第3話 ボーイッシュ幼馴染と公園

「失礼しましたー」


 ぜんは頭を下げて職員室を出る。階段へ向かう廊下を歩いていると、窓からは茜色の西日が強く照り付けていた。


「時間過ぎちゃったな……つばさ、待ってるかも」


 独り言ち、善は足早に玄関に向かう。


 ――翼と再会して、一週間が経った。


 今日、善は文芸部への入部を決めた。部活に入る予定はさらさらなかったが、活動日・活動時間・活動内容すべてが自由のこの部は、放課後翼と落ち合うまで時間を潰すのに都合が良かった。

 ……去年の卒業生を最後に部員がゼロになっていたらしく、入部と同時に部長にされてしまったのは想定外だったが。


 校舎を出ると案の定、翼が校門の前で待っていた。


「おっそーい! 何してたの善!」

「ごめんごめん、入部の手続きやら部室の掃除やらしてたら遅くなっちゃって」


 腰に手を当てて憤慨している翼に、善は言い訳がましく文芸部の部室がどんな惨状だったかを説明する。


「ふーん。でも善、背ぇ高いからバレー部とかバスケ部に入ればよかったのに」

「どっちの部からも打診来たよ。でも断った。練習きつそうだし、先輩たちちょっと怖くて」

「根性なしめ。そんなんじゃ女の子にモテねーぞ」

「うるさいなぁ」


 言いつつ、どちらからでもなく笑った。勝手知ったる間柄だからこそ、距離感も掴みやすくて自然と言葉が出てくる。

 そんな風に話しながら二人は下校路を歩き、やがて同じ電車に乗り込んだ。


「そういや翼、今日のあれすごかったな。うちの男子半泣きだったぞ」

「へへっ、なんたってあたし、一年女子最速だからね」


 得意げに鼻をこする翼の横顔を見ながら、善は今日の出来事を回想した――。





 柿木坂高校の体育祭は例年六月中旬に行われる。

 それを三週間後に控えた今日の三、四時間目。善たち一年生はLHRの時間を使って、グラウンドにて全体練習を行っていた。


 様々な競技の予行練習をする中、ひときわ盛り上がったのが学年リレーの模擬戦だ。

 一年生は全部で八クラス。総勢三百人超が、大声援を送って勝負の行方を見守っていた。


 波乱が起きたのはレースの終盤のこと。

 善の所属する四組の順位は三位で、最後から二番目の走者が走っていた。


「へへっ、俺が四組を勝利に導いてやるぜー‼」


 クラスでもお調子者で知られる男子が前方の走者に食らいつく。大きな口を叩いてはいるが、彼の足の速さは確かなものだった。このまま勝利まで駆け抜ける……と思ったが、


「え……あの女子なんか速くね?」

「おいヤバいぞ織田おだ! 抜かれるって!」


 にわかにざわめきだす観客席。

 それもそのはず、四組の走者――織田の後ろから、猛烈な勢いで追い上げてくる人影があった。


 翼だ。


「ええ⁉ ちょ、おいおいマジかよ⁉」


 織田は肩越しに振り返って、化け物にでも追われているような驚愕の表情を浮かべる。

 瞬間、翼はパンサーのような軽やかな走りで前方の織田と他二名をぶち抜いた。彼女はそのまま一位でアンカーの男子にバトンタッチ。

 直後、翼たち七組――の特に女子――からは大音声の歓声が上がった。





 ――回想終了。

 善はからかうように、隣を歩く翼に向かって言う。


「ずいぶんモテてたみたいじゃん。女子からだけど」

「まーねー。あたしってばほら、運動神経抜群のイケメン女子だからさっ」


 言って「キリッ」とキメ顔をする翼。その様子がなんだかおかしくて、善は「ぷっ」と噴き出してしまう。


「あ、笑いやがったな。これでも女子からモテるのは本当なんだぞ」

「いや疑っちゃいないよ。あの後女子に囲まれてる翼見てたし」


 結果的に一位で終わった七組。その功労者である翼には、多くの女子が殺到していた。


『すごいよ翼!』

『男子抜くとかハンパないって!』

『も~、大好き! わたしと付き合って!』


 冗談交じりだろうが、女子に囲まれて面映ゆそうに後頭部をさすっている翼が印象的だった。


「中学時代はもっとすごかったんだから。あたしのためにタオルとかドリンクとか用意してくれる子までいたんだよ?」

「へーえ。でも、女子中ってそういうのあるって聞くよな」


「毎日可愛い子に囲まれて困ったくらいだったよ。……善、羨ましい?」

「毎日イケメンとかマッチョな男に囲まれてるとこ想像したけど、別に羨ましくはないかな」


「あははははっ。確かに立場が逆になったらそうなるわ。あたしもそっちの気はなかったから、別に嬉しくなかったしね」


 言った後で、善がイケメンとマッチョに囲まれている様がよほどツボだったのか、翼はまた笑いだしていた。


 そうこうしてるうちに地元の駅に到着し、二人は揃って電車を降りる。

 改札を出て家までの道のりをたらたらと歩く途中、翼の提案で近所の公園に寄ることになった。


「うわ、懐かしいーっ!」

「ちょっと来ないうちにここもずいぶん変わったなぁ」


 住宅地の合間に設けられた公園だ。

 善と翼が通っていた小学校の近くにあり放課後になるといつもここで遊んでいた。


 日も落ちかけた時間帯のため辺りに人の姿は無い。善たちは並んでブランコに乗った。

 翼は小学生の日々を追想するように語る。


「こっから善がジャンプしてさ、あそこの柵にぶつかって血ぃ流して。大騒ぎだったよ」

「う……恥ずかしいこと思い出させないでくれ」


 ケラケラと笑いながら、翼はブランコを立ち漕ぎする。ぐわんぐわんと前後に身体を振り、揺れの勢いを増していく。そして――


「今でもいけるかな――っと!」


 ぴょん! とその場から宙を駆けるように飛んで、ブランコの周りを囲う柵を飛び越え、スタッと華麗に着地をした。


「うお、すげー‼」


 善がパチパチと拍手をし、翼は「金メダル、獲得」とどや顔で両手を振り上げている。


「善もやってみたら?」

「……やめとくよ。また流血したくないし」


 小学生の時の怪我も、翼が今みたいにジャンプしたのを見て、「自分もできるかも」と真似して負ったものだ。


 流石にこの歳で同じ怪我をしたら、病院で説明する時に気まずすぎる。

 翼がこちらに戻ってくる。今度は大人しく座って、ブランコをキコキコ揺らしていた。


「ねえ、善って中学の時彼女とかいた?」

「いや、いないけど……なんでそんなこと聞くの」

「この間中学時代の話したじゃん? そん時聞きそびれたなーって思って」


 確かにその手の話題は出ていなかった。恋愛とは無縁の中学時代を送っていたから、そもそも恋愛の話をしようとすら思わなかったのだ。


「そういう翼はどうなんだ? その、彼氏的な」

「あたしもなーい。てか女子中だったしね。そもそも出会いがないっつの」


 言いつつ、翼は遠いところを見た。


「あーあ。あたしももう高校生だし、彼氏とか作った方がいいのかなー」

「誰か好きな人とかいるの?」

「いんや? この人格好いいなぁーって思うことはあるけど、付き合いたいとかまでは思わないかな。そもそも『付き合う』ってこと自体よくわかんないし」


 翼の言うことには共感できた。善も学校で「可愛い子だな」と感じるはあっても、実際に付き合いたいと思って行動に移すことはない。


(毒島ぶすじまさんとか、すごく可愛いけどその分人気者だし、俺なんかが告白しても相手すらしてもらえないんだろうな……)


 頭の中に思い浮かべるのは、クラスメイトのギャル――毒島花恋かれんだ。

 たまに話しかけてきてくれる彼女は、そのたび善にドキドキと甘い残り香をプレゼントして去っていく。


 だけど彼女に告白してまで付き合いたいかと言ったら……微妙なところだ。

 そういう意味では善も翼も、きっとまだ初恋というものをしたことがないのだと思う。



 ――恋と呼べるほど、異性と深くかかわったことがないのだ。



 ふと、善は隣にいる幼馴染のことを一瞥した。

 そしてその直後、ふるふると頭を振って湧き起った考えを打ち払う。


(いやー……流石にないだろ。だって翼は俺の友達だし、それに――)


 と、善は翼の全身を盗み見る。

 化粧っけのない素朴な肌。膝を覆うほど長いスカート。――そして極めつけは、微塵も膨らみのない平坦な胸だ。


(顔も中性的だし、ズボン履いてたらいよいよ男にしか――)


 なんて考えていた時だった。

 肌を焦がすようなものを感じて横を向くと――隣にいる幼馴染が猛獣のような鋭い視線を浴びせていた。


「おい、今なんか失礼なこと考えてたな?」

「へぇ⁉ べ、別に何も考えてないけど⁉」


 必死に誤魔化す善。しかし翼の厳しい目が外されることはなかった。


「嘘つくんじゃねえ。絶対『こいつは女として見れないな』とか思ってたろ」

「う……だ、だって仕方ないだろ! 俺たち昔っからきょうだいみたいに遊んでたんだから!」


 開き直って白状すると、翼はわざとらしいウソ泣きをして言う。


「えーん、善ってばひどいよー。あたしだって女の子なのにー」

「そ、そんなこと言ったって……」


 完全に彼女の手のひらで踊らされている。昔からパワーバランスは圧倒的に翼の方が強くて、善はいつも彼女にいじられていた。

 いつまでもウソ泣きを止める気配のない翼に、善はため息をついて聞く。


「はぁ……悪かったって。何したら許してくれる?」

「ダッツ奢れ」


 翼の命令に、善は懐かしさを感じていた。


(そういや、お詫びはハーゲンダッツが俺たちの定番だったな)


「……まあいいや。俺だってもう高校生だし、たまに単発のバイトしてるしな。たかが二百円そこらで――」

「五個」

「ああ、五個くらい――って五個⁉」


 目を剥く善に、翼はニコッといい笑顔を浮かべる。


「誠意は金だよ、善」

「ぐぬぬ……」


 せめて三個に……と交渉しようとしたのだがまた泣かれそうになって、善は結局五個買ってやる羽目になった。


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