第55話
息が苦しい。身体がしんどい。呼吸に変な音が混ざる。
しんどさはうつで何十年も経験している。そのしんどさとは異なるものでも乗り越えられるはず。乗り越えなくちゃ。
何度も深呼吸を繰り返し洋式便座で落ち着いて用を足す。今日はお祝いの日で、空君が主役なのだからもう少しだけ持って、私の身体。
楽しいひとときをまた初詣の時のようにぶち壊したくない。だからお願い。
私の身体、お願い。怒っているのはわかるけれど、どうか、今日が終わるまで、いや、千歳や空君と別れるまでは鎮まって。
呼吸が普通になるのを待って立ち上がり、流そうとして全身が跳ねた。
なに、これ。
便器の中が真っ赤だ。血のにおいがする。生理? いや、生理はまだ来る日ではない。もしかしたら病気のせいで止まっているのかもしれないけど。
これ、なに。
心臓が脈打つ。変な汗が噴き出てきて慌てて流すと、バッグに入れていた生理用ナプキンをつける。下着にべったりと血がついていた。
自然と涙があふれてきた。そして、目を閉じ冷静に考える。
これは多分、血尿だ。私は膵臓がんだけれど、他の臓器に転移もしている。
多分、臓器のどこかが、機能を失いつつあるのだ。震えが起きるのもそこの臓器との関係があるのだろう。でも、頑張ってくれている。
ありがとう。心臓が脈打ったということはまだ心臓は動いてくれているんだね。
どの臓器かわからないけれどまだ大丈夫。立って歩けて話ができる間はきっと大丈夫。歩けることも、目が見えることも手が動かせることも当たり前のようでいて大切なことだった。それに気づかなくて、本当にごめんね。
そうして、当たり前にやって来ると思っていた明日は近いうちに私には来なくなる。
当たり前のように明日が来ることが嫌で、起きれば死にたいと考えていたうつの頃。
あれも酷い病気だったけれど、繰り返される日々が当たり前すぎて私はそのことにも驕っていたよ。
何気ない日常が続くということも、明日が来るっていうことも、大好きな人と毎日会えるということも、本当はとても奇跡的で、とてもありがたいことなのかもしれないね。
これからは朝が来るたびありがとうって言うんだ。明日が途切れるそのときまで。
落ち着いたふりをして席に戻ると、空君と千歳はコンテストの話でずっと盛り上がっていた。
会話の途切れた瞬間を見計らって千歳とチョコレートを渡すと、空君は更にテンションを高くして喜んでいた。
学校では神戸さんと後輩から二個貰っていたそうだ。どちらも義理だろう、と空君は語る。
いつか本命を貰えるといい。
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