第2話 ボーイッシュ幼馴染と再会

 小学校低学年の時に仲良くなった佐藤翼さとうつばさは、ぜんにとっていわゆる幼馴染だ。


 善と翼は気が合う仲で、どこへ行くにも一緒の親友だった。翼は女子であるにも関わらずよく男子と混ざって遊んでいたから、善も男友達感覚で彼女と接していた。


 だが小学六年生のある時、善は翼と喧嘩をした。何が理由だったかは思い出せない。ただその時から、彼女とはめっきり遊ばなくなってしまったのだ。


 以降、疎遠になった二人はそのまま別々の中学に進学し、それっきり会うこともなかった。


 唐突な別れだったが、それに同じくらい、再会も唐突だった。

 善はどう接すればいいかとためらいがちに口を開き、


「あー、その……久しぶ――」

「っのやろー!」

「いたっ⁉ な、なんだよ急に⁉」


 突如翼に尻を蹴られ、善は唾を飛ばす。

 まさかまだ昔の喧嘩のことを根に持っている――のかと思ったが、翼はケラケラといたずらっぽく笑っていた。


「少し見ないうちにずいぶん大きくなったじゃん。元気してた?」

「ああ……こっちはぼちぼち。……で、俺なんで蹴られたわけ?」

「なーんかあたしたち、よくわかんない理由で喧嘩して、そのまま微妙な感じズルズル引きずって疎遠になっちゃったじゃん? だから仲直り……ってか仕切り直し。あたしは今、善のことを蹴った。だから善もあたしに仕返ししていいよ」


 言って、翼は自らの尻を指さした。


「……」


 翼は昔とあまり変わっていなかった。


 ボーイッシュな風貌はそのまま。髪はざんばらのショートカットで、瞳はやや吊り目がち。キュッと引き締まった身体に女性らしい膨らみはなく、履いているスカートも膝下丈という色気のなさだ。


 ……とはいえ、流石に女子高生のお尻に蹴りを入れるのは気が引けたので、


「翼、ちょっとこっち向いて」

「ん? なん――でっ⁉」


 振り向いた彼女の額に、べしっ、とデコピンを一発。


「はい、これで終わりってことでいい?」

「不意打ちなんて卑怯だぞ! ケツ出せもっかい蹴り入れてやる!」

「なんでだよ⁉ というかお前も不意打ちしてなかった⁉」


 そんな風にギャーギャーと言い合いをしていると、


「あのー、お客様? 他の方もいらっしゃるのでお静かにお願いします」

「「あ、はい。すみません……」」


 店員に注意され、二人は粛々と頭を下げた。

 やがてその店員が去るとお互いに顔を見合わせて、


「「ぷっ……あはははははっ!」」


 風船が弾けたように笑い声が重なった。


「はー、なんか昔を思い出すな」

「あたしたち、よく先生とか近所のおじさんとかにいたずらして怒られてたよね」

「俺は翼にそそのかされていたずらに参加してただけだけどな」

「嘘だね。絶対に善から提案してきたこともあったって」


 話しながら、善は久しく感じていなかった「楽しい」という感覚を思い出していた。

 友達と喋るなんていつ以来だろうか。クラスではぼっち、中学時代の友達とも頻繁に会っているわけではないから、実に一か月ぶりくらいな気がする。


 それに――相手はあの翼だ。懐かしさもあるし、またこうやって話せるようになったことも嬉しかった。


「んじゃ、今のでおあいこってことで。これからはまた仲良くしよ」

「ああ。そうだな」


 翼から差し出された拳をコツンと合わせ、善は頷いた。

 と、その時翼の着ている制服が目に入った。ワイシャツのリボンにチェックのスカート。善が通う高校のものだ。


「翼も柿木坂かきのきざか高校だったんだな。全然気づかなかった……」

「ね。あたしも今知った。善は何組?」

「四組だよ」


 言うと、翼は「だからか」と納得したように首を振った。


「あたし、七組なんだ。四組と七組じゃ、ちょっと離れてるもんね」


 校舎の構造上、善のいる四組は東側、翼のいる七組は北側に位置している。使うトイレや水飲み場も異なるから、今まで校舎内でもすれ違うことが少なかったのだろう。


「それで、翼はどうしてここに?」

「陸上部の集まり」


 そう言って、翼は店内後方の一角を指した。

 そこには制服姿の男女が数人、盛り上がっていた。積まれたエナメルバッグを見るに、部活終わりにこの店に立ち寄ったようだ。


「陸上やってるんだ」

「うん、中学の時から」

「翼、昔から走るの速かったもんな」

「今でも善より速い自信あるよ」


 と、翼は得意げな顔で鼻を鳴らした。その仕草が小学生の時と何も変わっていなくて、善は少し安心する。


「それで、善は誰と来てるの?」

「え゛っ……」


 その問いが来ることを全く想定していなくて、善は潰れたカエルみたいな声を上げる。

 どう説明しようか迷ったが、結局善は正直にありのままを話していた。相手は少年期をずっと共にした翼だ。そんな相手に今更取り繕おうなんていう気にはならなかった。


「実は俺、学校に友達いなくて……。直帰すると家族から変な目で見られるから、ここで一人時間潰してたんだ」

「ふーん、そうなんだ」

「いや『そうなんだ』てお前な……」


結構勇気のいる告白だったんだが……と善はげんなりする。


「でも、あたしはちょっと善のことが羨ましいかな」

「? なんで?」

「あたしはそんなに、大勢でいるの好きじゃないから。人と話すのが嫌いなわけじゃないけど、一人でいたい時とか、静かにしてたい時もあるし」

「ああ」


 翼の言いたいことは十二分にわかった。

善だって、今こそ人との繋がりに飢えているものの、基本的には彼女と同じ考えだ。みんなでわいわいしたい時もあれば、部屋にこもってゲームをしていたい時もある。


 ふと、翼が視線を向けている先に目をやった。

 テーブルを囲む陸上部たちは、みんな楽しそうに笑っている。


「ひょっとして嫌なの?」


 善が訊くと、翼は苦笑して「ちょっとね」と言った。


「うちの部、事あるごとにああやって集まっててさ。あたしたち一年だから、先輩に誘われたら断るわけにもいかないし」

「なんか大人の飲み会事情みたいだな」


 ネットで聞きかじったことを口にする善。だが、大人の世界も子供の世界も、同調圧力というのは厄介なものだ。


「だからこうやって、トイレとか飲み物取ってくるとかで席を立って時間潰してたんだ」


 なるほどね、と善は顎をさすった。

 ここはドリンクバーの前。二人が話している間にも、何人かが飲み物を補充していった。このまま立ち話をしていたら邪魔になるだろうし、また店員に注意されるのも時間の問題だ。


 顔見知り程度の相手だったら、きっとこんなことは言えないだろう。

 だけど相手が幼馴染なら、善は臆さずこう言えた。


「なあ翼、俺と一緒に店出ない?」



     *



「案外あっさり許してくれたな」

「まあ、あの人たちのことだから」


 二人は並んで、夜の道を歩いていた。

 あの後翼は、善を連れて陸上部の面々が座る席に行き、


「幼馴染とばったり再会したので、お先に失礼してもいいですか?」


 と言った。

 すると陸上部一行は大盛り上がり。きゃあきゃあと声を上げて、二人の関係性をしつこく訊いてきたり、善の名前や素性を喋らせてきた。

 どうやら彼ら彼女らは恋バナが大好物らしい。翼もその反応は想定内だったようで、


『いやほんと、ただの幼馴染なので。違います。友達です、友達。付き合うとかないですから。勘弁してください、ほんと』


 と強引に押し切り、伝票と自分の荷物を取ってさっさとその場を離れた。


「にしても助かったよ。善がいなかったらあと一時間はあの恋バナ地獄にいる羽目になってた」

「翼って昔からそういう話題嫌いだったもんな」

「別に嫌いってわけじゃないけどさ……ああいうのってだいたい惚気とか悩みとか聞くだけじゃん。あたし女子中行ってたから、その手の話題にまったく共感できないし」

「あ、女子中行ってたんだ?」


 彼女の言葉に善は目を丸くした。疎遠になった時期が時期だったから、互いの進路すら知らないままだったのだ。


 そのまま話題は中学時代のことになり、二人は家に向かう道すがらつらつらと過去を語る。

 やがて大通りに面した交差点が見えてきた。翼とはここで別れることになる。


「それじゃ、また学校で」


 そう言って善が手を振ろうとした時、翼は何かを思いついたように口を開いた。


「っと、そうだ。ねえ善、またあたしと放課後一緒に帰ってくれないかな?」

「え……? そりゃあ構わないけど。なんでそんな改まって言うんだ?」

「さっき言ったじゃん? うちの部みんな仲いい感じで、部活終わったら大体団子になって帰るんだよね。だけどあたしそういう集団行動的なの苦手でさ。善と一緒に帰るって言ったら、今日みたいに喜んで送り出してくれるんじゃないかなって思って」

「なるほどね」


 善は頷いた。陸上部の面々に自分たちの関係性を疑われるのは気がかりだが、その方が翼の精神衛生的には良いだろう。


「無理にとは言わないよ? でも、委員会とか居残りとかで遅くまで残ることがあったら、あたしと一緒に帰って欲しい」


 どうかな? と上目遣いで聞いてくる翼。

 善は大して考えることもなく首肯していた。


「そういうことなら、全然かまわないよ」

「ほんと?」


 翼はパッと顔を明るくする。

 元々善は友達がいなくて暇をしていたのだ。断る理由などなかった。

 それに今日は、高校入学以来一番楽しい放課後だった。また翼と日々を過ごせるならば、むしろこっちからお願いしたいくらいだ。


「ありがと、善。やっぱり持つべきものは友達のいない幼馴染だね!」

「どういう意味だそれ……」


 こうして、退屈だった善の高校生活には少しだけ意義が生まれた。


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