第57話
「写真を見て思い出を話せるのも、素敵なことですね。お客さんも喜んでいるみたいでよかったです。喫茶店、まだまだ栄えますよ」
「ええ。それでここに。ここにあなたもずっと残り続けます・・・・・・」
トシさんは涙ぐんでいる。私は一旦座り、笑顔でその優しさをミルクごと飲み込んだ。
それからまた立ち上がって、ひとつの写真を見る。
ぱあっと目の前が明るくなった。
「トシさん、この桜はどこで撮ったものですか」
薄いピンク色の額縁に入った桜の写真がある。満開の桜が青空の下に映っている。
「それは去年、一駅先の木の花公園で空が撮影したものです。千歳ちゃんが住んでいるのとは逆の駅にあります」
木の花公園。そんな公園があったのか。
切り取られた写真からは全体像は見えない。どれだけ広い公園なのだろう。近場なのに、そんな公園があることさえ知らなかった。千歳は知っているのかな。
「へえ、私も行きたかったな」
あと一日許されたら行けたのに。
トシさんは黙ったままだ。ドアの向こうから雨の音が聞こえてくる。
「今日入院の話を聞かされて、もう桜、見られないんじゃないかと思いました。実は賭けていたんですよ。余命を宣告されてから桜を見られるときまで生きるほうに賭けるって。でも今日ここで見られることができました。空君の撮った桜、とっても素敵です」
「今年咲く桜、見られますよ。きっと、見られます」
トシさんの声は震えている。
震えるのは私の仕事だよ、もう。トシさんは震えなくていいんだよ。
「今日はサヨナラを言いに来ました」
「・・・・・・もう、なんと言ったらいいか」
ここでの出来事は宝石となって私の中で輝き続ける。
「サヨナラはとっても悲しいけれど、ここでの思い出は死んでも持って行けます。それってとっても幸せなことなんですよ。だからこの喫茶店に本当に感謝です。夢と希望と、たくさんの人たちの想いが詰まった喫茶店、どうかいつまでも続けていってください」
ホットミルクを半分まで飲み、私は立ち上がった。
「あなたの人生も、この喫茶店に残ります。今言ったあなたの言葉を、この喫茶店は聞いていますから」
「そっか。そうですね。この喫茶店も、私の話を聞いてくれているんですね」
この喫茶店も私を見守ってくれていた。
ありがとう。そしてさようなら。ひとつのちっぽけなサイクルが終わったよ。
私は感謝を込めて深くお辞儀をし、代金を払って店を出た。
家に帰り、母に杉本先生の話を繰り返し説明する。
母は一瞬顔を歪ませたあとで、てきぱきと入院する支度を始める。
「お母さんが入院するんじゃないのに」
「必要なものは私が揃えるから、あんたは自分が持っていくものを決めて行きなさい」
母はボストンバックを出し、歯ブラシや日用品を洗面所の下から取り出す。
無表情で動いているけれど、心中は考えないようにしよう。
自室へ行って千歳にLINEを送った。
『再入院することになったよ』
『いつから?』
『今日』
空君にも伝えた。
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