気づいた瞬間、ざわざわと背筋を伝うものを感じて、


「……っ!」


 翼は思わずパソコンから飛びのいた。


(うそうそうそ⁉ 善があたしを……? だってそんな……)


 胸の中をよくわからない感情が駆け回る。いろいろな絵の具をめちゃくちゃに合わせたような、曖昧で名前の付けられない色が、視界全体を覆っていく。


 翼は再び、ゆっくりとパソコンに手を伸ばした。

 思い上がりかもしれない。要素が合致していたというだけで、自分が求められているなんてことはないのかもしれない。というか、それなら翼自身を思い浮かべればいいはずだ。わざわざ似た人を探す理由が、翼にはわからなかった。


 善が、名前を忘れてしまった女優だかアイドルだかを探している、という説もある。名前がわからないから、その人の要素で検索するしかない。その残骸がたまたま自分に当てはまっただけ……。


「ううっ……どういうことなの~~~‼」


 翼は頭を抱えた。

 いくら考えようと、出てくる答えは「わからない」だ。


 可能性があるというだけ。確信に至るような検索ワードはいくら目を凝らしても見当たらなかった。


「はぁ……もうやめよ」


 やがて翼は、目的だったエロ本を探すことも中断してパソコンの電源を落とした。


(もともと人のパソコン勝手にいじること自体、いけないことなんだもんね)


 当たり前のことに今更気づき、反省する。


 これは罰だったのかもしれない。好奇心に負けて禁足地に足を踏み入れてしまった罰。

 そのおかげで翼の胸の中には、靄のように実体のつかめない、得体の知れない感情が、呪いのように居座ってしまっている。


 翼はもう一度ため息をついて、ローテーブルに頬をくっつけて寝ている善に顔を寄せた。


「気持ちよさそうに寝ちゃってさ……なんかムカついてきたな」


 自分ばかりこんな気持ちにさせられて不公平だ。

 完全に身から出た錆なのだが、自己擁護モードに入った翼の思考はもう、善にどんないたずらをしてやろうかということにしか頭が働かなかった。


 顔に落書き……は昔何度もやった。

 物を隠す……のはちょっと陰湿だ。

 洋服を後ろ前に……今やったら絶対バレる。


 小学生の時、翼は善にいろいろないたずらを仕掛けてきた。どうせ今やるなら、高校生になってパワーアップしたいたずらをしたい。

 そう考えていた時だ。


(ファーストキス奪っちゃう、なんてどうだろ)


 いずれは善も、彼女ができて結婚もして、過去の恋愛を語る時が来るのだろう。

 自分の初彼女はあの人だった、初めてのキスは夜景が見える観覧車の中で――なんて言っている彼を見て、翼はほくそ笑むのだ。


『ふふふ……残念だけど、善のファーストキスの相手はあたしだよ』と。


(いい! これいいじゃん!)


 自分で自分の案を絶賛しつつ、翼は早速行動に移った。

 寝ている善の顔に、自分の顔を近づける。揺れるまつ毛やひくついている鼻、寝息で上下する背中を見て、翼は小さく呟いた。


「ちょっとは、男前になったかな……」


 至近距離で見ると、昔と顔つきが変わったのがよくわかる。善は弱虫な子供だった。背も小さくて女の子のように華奢で、何かあるとすぐ泣いてしまうような、情けない男の子だったのだ。


 でも今は違う。背は翼よりも十センチ以上高いし、シャツの袖から覗く腕は筋肉の層が纏われているのがわかる。性格は相変わらず軟弱だが、それでも隣に立った時の安心感は昔とは比べ物にならない。


(善も男の子だもんね……)


 そんなことを思いつつ、そっと口を近づけようとして――とあることに気づいた。


「これ、あたしの方も恥ずかしいな……」


 テーブルに手をついて、善の顔を覗き込むように見る。垂れた涎でてらてらと濡れた唇。そこに自分の唇を重ねるだけ。それなのに、あと数センチのところで止まってしまう。


 何度かトライしてみるが、善の口から漏れる吐息が鼻にかかるたびに、びくっとして身体を離してしまう。


「ぐぬぬ……これじゃ復讐できない……」


 顔が熱い。心臓がバクバクいっている。いたずらしているのはこっちなのに、ドキドキさせられていたんじゃ本末転倒だ。パソコンのことといい、このことといい、今日は何かと自爆が多い。


 翼はバチンと顔を叩いて、


「っしゃ、やったるわ。キスなんて一瞬よ、一瞬」


 気合をいれ、再度善の顔に唇を近づける。

 今回は絶対に顔を離さない。そう心に誓い、徐々に顔を接近させていく。

 あと十センチ、七センチ、五センチ、三センチ――


(ああ、あたし、本当に善とキスしちゃうんだ……)


 と、思ったその瞬間だった。



     *



 バチン、という冴えた音がして、善の意識は徐々に覚醒していった。


(あれ……俺、寝てた……)


 しょぼつく目を開き、ゆっくりと顔を上げようとすると――

 突如視界に入ってきたのは、どアップの翼の顔だった。


「うわぁ⁉」

「きゃあ⁉」


 瞬間、お互い同じ極の磁力を得たようにすごい勢いで反発する。


「ななな、何してたの⁉」

「は、はぁ⁉ まだ別に何もしてないけど⁉ 善の方こそ何かされてたって自意識過剰じゃない⁉」

「まだって言ってるじゃんか‼ 何するつもりだったんだ⁉」


 善が問い詰めるように言うと、翼は「ぬぬぬ……」と苦い顔をして、


「い、いたずら……しようとしてた」

「いたずらって……小学生じゃないんだから」


 善が呆れたように言うと、翼はぷい、と顔をそらしてしまう。いたずらに失敗したのがよほど悔しかったのか、彼女の横顔は真っ赤だった。


 そのことをいじってやると、翼はなぜか過剰に怒り出して、「くるぁ‼」と善にプロレス技をかけてくる。


「くらえ、このっ、このっ」

「ぐああぁぁぁっ⁉ い、痛い痛い痛い‼ 何でそんなに怒ってんだよ⁉」


 必死で叫ぶものの、怒りに我を忘れた翼は聞く耳を持たなかった。


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