第5話 にゅっ

 帽子を失くした翌日。


 例のごとく暇を持て余した私は海に来た。


 場所はおんなじ。


 帽子を失くしたとこな。


 ここやったらテトラポットを降りれば、誰にも邪魔されずに泳げる。


 ホンマはテトラポット危険やねんけどな。


 良い子は真似すんなよ。


「よいしょっと」


 ゆっくりゆっくり降りていく。


「はぁー生温っ」


 足をつけてみれば、海水は生温かい。


 当たり前よな。


 30度以上で熱されたら海だって温くなる。


 冷たい水で泳ぎたければ市民プールに行けばええんやけど。


 絶対人が多いから行きとうない。


「うっし、泳ぐか」


 怪我をしないよう慎重にテトラポットから海へと移る。


 久しぶりの海水浴。


 平泳ぎで防波堤から離れていく。


「ぷはっ……やっぱ気持ちええわ」


 海水がこの町に来てからの嫌な出来事を洗い流してくれるようで。


 海が私の居場所なんちゃうかと思ってまう。


「ん?」


 水面から顔を出した瞬間、昨日失くしたはずの帽子が浮かんでいるのが目に入った。


「なんで」


 風も強かったし沖に流されていたし。


 おんなじ場所にあるわけがない。


 いぶかしげに見ていると、


「えっ」


 海の中から人の手がにゅっと出てきた。


 擬音があってるかわからんが、マジで『にゅっ』。


 水が跳ねる音なかったねんもん。


 その手は帽子を掴んでこちらに近づいてくる。


「アカンアカンアカン」


 悲鳴を上げている間はない。


 慌ててテトラポットに戻り、滑り落ちそうになりながら防波堤へとよじ登った。


 振り返ると手はテトラポットの手前で止まっていた。


 危機一髪。


 ビーサンを履いて全力ダッシュ。


 なんだったんだアレ。


 もしかして、アレがおばあちゃんが言っていた人魚なんか?


 いやいやいやいや。


 人魚やったらもっとマシな出て来方あるやろ。


 手だけって。


 幽霊やん。


 オカルト話でよー聞くやつやん。


 頭の中がパニックになったまま家に無事到着。


 玄関を開け、若干乾いた服のままお風呂場に直行しようとしたら、


「どうしたの。顔面蒼白――」


 ごめん、おばあちゃん。


 今返事する気力ない。


 早くお風呂で温まってアレを忘れたい。

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